熊野川町宮井相須 真如寺。
2019.01.24 07:16
1911年の今日1月24日は、明治期の大逆事件の判決日にあたります。
明治期、天皇 皇后 皇太子の暗殺をくわだてた
という当時の大逆罪を適用により、幸徳秋水ほか11名は、死刑判決を受けました。
熊野川町相須にある、真如寺はこの死刑判決を受けた、峯尾節堂が、一時住職をしていた
臨済宗妙心寺派の八等地つまりは、一番下ランクの小さなお寺です。
彼は19歳でこの寺の住職となりましたが
やがて住職を辞して留守居僧となり、新宮の思想家であり医者であった大石誠之助と出会い、社会主義へ心を寄せます。
その後、正月の会合で、皇太子殺害の計画の
大阪での土産話を聞いたというだけで、検挙され死刑判決、ほどなく恩赦により、無期懲役やがて、大正五年に獄中死という末路を歩みます。
現代の歴史家の中では、冤罪であったことが定説となっております。
私は、ご縁によりここのお寺の兼務住職として2年が経過しました。
昨年は峯尾節堂和尚の100回忌法要が本山妙心寺の主催で行われました。
ここは、過疎化も激しく小さな貧しいお寺です。僧侶であっても人間。社会の中で必要とされ、布教を通じて社会に認められてこその一面があります。
彼はこの真如寺では夢を描けなかった。
夢を描けなかったこのお寺に彼の位牌が安置され、毎歳忌が今年も20日に新宮の大逆事件の犠牲者を顕彰する会のお力添えで法要を執り行いました。
熊野川も春を待ちます。