悪果or宿命
平穏な日々を過ごしていても、ある日突然に犯罪の被害者となることがあります。
そして、その理由には2つの可能性が考えられます。
1つは、被害に合う以前に悪因を積んでいたということ。
最近話題の煽り運転。
これの煽られる側、即ち被害者になった場合は、その人が過去に煽り運転をしたことがある加害者だったために、因果応報で被害に合ったということになります。
その他にも、人に暴力をふるわれた場合、以前他者に手をあげたことがあるために悪果として殴られるのです。
また、犯罪事件ではありませんが、悪口を言われたときは、自分も過去に人を悪く言ったことがあるため悪口被害に合うのです。
当然加害者のほうが悪ですが、被害者にも悪の側面があり、被害に合うのは自業自得と言えます。
このように、どんな出来事にもコンピューターなみの正確さをもった「カルマの法則(因果の法則)」が働くのです。
2つ目は、カリキュラムに組み込まれた宿命のパターン。
これは、その人(被害者)の魂成長に必要な材料だったがゆえに起こったと考えられます。
たとえば、前世で人を騙して大金を奪い取った人は、現世でお金を騙し取られる詐欺被害者となります。
これは前世で犯した罪の償い、ないしは自身の大過に気づき成長するための一つの課題なのです。
欺いた覚えなどないかもしれませんが、長い旅をしてきた魂にはその経験が事細かに保存されています。
また、「病気」も先天的な病と後天的な病の二種類あります。
先天的な病は先述したように宿命の一部。
その人が霊界にいた時分に自らの意思で選択した乗り越えるべき試練。
生まれつき目が見えない。心臓が悪い。片脚がない。など、誕生した瞬間にハンディキャップを背負っている場合、ほとんどが「宿命の病」と言えるでしょう。
その病を乗り越えた先に真の幸福と魂成長が待っているのです。
一方、後天的な病は冒頭で紹介したように因果律が関係しています。
煽ったから、煽られた。と、お伝えしましたが、全てのケースでそっくりそのまま自分の悪行が返ってくるとは限りません。
人を煽って恐怖と不快感を植え付けた代償は、骨折や盲腸、癌などの病と化して加害者を苦しめ気づきを与えるのです。
一度煽り運転をしただけの報いが癌…? と、お思いでしょう。
しかし、その大きな代償は、これまでに溜まった悪因の結果がまとめてやってきたにすぎません。
神の定めた摂理(因果の法則)は寸分の狂いもない完璧なものですから、悪人がしっかりと悪い種を刈り取るように調整されているのです。
風邪でも中耳炎でも捻挫でも、病気になったということは、そこに行きつくまでの過程で悪因を積んでいたということ…。
犯罪被害者になることも、病気になることも、因果応報、もしくは自分で決めた課題の一つ。
それがどちらなのかは深い内観を行えば大方予想がつきます。
ここで、一つ確実に断言できることがあります。
それは、悪果だろうが宿命だろうが、どちらにしても「責任」は自分にあるということ。
悪果ならば因果応報。宿命なら自分で下した決断。
間違っても他者や環境のせいにしてはいけません。