「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 江戸の吉原風情を大河ドラマにする意欲作
「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 江戸の吉原風情を大河ドラマにする意欲作
毎週水曜日はNHKの大河ドラマに関して話をしている。令和7年は「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」である。NHKのホームページによると「日本のメディア産業、ポップカルチャーの礎を築き時にお上に目を付けられても面白さを追求し続けた人物“蔦重”こと蔦屋重三郎の波乱万丈の生涯。笑いと涙と謎に満ちた“痛快”エンターテインメントドラマ!」とあり、日本のメディアプロデューサーの「草分け」を描く物語になる。
この主人公になる蔦屋重三郎は寛延3年1月7日(1750年2月13日) - 寛政9年5月6日(1797年5月31日)と50前に亡くなっている人物である。時代はちょうど田沼意次から松平定信に代わる時代で、田沼意次の自由な感じ、資本主義的な感覚から、急に松平定信の厳格な感じになる時代の変化が書かれることになる。
ではその主人公の蔦屋重三郎とはどのような人物であろうか。
蔦屋重三郎は寛延3年(1750年)に遊郭の街である新吉原で産まれたとされている。ちなみに「吉原遊郭」というのは「旧吉原」と「新吉原」がある。旧吉原現在の日本橋近く人形町のあたりにあった。しかし明暦の大火(明暦3年:1657年)に、朝倉裏手の現在の吉原といわれる場所日本堤(現在の台東区千束)に移転した。江戸に幕府が開かれると、仕事柄を求めて多くの武士が江戸にでてくることになり、男性が異常に多くなった。このことから、喧嘩などが多くなり、町人の間では遊郭など男性の為の遊び場を作ることを請願するようになる。慶長17年(1612年)、元誓願寺前で遊女屋を営む庄司甚右衛門(元は駿府の娼家の主人)を代表として、陳情した際に、「客を一晩のみ泊めて、連泊を許さない。」「偽られて売られてきた娘は、調査して親元に返す。」「犯罪者などは届け出る。」という3つの条件で陳情した結果、受理された。しかし、ちょうど大坂の陣があって設置は1617年となったのである。しかし、日本橋の横では徐々に大名屋敷(下屋敷)が隣接するようになり、風紀が乱れるということから幕府は明暦の大火を機に移転を命じ、信吉原になるのである。
さて重三郎は7歳の時に母と別れて喜多川氏の養子となり、その屋号である「蔦屋」を継ぐ。安永2年(1773年)に本屋「書肆耕書堂」を営むようになり、安永3年(1774年)に北尾重政の『一目千本』を刊行して以降、江戸日本橋の版元として化政文化隆盛の一翼を担い、大田南畝、恋川春町、山東京伝、曲亭馬琴、北尾重政、鍬形蕙斎、喜多川歌麿、葛飾北斎、東洲斎写楽など多数の作家、浮世絵師の作品刊行に携わった。
天明2年(1782年)から続く飢饉によって世の情勢は不安定な状況であり、これを打破するため田沼意次に代わり老中となった松平定信は、天明7年(1787年)に寛政の改革を断行した。飢饉に備えて質素倹約が奨励され、娯楽を含む風紀取締りも厳しくなり、政治風刺を含んだ黄表紙を相次いで制作し、発禁処分の扱いを受け、版元に対しても出版取締り命令を下し、出版物の表現内容や華美な着色、装飾などに対して規制が強められてしまう。その後出版から浮世絵の発行を行い喜多川歌麿や東洲斎写楽をプロデュースするが、体調を崩して47歳でこの世を去る。
この人物を描くということになる。
<参考記事>
『べらぼう』吉原を描く制作陣の思い 朝顔(愛希れいか)を通じて伝えたかったことも明かす
2025年01月05日 21:00まいなびニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/281d1c1bf9cb4a14389efe6236d19eef75ce91aa
<以上参考記事>
まず「べらぼう」とは、寛文年間(1661年~)に見世物小屋で評判になった「箆棒」という人物に由来するという。その人は全身が黒く、目は赤くて猿に似た要旨をしていたうえで、愚鈍で奇妙なしぐさをすることで人気があったという。そのことから「人におとり程度がひどいこと」ということから「馬鹿とか阿保」ちうような意味になるということになる。その言葉が「べらんめえ」という江戸言葉につながるのである。
蔦屋重三郎が(横浜流星さん)、向こう見ずで「べらぼう者」であったという事や、そのほかの人々も「ひどい有様」という感じの江戸時代中期、田沼意次の政治の時代から寛政の改革までの「町人と武士の格差」だけではなく「吉原という悲哀に満ちた格差社会」をうまく書いているということになる。
そもそも「吉原」という場所が、現代社会から身えば、ジェンダー差別・セクハラ・金銭的格差社会の象徴的な場所であり、国連辺りから見れば「人身売買の黒歴史」であったということになる。しかし、「捨てられた子供」であった蔦屋重三郎が、拾われた場所であり、また、ここにきている女性たちも、男たちも、「口減らし」等で来ている場所であった。餓死して死ぬよりは良いということになる。同時に「女性は容姿やサービスで扱いが違う」ということになり、その「実力主義の行き過ぎた格差社会」が現実であった。
今回、まさにその吉原の「実態」がしっかりと書かれていたのではないか。
花魁といわれる最高級の女性である花ノ井(小芝風花さん)と河岸見世にいる朝顔(愛希れいかさん)の差が非常に大きいことが見える。その中でも朝顔は、優しく、後輩の女性たちに自分が食べるべきものも譲ってしまうことで病気を悪化させて死んでしまう。死んでしまえば「稼げない」のであるから、「投げ込み寺」である「浄閑寺」に投げ込まれてしまう。そして衣服も物取りにはぎとられえて裸のまま埋められてしまうのである。「働かざるもの食うべからず」というような状況であり、それが、この時代の「吉原の現実」であった。
実際に、吉原を題材にするということは、性描写も含め、NHKのイメージとはかけ離れた映像を出さざるを得ない。昨年の大河の話をするつもりはないが、光る君への濡れ場等とは比べ物にならない。しかし、そのようにしていた女性たちも、今の女性たちも同じ日本人なのである。そのような現実があったこと、そして、現在新宿歌舞伎町などで街角に立っている女性も、似たようなものなのではないだろうか。そのような意味で「現代を風刺している」ということになる。
そして、その朝顔の死で何とかしなければならないと思った蔦屋は、結局田沼意次(渡辺謙さん)のところまで行く。その田沼意次に「お前は何をしたのか」ときかれ、「自分でできることは何もしていなかった」ということから「自ら努力をする」「工夫する」ということになる。他人に頼るのではなく、自分にあるもので、自分が何かをするということが、重要である。アメリカ大統領のケネディの言葉ではないが「あなたの国があなたのために何ができるかを問うのではなく、あなたがあなたの国のために何ができるのかを問うてほしい」という言葉は、「誰かい頼って、他人に責任転嫁をしているようでは、世の中は変わらない」という、現代人に最も欠けてている内容を訴えられたのではないか。
こうやって、江戸時代の「格差社会」を何とかしようとする男が蔦屋重三郎であったという物語である。
描写のすごさはあった。裸の女性が捨てられているという描写だけではない。稲荷役でナレーターの綾瀬はるかさんは、スマートフォンをもって登場するという驚きもあった。そのようにして若い人にもわかりやすくする工夫があったが、しかし、江戸時代にスマートフォンが出てくるのはいかがかというような驚きもあった。しかし、そのような枝葉末節のことは関係なく、そのようなことを、全て踏まえたうえで「何が大事なのか」そして「生きるということは何か」ということをしっかりと見てゆかなければならない。
今年も「合戦」はないが、面白そうな大河ドラマではないか。多分合戦を知るよりも大事なことで、現代の人々には欠けている何かを教えてくれるドラマになりそうだ。