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神の救いを象徴する吉野川

2024.12.27 06:40

https://funa888.livedoor.blog/archives/52118751.html 【アークを探しに徳島へ♪【空海の秘密編】】より

最近、一気に冷え込んできましたね朝晩の温度差が激しすぎて着るものに困る・・・

さて、最近は正倉院展絡みの記事ばかりだったのでここらで先日プライベートで行った徳島県・剣山(つるぎさん)のレポートをお送りしたいと思います

ちなみに剣山(1955m)へは登ってきましたが登山が目的の旅行ではありません!!(笑)すべてのきっかけは昨年に受験した京都検定京都の歴史を勉強するうちに古代氏族“秦氏”について興味が沸きました

秦氏を突き詰めていくと必ず“古代イスラエル” “ユダヤ” “日ユ同祖論”というキーワードにぶち当たりますそんな話しはブログでもちょこちょこ書いてきました

■祇園祭はシオン祭?(2019年7月25日)秦氏を追って大分県の宇佐にも行ったしね

■島旅部・春のひとり合宿2019♪(2019年4月21日)

で、京都検定の試験本番で空海についての知識がなさすぎて試験後は秦氏より空海にどっぷりハマり先日もプライベートで高野山へ

高野山に行ってきました♪(2019年9月24日)

ちょうど高野山から帰宅したあとネットで注文をしていた本が自宅に届いていました

タイトルは「空海の秘密」空海には様々な伝説や謎がつきまとっていますがこの本はその数々の伝説や謎を総動員した感じのミステリー小説あくまで“こうだったのかも?”という仮説に基づき空海の生涯で“空白の10年”と呼ばれる期間の謎に迫ります

※これからの記事は小説のネタバレありなのでご注意下さい!

この本で初めて空海と秦氏そして空海と古代イスラエルの失われたアークが関係している(かも?)という話しを知りました

失われたアークというのは、あの映画“インディージョーンズシリーズ”の「レイダース/失われたアーク(聖櫃)」のあの“アーク”です(古代イスラエルの3種の神器が入っている箱)

日本の神輿はこのアークが原型って話しは聞いたことがありましたがまさか空海も絡んでいたとは!!(笑)(あくまで仮説です)

ちなみに表紙の右下に書かれているイラストがそのアーク確かに箱を二本の棒で担ぐスタイルが神輿とよく似ていますよね アークの上には“ケルビム”と呼ばれる黄金の天使が羽を広げていたそうです(ケルビムが日本の神輿では鳳凰に変わったとの説も)

この小説、空海の生涯を追っているのでもちろん遣唐使の話しも出てくるんですが335ページある中で唐の話しはたったの3ページでした(笑)

小説の内容をざっくりお話しすると空海の土木技術と秦氏の財力で平安京を造る(この頃から皇室に可愛がられる)

秦氏の依頼で徳島の剣山に眠るアークを探し当てる(空海がインディージョーンズみたいに大活躍)

見つけたアークを守るため八十八ヶ所のお寺を設置する(八十八ヶ所の霊場はアークを守るための結界だった!?)

仲良しの嵯峨天皇の力を借りて全国に散った古代イスラエルの3種の神器を集める(この辺のくだりはかなり雑)

アークを剣山から安全な高野山へ移すため万燈供養会のイベントを企画する(ナイスアイデア!)

アークと共に奥ノ院の御廟に入って入定(まぁ確かにそこなら安全やね)

空海は永遠の瞑想と共にアークを守り続ける(なんとも清々しいエンディング!!)

という壮大なストーリー“アークを探しに徳島へ♪”ってブログのタイトルですが

結局アークは先月行った高野山にあったんかーい!ってオチ(笑)

でも、今回徳島へ行った際はこの本の半分しか読んでいなかったのでアークは剣山にあるものだと思い込んでおります(笑)そのままお付き合いいただければ幸いですm(__)m

さぁ阪急梅田のバスターミナルから高速バスに乗ってまずは徳島県の脇町へ出発です♪


https://www.historyjp.com/article/450/ 【2つの吉野川と高野山の関係】より

神の救いを象徴する吉野川に寄り添う空海の思い

四国と紀伊半島を流れる2つの吉野川

剣山 祖谷川源流の谷

剣山 祖谷川源流の谷四国を流れる一級河川の吉野川は、日本有数の美しい大河として、あまりに有名です。西日本で2番目に高い標高1955mを誇る剣山から溢れる水は祖谷川となり、四国山地を刻みながら山の麓を経て、吉野川に注ぎ込まれています。そして四国の東岸に達すると広大なデルタを形成し、紀伊水道に流れ出ています。

吉野川は四国三郎の異名を持つ雄大で美しい清流ですが、実は同名の川が、和歌山県と奈良県を横切るように流れています。和歌山県には高野山の北側を流れる「紀ノ川」が存在します。この川は不思議なことに、高野山を境目として和歌山県を超え、奈良県側の上流に達すると、「吉野川」と呼ばれてきました。

吉野という地名は、大和国南部にある山岳地帯の名称として知られ、現在の奈良盆地南方にあたる広大なエリアを指しています。そして奥吉野として知られる大台ケ原の山奥から流れ出る川であるが故に、いつしか吉野川と呼ばれるようになったとも言われています。その吉野川は高野山を境目として紀の川となり、紀伊水道に流れているのです。

2つの吉野川の共通点

二つの吉野川

二つの吉野川四国を流れる吉野川と、紀伊半島を流れる紀ノ川とも呼ばれる吉野川は、名前の一致だけに限らず、実際には地理的にも中央構造線と呼ばれる大断層によって結びついています。中央構造線は四国から紀伊半島の和歌山、伊勢を経て、長野県の諏訪の先、さらには関東西部にまで繋がっています。この中央構造線におおよそ沿う形で、四国から紀伊半島西部には活断層群が走っています。その断層群に重なるように、2つの吉野川が流れているのです。

2つの吉野川の共通点は同じ活断層群に沿って川が流れているだけではありません。どちらの川も中央構造線の南方に聳え立つ高山から、川の水が注がれているのです。四国の吉野川は、四国の中心に位置する瓶ヶ森(かめがもり)から北方に向かって大歩危、小歩危を通じて吉野川の本流に繋がり、そこからほぼ90度、東方に曲がって紀伊水道へと注がれていきます。また、西日本で2番目に高い剣山周辺の山麓からも、吉野川の支流が北方の本流に向かって流れ込んでいます。

同様に紀伊半島の吉野川も、その南方にある、日本で最も降水量の多い地域と言われる大台ケ原周辺の川を支流とし、そこから北方に向かって吉野川の本流に繋がり、ほぼ直角に西方の紀伊水道に向けて川が流れています。つまり、どちらの吉野川も、南方の高山から水が注がれて支流となり、それが本流になると、活断層群にそって東西に流れているのです。

中央構造線

「吉野」の語源とは

広大なデルタを作る吉野川

広大なデルタを作る吉野川吉野川の「吉野」という名称の語源については、定説がありません。広大なデルタを流れる河川の周辺に葦(よし)が広がる野原が存在したことから、吉野川と呼ばれるようになったという説があります。また、紀伊半島の吉野川は、吉野と呼ばれる地域を流れている川だから、吉野川と呼ばれるようになったという説もありますが、吉野の語源は解明できていません。一説によると、「吉野」の語源は、「美しい野」「良い地域」を誇る地名に由来し、古くは「えしの」と呼ばれていたとのことです。良いことは「えし」とも言い、「良し」、「善し」、「好し」と漢字で綴ります。よって「良い野」の意味で用いられた「えしの」という名称が多少訛り、吉野という言葉に可変したと推測するのです。

いずれにしても、吉野川と言えば、誰もが日本語の名称と考えることでしょう。しかしながら「吉野川」という言葉は外来語の可能性があり、ヘブライ語でも言葉の意味を解明できることがわかりました。「ヨシノカワ」という発音は、ヘブライ語で「神の救いの川」を意味する「ヨシュナハー」に大変良く似ています。果たして「吉野川」とは、民衆の「救い」というテーマに繋がるヘブライ語の名称なのでしょうか。

「神の救い」を意味するヘブライ語は、ישע(yesha、イェシャ)と書きます。その派生語には「ヨシュア」「ヨシュ」という言葉もあります。また、「川」を意味する言葉は、נהר(nahar、ナハー)です。これら2つの言葉を合わせると、「イェシャナハー」「ヨシャナハ」となり、「よしのがわ」に類似した発音になります。つまり「ヨシャナハ」が多少訛って「ヨシナハー」「ヨシナカワ」になった可能性が見えてきます。

「神の救い」を象徴する吉野川の存在

剣山頂上の景色

剣山頂上の景色四国の吉野川は、剣山の山頂から空海の故郷である讃岐の南方を流れて紀伊水道へと注がれています。一方、和歌山の吉野川は、空海の総本山となる高野山の麓を流れて、同じ紀伊水道に注がれています。四国の霊峰である剣山と、空海が定めた魂の修行の地である高野山、双方が、吉野川と紀伊水道を通じて繋がっているのは偶然ではないかもしれません。2つの聖地が「神の救いの川」を意味する「ヨシュナハ」「吉野川」によって結び付けられていると想定することにより、双方が神の救いに関わる大切な聖地であり、空海をはじめ、多くの聖人が吉野川を大切にしてきた理由を垣間見ることができます。

剣山、高野山、どちらも「神の救い」を願う聖地と関わっていることから、「吉野川」という名称が生まれた背景には、空海の存在があったかもしれません。すると2つの吉野川は、人々の救いを願う空海のライフワークの象徴と捉えることができます。高野山から上流へと繋がる川の流れについては、「神の救いの川」と呼ばれてこそ、空海の集大成となる聖地に繋がる川としての証をより明確にできます。四国の吉野川も同様に、古代より霊峰として崇められ、神宝が埋蔵されたという伝承もある剣山と繋がっていることから、空海の剣山への想いが込められた結果、「ヨシュナハ」と呼ばれたのではないでしょうか。

空海にとって剣山とは、幼い頃から出身地の讃岐、今日の香川県の地から遥か遠くに望むことができた神秘に包まれた霊峰であり、その剣山から流れ出る川の水は、信仰に結び付く大切な清流と考えられたことでしょう。このふたつの吉野川により、剣山と高野山が繋がるだけでなく、その背景に潜む壮大な空海のビジョンが見えてくるようです。

ギャラリー:吉野川剣山頂伊勢神宮内宮

[参考文献]

中央構造線 (ウィキペディア Wikipedia)

中央構造線ってなに??? (大鹿村中央構造線博物)

中央構造線に関する現在の知見−九州には中央構造線はない− (産総研 地質調査総合センター)

コラム―2つの吉野川 (中国四国農政局)

コメント

杉森 登2021年9月10日 10:10 AM

空海は、剣山を何故重視するかが非常に興味あります。

空海が剣山を重要した理由をざっと考えてみました。まとめると、以下のとおりです。

高い山

1.古代の民は「高い山」に神が住まわれるという山岳信仰をもっていた。

2.剣山は空海の生まれ故郷、香川の讃岐国周辺の最高峰であり、西日本最高峰の石鎚山とほぼ同等の標高1955mを誇り、各地からその頂きを見ることができる

3.剣山は淡路島、紀伊水道の海上、熊野からもその頂上を見ることができることから、古代より最高峰として認知されていたと考えられ、その頂上では神が祀られたと推定される

聖書の教え

4.中国に遣唐使として渡った際、ネストリウス派の信仰にふれた空海は、旧約聖書の中で最高峰の山が重要視されていることを学んだ。「主の家の山はもろもろの山のかしらとして固く立ち、諸々の峰よりも高くそびえる」(イザヤ2:2)

5.イザヤ書にはひたすら、「高い山にのぼれ」(40:9)という教えが連呼されていることから、空海は最高峰の重要性を心得、剣山に限らず、各地の最高峰を自らの足で登り、祈り清めていた。

イスラエルと剣山とのか関り

6.古代より剣山にはイスラエル民族が渡来し、ソロモンの秘宝が隠されたという伝承があり、空海もその言い伝えを知っていた。

7.香川(讃岐国)から剣山に向かう途中には、ユダヤ系のイスラエル民族が造成したと考えられる神の祭壇を備えた神明神社のような場所が存在することから、イスラエル系渡来者の関与についても深い関心を寄せていた。

空海と神宝との関わり

8.奈良界隈で学び、天皇家との接点をもっていた空海は、国家の危機と怨霊の問題に悩む天皇を助けるために、神宝の存在を明らかにし、安置する必要性を痛感していた

9。和気清麻呂、地政学の天才との交流の結果、古代より剣山がレイライン上の中心となっていることを知り、多くの皇室に関係する神社が剣山と結び付いていたことを再確認する。

10. 剣山があまりに重要であることから、空海は自らの人生の最終拠点となる聖地を特定する際、剣山と伊勢神宮を結ぶ線上に、高野山の地を見出した。

神が祀られた伊勢神宮の地が剣山を基点とした元伊勢の数々から特定されたように、空海自身の終身地も、たとえその場所が山奥の急斜面であったとしても剣山と伊勢を結ぶつける場所であることから、その地点がピンポイントで見出されたことは、注目に値します。