今川焼の箱しなしなと渡さるる 木暮陶句郎
https://www.ne.jp/asahi/aaa/nakashima/book/harumi/2016gifu/bo-ha2016-gifu3.htm 【素描「風に聞いてくれ③」】より
昨年まで務めた教育大学での講義中の事である。「陶磁器とは狭くは施釉陶器と施釉磁器とに分けられるが、その違いは磁器には透光性があるが、陶器にはない。他に?」と問うと「磁器には磁石が入っている」と返ってきた。「瀬戸焼、美濃焼、有田焼。他に?」と問うと、「大判焼き」と返ってきたこともある。まだ今川焼きや鯛焼きでなくて良かった。秀逸は飲食器を問うた時である。土瓶と急須が出てこない。「お茶飲まないの?」との私の問いに、女子学生が自信に満ちた大きな声で「尿瓶!」と答えてくれた。さもありなん、彼らの生活に急須は身近なものではない。
大学に赴任してすぐに、学生が歓迎会を開いてくれた。陶芸専攻の学生が紙コップと紙の皿での歓迎会であった。「説教コンパ」になったのは当然である。そんな折も折、信楽の「陶芸の森」に講師として呼ばれたが、打ち合わせの会に出てきたお茶は、ペットボトルと紙コップであった。学生に「生活に根差していないのは僕かもしれない」と話したことを思い出す。
赴任したばかりのころは、お茶を飲みながら講義を聴く学生を厳しく叱ったが、教授会では学長がぺットボトルを口にしながら話していた。講座会議では、昼食を取りながら参加する教授も多数いた。
今日、職員会議を一人コーヒー飲みながら開いている私がいる。「進んでいるのか、ただの無礼者なのか?」時代の変化に自分の位置が測れない。
https://fragie.exblog.jp/32319444/【わくわくすること、それが陶芸であり俳句である】より
6月14日(月) 住吉御田植神事 旧端午 旧暦5月5日 緑蔭に憩う。
丸池公園の緑蔭にはいつも子どもをつれた家族連れの姿がある。
あまりおおっぴらには写真は撮れないので、紹介できないのが残念であるが。寝転がったり、お弁当を食べたり、キャッチボールをしたり、にぎやかである。
この木は子どもたちが大好きな木登りの木である。子どもたちの足がよくぶら下がっている。
都会の子どもたちは、木登りなんてなかなか出来ない。
ここは小さな田圃もあって、湧き水のある池もあり、たくさんの種類の木々となんとも良きところである。実は昨年はじめてこの公園を知ってやってきたのだが、そう、楝の花ざかりのときだった。夕暮近かったせいか、人影もなく、しずかだった。
そしてつぎにやってきた時は、雨がふりつづく紫陽花の花どき、やはり夕暮れだったためほとんど人がおらず、わたしは白いコートをはおってたぶん冥界からやってきた人間のようにうすぼんやりと立っていたのだと思う。そしてことごとくまわりがけぶっていた。
そこに母親に連れられて小さな男の子がやってきた。わたしを見上げて、母親のほうをむいて
「ユーレイ?」って言う。お母さん、あわてて「違うわよ、まったく、ごめんなさい」と申し訳なさそうに子どもの手をひっぱった。
わたしは両手を前にそろえて、「ひゅーどろどろ…」と言って子どもを脅かした。っていうのは嘘。ただ、子どもが怖がらないように「ニッコリ」笑っただけだった。
あとで、脅かしてやれば良かったなとおもったのだけど。。。失敗したな。。。
いつも明るい子どもたちの声にみちている公園であるが、yamaokaは、「幽霊として参上」したのである。それが可笑しくて、このブログにも書いてしまった。
新刊紹介をしたい。木暮陶句郎句集『薫陶』
四六判ハードカバー装帯有り 204頁 三句組 令和俳句叢書
陶芸家であり俳人である木暮陶句郎(こぐれ・とうくろう)さんの第3句集である。木暮陶句郎さんは、昭和36年(1961)年群馬県渋川市伊香保にうまれ、伊香保在住。「ホトトギス」同人であり、俳誌「ひろそ火」の主宰者である。また、陶芸家としても活躍をされ、伊香保焼きの窯元であり、ギャラリーのオーナーである。俳句においては数々の俳句の選考委員をされ、俳句大会の実行委員などもされている。日本伝統俳句協会会員、俳人協会会員、日本文藝家協会会員、日本現代詩歌文学館振興会評議委員。本句集は『陶然』『陶冶』に次ぐ第3句集となる。
『薫陶』は私の第三句集である。令和元年五月の「ひろそ火創刊一〇〇号記念祝賀会」の挨拶で「百という節目を迎え、主宰として率先して俳句を世に発表することの大切さを痛感しました。よってこれから三年間毎年句集を出版します。」と宣言してしまった。
第二句集『陶冶』は第一句集を出してから十六年半の歳月を要する難産だったが、令和二年立春、無事上木することが出来た。『陶冶』は第一句集『陶然』(平成十五年刊)から平成二十三年一月の「ひろそ火」創刊までの俳句を纏め、『薫陶』は「ひろそ火」創刊から八年四ヶ月の間、毎月積み重ねてきた俳誌が一〇〇号を数えた平成三十一年四月までの四四四句を収録した。そして元号が令和へと改まった五月以降の作品を次の句集に纏めるつもりである。
「あとがき」より紹介した。
本句集には、俳誌「ひろそ火」を立ち上げてからの8年4ヶ月の作品をまとめられたという。
虹色の鳩降り立てる初時雨 白が白汚してをりぬ春の雪
命とはときに尖りて青嵐 河豚食うて命の色を思ひけり
白菜の芯にありたる月のいろ
たくさんの好きな句はあったが、ここでは「色」にふれた句をいくつか紹介した。陶芸家でもある陶句郎さんだ。当然のごと、陶芸作品の色については戦いの日々であると思う。ただ、色について鋭敏であるということのみならず、色の捉え方がちょっと人とちがう。
白が白汚してをりぬ春の雪
「白が白を汚す」という表現、白は汚れのない色という固定観念をくつがえし、白が白をよごすことによってそこに複雑な白を読者に呼び起こす、そしてその白とは、「春の雪」の白についてであるというのだ。春の雪は水気をたっぷりと含んで冬に降る雪の峻厳さとはちがう鷹揚な雪である。解けやすく泥などによってすぐに汚れてしまう。その「春の雪」という季題を「白が白を汚す」という措辞によって見事に言い当てた。
河豚食うて命の色を思ひけり
河豚を食うて、命について思い巡らすのではなく、「命の色」を思うという。そこが面白い。陶句郎さんは、いったい「命の色」をどんな色にとらえたのだろうか。ここでそのことは言ってはいない。ただ、命に色があると言っているのだ。河豚を食うということと、命の色を思うということの間には、飛躍がある。なにゆえ河豚なのか、林檎であってはいけないのか、あるいは秋刀魚では、肉では、葱では、などと思っていくと、この「河豚」は、久保田万太郎が詠んだ、「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」の「湯豆腐」に匹敵するような揺るぎない季語であると思えてくる。「河豚」という季題が呼び起こす命という尊厳なもの。そしてその色。臓腑に染み込んでくるような一句である。〈白菜の芯にありたる月のいろ〉も白菜の芯から月のいろを見出す、いったい誰が白菜に月のいろがひそんでいると思っただろうか。わたしはこの二句を読んで、やはり陶芸家としての木暮さんの意識のありようをおもったのだ。作陶をするときに、卑近なものから形而上的なものまであらゆる万物にある色の気配、それらを身体全体で感じ取りながら、あるいはそれらと交感しながら陶器をつくりあげていくのでなないだろうか。そういう日々があって、読まれた色がこの句集には収められている。
たくさん好きな句があるのだが、ここではほんの一部の紹介にとどめたい。
しやぼん玉赤城榛名を裏返し
「赤城榛名」とは赤城山と榛名山のことだ。木暮さんは群馬県にお住まいだが、かつて埼玉県人だったわたしは、高校は熊谷で秩父から通っていたのだが、この赤城山も榛名さんも高校時代に山登りで行ったなつかしい山山である。どちらもよく知られた群馬県の山であるがその位置関係はくわしくはわからないのだが、伊香保にお住まいの陶句郎さんのところから、両方がよく見えるのだろう。しゃぼん玉をふくとくるくると回りながら回りの景色を映し出す。赤城山も榛名山も裏返って移り出す。その景色を一句にとどめた。「赤城榛名も」という措辞で大空のひろがりを見せ、「しやぼん玉」という季題をとおして故郷の山山へ挨拶をしたのである。
ふりだしに戻るめでたさ絵双六
これも好きな一句だ。絵双六で遊んでいて、「ふりだし」にもどってしまった。つまりは大いなる退行である。それを「めでたさ」ととらえる余裕がいい。新年をこころのそこから寿いでいるのだ。新しい年への挨拶句である。陶句郎さんという俳人が、楽観的でおめでたい人間だとおもってはいけいない。〈答へなど求めぬ命下萌ゆる〉〈燃ゆるとは衰ふること曼珠沙華〉なども好きな句であるが、つまりは、そこには人智をこえた人間のわざではどうしようもない万物のありように頭を垂れてそのことを受け入れようとしている木暮陶句郎さんがみえてくる。〈陶土てふ黙深きもの今朝の春〉という句にあるように「土」が語るものの大切さをよく知る陶句郎さんだ。
校正のみおさんは、〈十指みな吾の分身陶はじめ〉の句が好きであるということ。「まさに『手仕事』という思いがします。」と。
今回の句集名「薫陶」は「ひろそ火」から優れた俳句作家を世に送り出したいという願いと、陶芸家としての「陶」の字へのこだわりによるものである。これで平成に詠んだ俳句を纏めた三冊の句集名には全て「陶」の字を冠したことになった。還暦という人生の節目を前に、このような句集が上梓出来たことはまことに嬉しい。まずは、「ひろそ火」の仲間たちに「ありがとう」と申し上げたい。そして、師である稲畑汀子先生、廣太郎先生に感謝の意を表したいと思います。「あとがき」を抜粋して紹介した。
本句集の装釘は和兎さん。
カバーと扉には、木暮陶句郎さんの手による作品「蒼流秞向付」を装画として配した。
作品をお借りして、カメラマンの各務あゆみさんに和兎さん立ち会いのもとで撮影をしてもらった。
表紙布クロスは、土をおもわせるような色会いと光、それもよくねられた色である。
見返し。
扉。
花布と栞紐は赤。
陶句郎さんのご希望だ。
水と土ぶつけて轆轤始かな
美しい日本の四季の移ろいに心を置き、五感のアンテナをしっかりと働かせながら、愛という詩情を季題に託しつつ俳句を詠み続けてゆきたい。(著者)
本句集を上梓された木暮陶句郎さんが、近影のお写真と「『薫陶』出版に思う」と題して、お言葉をくださった。
紹介したい。
流れに身をまかす生き方をしていると不思議とわくわくすることに出会う。私にとってそれが陶芸であり俳句であった。陶芸に導かれたのは十四歳のとき。陶芸家の先生から直接轆轤を習い、その面白さに引き込まれていった。それから趣味として続けてきた陶芸だったが、なんとか本業にできないかと考え二九歳で陶芸用の電気窯を購入。その時お世話になった陶芸材料店の主人が俳誌「ホトトギス」の同人だった。勧められるままに句会に参加し、その刺激的な十七音の世界に魅せられてしまったのである。それからは新聞投句に熱中、句会にも多く参加するようになった。その後、日本伝統俳句協会賞を受賞し「ホトトギス」の同人となった。ちょうどその頃、本格的なガス窯を築き陶芸家としての第一歩を踏み出したのだ。日展に二度の入選を果たし、高崎・横浜髙島屋や新宿京王百貨店などで年二回のペースで個展を行ってきた。俳句では句歴十年の節目に朝日新聞社より第一句集『陶然』を出版。すると地元紙に大きく取り上げられ、群馬県内各地で指導句会が立ち上がっていった。その仲間が月刊俳誌「ひろそ火」創刊を大きく後押ししてくれたのである。私はつくづく出会いに恵まれていると思う。「ひろそ火」の運営に力を注いでゆくなかで東京支部、埼玉支部ができ仲間の輪が少しずつ広がっていった。第二句集『陶冶』は「ひろそ火」創刊一〇〇号記念祝賀会の折りに「朔出版」の鈴木忍さんから声をかけて頂き即座に出版を決意した。そして今回の第三句集『薫陶』も「ふらんす堂」さんに「令和俳句叢書」のお誘いを頂き流れに身をまかすように上木したのだ。俳句は人生の断片である。『薫陶』に収録されている俳句はみなそれを詠んだときの記憶が鮮明に蘇ってくる。陶芸家としての視座で、また、「ひろそ火」主宰として、そして何も肩書きのない素の自分を、季題に託して詠んだ愛おしい四四四句なのだ。
昨年、今年とコロナ禍にあってさまざまに活動を制限されてきたが、句集を編むのにはとてもよい時間だった。また陶芸の方にも不思議なオファーが舞い込んできた。大阪あべのハルカスの近鉄百貨店本店アートギャラリーでの個展である。会期は令和4年10月5日(水)~11日(火)の一週間。準備期間は今から一年四ヶ月ある。その間にどんな陶芸作品を創作できるかを考えるとわくわくが止まらない。これからも自分の直感を信じて、わくわくすることに向き合って行きたい。そして流れに逆らうことなく人生を歩んでゆければとても嬉しい。
主宰誌「ひろそ火」五月号。
「還暦」を今年迎えられる木暮陶句郎さんである。
御句集上梓とともにこころからのお祝いを申し上げたい。