タイパ、時は金なり?
こんばんは、深森です。
明けましておめでとうございます。
長い年末年始をどのようにお過ごしでしょうか。
久しぶりに長いお休みということでゆっくり過ごしています。
久しぶりにゆっくり読書をしたいと思って手に取ってみたのがモモでした。
ちょっと抜粋します。
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時間をケチケチすることで、ほんとうはぜんぜんべつのなにかをケチケチしているということには、だれひとり気がついていないようでした。
じぶんたちの生活が日ごとにまずしくなり、日ごとに画一的になり、日ごとに冷たくなっていることを、だれひとりみとめようとはしませんでした。
でも、それをはっきり感じはじめていたのは、子どもたちでした。
というのは、子どもにかまってくれる時間のあるおとなが、もうひとりもいなくなってしまったからです。
けれど時間とは、生きるということ、そのものなのです。そして人のいのちは心を住みかとしているのです。
人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそっていくのです。
ミヒャエル・エンデ モモより
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まるでタイパ重視の現代を象徴しているようですが、この小説が書かれたのは1960年代。
それから60年以上経った今、タイパ重視という言葉も生まれましたが
いつも時間に追われて怒りっぽく不機嫌で、ゆとりのない日々を送る中で、コスパだタイパだとせかせかしがちですけど、意味のない時間なんてないなぁと最近よく思っていたところで、たまたまこれを読みました。
ゆとりを持って人の話を傾聴するって難しいのですが、何もしない時間を過ごしたっていいし、生産性のない時間を過ごすっていうのは逆に豊かなことなのかもしれません。
年始だからと頑張って目標を立てなくてもいいし(何年か前の年始に言ってたことと真逆ではありますが)
ただただ豊かな時間を取り戻せるようにと思っています。
深森