PER TE

純度を保つ

2019.01.24 09:44

「すべては自己の心の鏡」という考え方は

外側の現象に実体は実はなく

すべては自分の心が鏡に映ったようなものが実体のように見えている…ということだと思います




たとえばあなたと友人がいて、

大きさの違う食べ物があったとして…

友人が大きい方を取った時に。。。

「あの人は汚い」という思いがあなたに浮かんだとしたら、それはあなたが汚いということになる…

それがいけないというのではなくて

そう思うのはなぜだろう?


もしあなたに汚さや誰かより得をしたいとかそんな心が全くなかったら…

誰かが大きな何かを取ろうと「汚い」という思いは浮かばないだろう

単純に「あの人は大きな方をもらえてよかったな」と思うだけかもしれない


この法則は他者への反応に応用できる


誰かに対して負の印象を持つならば…

そう思った人自身の中にその思いがある

もしくはどこかでそういった思いをさせられてきてそこへの反応が強いだけなのかもしれない

なにか強い反応があるところに

自分の中にそれがある

もしくはそういう場面をよく見てきた結果ということもある


私たちの姿は置かれた環境、見てきた景色、教えられてきたことで出来上がる

それが悪いからこうなったということではなくて

それはそれで…どうしたいかをすればいい




私たちが鏡の部屋の中で戸惑う動物を見て…

「全部自分なのになぁ」と笑ったりするのと同じで

他者との関係で喜んだり苦しんだり

期待したり恐怖したりしている私たちを見て…

「全部自分なのになぁ」とだれかが笑っているのかも。。。


ということは。。。

心が他者への思いやりと慈愛にあふれ

執着も怒りも恐怖もない人が存在したら…

その人にとってこの世はどう見えるか。

すべてが愛にあふれたすばらしい世界に映るのか…

その人の住む世界がどこであったとしても。。。


置かれた場所や比べる世界を見れば

自己の存在を否定したくなったり

置かれた場を悔やんだりすることもあるかもしれない。。


それはその他を知るからなるのであって、

それすらもある意味その感覚を知って豊かな人間性になってゆくというもの。


どんな時も…自己の心の浄化に励み

わたしでありつづける。

ということが大切(^^)


そしてこのような人は他者に良い影響を与えるだろうと思う

この人の存在は他者の中に眠る慈愛や幸福の要素を刺激して。

またその他の感情を刺激して…

刺激された側の自身を見る機会を作るだろう


そしてまた受けた反応が互いを育て合うという環境や…わかり合えるというものとなる可能性だろう(^^)


私たちははどこにいようとも

しあわせな世界に生きていて

周りの人たちとともにしあわせな世界へと自然に導くことができる


急にそのようにはなれないかも知れなくても。。

まずは他者の中からたくさんを学ぶ姿勢を心がけ自らの内側を見ていくこと。

他者の中に良い部分を見て…それを信じ自分の中にも必ずある同じ部分を見つけてみる


他者の中に悪い部分があっても…その裏側を見て寄り添い自分の中にも同じものがあると知り、それでも自らはどうありたいかを育てていく


たくさん出会う鏡を覗いて…

そこに自らを見ていくこと。。。

そして互いに育て合える関係を築けるのならそれはとても重要な存在。

そうやって育て合える喜びを知って

出会う鏡を見つけられたことや

その人たちに感謝を感じながらなにかを返していく。。




わたし自身…刺激的存在で(笑)

できるできないではなく

したいこと。在りたいこと。を選び…

自己として理想的な在り方へ、

それでいて無理のないそのままであり、

常には…ただただ、たったひと粒でしかなく、小さくあり続ける

その純度を保ち続けたいと思う(^^)




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