いつも「守られている」
facebook相田 公弘さん投稿記事「大晦日の夕日に感謝する 」
Tさん(71歳)は以前、南蔵院というお寺を訪ねたとき、住職の林覚乗師の「夕日」という書に出会いました。
「正月に初日の出を拝む人は多いが、大晦日の夕日を拝む人は少ない。
毎年大晦日の夕日を眺め、お天道様、今年1年ありがとうございました、と感謝できる人こそが豊かな人生を送ることができるのではないか」というものです。
その年の大晦日からこれを実践するようになったTさんは、こう語ります。
「初日の祈りは、ややもすると『今年1年が良い年であるように』という要求心が起こりやすいものですが、1年最後の夕日を拝むのは、1年の出来事に対して、ただ『ありがとうございました』の一念だけなのです」と。
1年が過ぎようとするこの時期、「恩」について考えてみることは、新しい年を迎えるうえでも意義のあることではないでしょうか。
「ニューモラル 心を育てる言葉366日」より神社はお礼行くところ 小林正観
「お天道さまが見てる」というお話です。
「読書のすすめ」清水店長と、北川八郎さんの共著よりご紹介させていただきます。
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昔は「お天道さまが見てる」なんて親から言われたものですが、今は誰も言わなくなりましたね。
天の上の方のどこかからずっと神さまが見ているという感覚、見られているという感覚というのが、たしかに昔はあったはずなんです。私の場合は断食を通じてそれを得ました。
いつも見られていると同時に「守られている」という感覚をね。この感覚は素晴らしいものがあります。心が安定するからです。同時に導きも感じます。
それともう一つ面白いことは、見られてばかりでなく、心に思ったことは即、向こう(天)に通じていることです。
人はみな、自分の中に天につながった通信機みたいなものがあって、思うことはすべて発信され、同時に記録されるんです。だからウソはつけません。
自分がどれだけウソをついて、隠して、誤魔化しても、その場で自ら天に報告しています。
だからすべて天は知っています。記録されています。
天と自分は心で常時つながっているから、全部相手に分かってしまうのです。
(「準備された世界」清水克衛 著 / 北川八郎 著 / エイチエスより)
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誰も見ていなくても、天が見ている。
人生で上手くいくか、いかないかの違いはこの「天が見ている」と思うのか、「誰も見ていない」と思うのかの違いかもしれません。
誰も見ていないときの行いが、問われているのではないでしょうか。
以下は、本田健さんの著書よりご紹介いたします。
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まわりの人、特に目上の人というのは、あなたの行いをよく見ています。
どんなときでも、「こいつは絶対に手を抜かないな」というふうに見えれば、その人を抜擢したくなるものです。それが出世していく糸口になったり、人生の転機につながるチャンスにつながったりするのです。
そういう意味で、だまされたと思って、とにかく20代は、すべてに100パーセントを出しきってみてください。
誰かが見ているというふうに思って行動しましょう。
誰も見ていなくても、最終的に、結果が誰かの目に触れたときには、その人がどれだけ努力していたかはわかるものです。だから、「見られている前提」で動けるかどうかです。
個人投資家で日本一といわれ、タマゴボーロで有名な竹田製菓の代表取締役、竹田和平さんは、いつも「天が見ている」と思ってきたそうです。
たとえば「タマゴボーロ」を作るときに、安い卵と有精卵の高い卵のどちらを使うべきか。
原材料費を安くするためには、安い卵を使えばいいわけですが、まだお金がないうちから高い卵を使っていたそうです。なぜなら、「そのほうがおいしいから」。
「誰も見ていないけど、天だけは知っている。だから誤魔化さずにやってきたのです」と竹田さんは話してくださいました。
そういうふうな生き方をしている人は、そのこと自体は他の人にわからなかったとしても、必ず人柄とか雰囲気に、その生き方が表れます。
(「20代にしておきたい17のこと」本田 健 著 / 大和書房より)
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北島康介選手や寺川綾選手のコーチを務め、競泳日本代表のヘッドコーチでもある“平井伯昌”さんはこう言います。
「一流と二流の違いというのは、『こんちくしょう、こんなところで負けてたまるか』と思うのか、『誰も見ていないから、もう今日はいいや』と思ってしまうのか。
妥協しない日々を積み重ねられるかどうかの差だと思います」
日本を代表する経営者、稲盛和夫さんもこう述べております。
「因果応報の法則は、結果が出るまでには時間がかかることがあります。
原因に対して結果がすぐ出ることもあるにはありますが、多くの場合にはなかなか結果が出てこないのです。
しかし、20年、30年といった長いスパンで見ると、必ず因果応報の法則通りの結果になっています。悪いことをした人が繁栄していることはまずありません。よいことをしてきた人が不遇のままでいるということもありません。人生を長いスパンで見ると、大体つじつまが合っています」
あるお坊さんのお話です。
お寺での修業時代、何が一番辛かったかというと、過酷な座禅や滝に打たれるような修行よりも、毎朝の“そうじ”だったそうです。
毎朝早く起きて、決められた掃除場所を綺麗にしていくのですが、そのときは誰も監視していないので、サボろうと思えばサボれる状況だったのです。
誰も見ていない中、寒い冬もはやく起きて掃除をし、誰も評価してくれない中やり続ける!
これが一番の修行だったと言います。
誰も見ていないときに、どんな行動をするのかが、人生の分かれ目。
誰も見ていなくても、コツコツと努力を重ね、他人を喜ばせ、約束を守る人が成功していくでしょう。
なぜなら、自分もそういう人に任せたいと思うし、そういう人から買いたいと思うでしょ♪
そうやって信用され、成功していくのですね(^^♪
※魂が震える話より