#5 先入観についてのエピソード 2019.01.23 15:32 先入観。潜在的な意識の中で、自分の考えに影響を与えるもの。「傘を持って家を出た女性が、傘をささずに外を歩き回りましたが全く雨には濡れませんでした。なぜでしょう?」というクイズの答えが「雨は降っていなかったから。冒頭の ”傘を持って" の部分で雨が降っていると思い込んでしまったでしょう?」というアレだ。ぼくは4歳頃、北九州から熊本へ引っ越してきた。北九州の頃の記憶は皆無で、母に連れられ近所の保育園2つの下見に行った時の熊本の記憶が、ぼくの最古の記憶だ。当時は待機児童なんて言葉は程遠く、下見をした2つの保育園のうち「どっちが良かった?あんたの好きな方を選びなさい」と母に言われ、ぼくは”おぜき保育園”を選んだ。選ばなかった方の保育園は名前ももう覚えていない。下見の際に、中学校の体育館ぐらいの広さで3〜4人の児童しか遊んでいなかったのを目撃して、「この広さ、4歳児は持て余すだろ・・・」とまるで5歳児の様なやけに冷めた感想を抱いたのを覚えている。つまり、おぜき保育園を選んだのは消去法でしかなかった。(しかし、結論から言うとおぜき保育園を選んだのは正解で、そこで面倒を見てもらった2人の保母さんとは今でも連絡を取り合っている。)おぜき保育園にはMちゃんという一人の女の子がいた。たぬき顔の美人さんで肩までかかった綺麗なストレートの黒髪、そして誰にでも分け隔てなく優しいというマドンナ的存在であった。その頃おぜき保育園では、気に入った男の子を見つけた女の子はその男の子の手を引っ張り砂場へ遊びに連れて行く、という一連の流れが流行していた。恥じらいや駆け引きなどせず、自分の欲望にストレートに意中の男の子を誘う彼女たちは ”女児” とは名ばかりの立派なハンターであった。仮に、他のハンターと獲物が被ってしまった場合はその男の子の手を左右からそれぞれのハンターが引っ張りあうのだ(男児は「やめろよ〜」と一応は抵抗するそぶりを見せながらも内心はコリャタマランナ状態であった)。しかし、タヌキ顔のマドンナ・Mちゃんはそんなはしたないことは一切しなかった。育ちが良いのか、おしとやかにハンターと獲物のやり取りを「うふふふ」と遠くの滑り台から見ていたような子であった。どちらかというと「よ、良かったら俺と砂場行かないか・・・?」と男児から誘われるような、外見も中身も立派なタヌキ気質な女の子だったのだ。そして例に漏れず、僕もそのMちゃんに密かに想いを寄せていた。ぼくはいつかMちゃんに腕を引っ張って砂場へ連れて行ってもらうのを夢見ていた。自分から砂場へ誘う勇気など毛頭なく、誘われるのを待っていたあの頃のぼくは、マドンナとはまた別の意味でMだった。いつもいつも夢見ていたMちゃん(マドンナの方)からの砂場への誘い。しかしその夢が叶うことはなかった。Mちゃんが誰かの腕を引っ張る姿を目撃する事もなく、彼女とぼくは別々の小学校へ通う事が決まりそのまま音信不通となった。しかし、それから約20年後、ひょんな事からMちゃんとぼくは再会を果たす。(長くなるので、ひょんな事は割愛)20年ぶりに見た彼女は相も変わらずのタヌキ顔の美人さんであり、少し茶色く染められた髪の長めのボブが暴力的に似合っていて、そして誰にでも優しく、おまけに色気が増していた。ぼくは堕ちた。20年越しに初恋が蘇った。今なら砂場へ誘える・・・!鼻ったれのガキンチョだったぼくも20年の時を経て、女の子を誘うことぐらいはできるようになっていた。ぼくは多少強引にMちゃんの連絡先を聞き出し、メールの交換をする事にした。しかし、彼女から届いたメールを読んだ瞬間、ぼくの心に暗い影が忍び寄ってきた。「それは」が「それわ」、「言うんだって」が「ゆうんだって」、「公演」が「講演」に変換されていた。漢字検定二級を中学一年生で取得した事からくる漢字へのプライドと、ギャル文字への強い抵抗感が、彼女への熱を冷ましていく。「Maiちゃん、ギャル文字使うんだ・・・」ショックを受けながらも、「Maiちゃんがギャル文字を使っている理由が何かあるはずだ!」と思考を巡らす。たまたまギャルの友達との間でギャル文字ブームが起きているのかもしれない・・・それとも、異なる携帯キャリア間で発生したバグかも・・・はたまた、平成たぬき合戦ぽんぽこの撮影の疲れが抜けていないのかもしれない・・・自分で行うどんなフォローもぼく自身の心には届かず、この恋は自然消滅した。彼女は育ちがよく、ギャル文字なんか絶対に使わないという先入観。どんなメールを送っても「うふふふ」という文面だけを優しく送り返してくれるだろうという先入観。これらの先入観さえなければ、ありのままの彼女の姿を受け止める事ができ、今頃この恋は成就していたかもしれない。もちろん、まいちゃんは何も悪くない。悪いのはぼくの先入観だ。勝手に何かに期待して、正体・真実を知った後に勝手にガッカリしてしまう事で、人生を損している事があるのだろう。フィルターを通さず、できるだけリアルを、真実を掴む事。大切だと思います。