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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

前宗教改革5-フス戦争でボヘミアの荒廃

2019.01.25 11:04

フスの火刑はかえってボヘミアの騒乱を助長してしまった。ヴァーツラフ4世はプラハ市参議会からフス派を追放したが、これが契機となって1419年、ドイツ人市長と市議員全員を窓から放り出すという「プラハ窓外投擲事件」が勃発した。このショックで王は亡くなってしまい、弟で神聖ローマ皇帝ジギスムントがボヘミア王を宣言した。ところが、フス処刑に手を貸した皇帝をフス派はボイコットし、ここにフス戦争が始まった。

皇帝はフス十字軍として2万人の兵を連れて攻め込んだが、ここに立ちはだかった男が居た、ヤン・ジェシカ又の名を隻眼のジェシカである。彼は元傭兵で、ヴァーツラフ4世の軍事顧問となっていたが、非常に戦術に優れ、チェコのフス派を国民軍のような規律ある軍にまとめあげた。政治的目標も「プラハ4カ条」として、皆が団結したのである。

すでにゲリラ戦を展開していたジェシカには戦争準備万端。しかも彼は馬に曳かれた装甲戦車を発明し、火縄銃まで装備していたのである。プラハのヴィシェフラドの丘をめぐる戦いで、舐めた十字軍騎士の突撃は、クロスボウと火器の攻撃と戦車の突進にパニックとなり、戦車の後についてきた歩兵に降伏も許さず殺害され、大敗を喫した。

その後も十字軍が組織されて戦争は続いたが、他国の攻撃を撃退すると、ボヘミア内部で急進派と穏健派に分かれてしまい、今度は国内が混乱することとなった。1424年、頼みの司令官ジシュカがペストのため没すると、各派の統制もとれなくなり、穏健派はカトリックと交渉し、1431年のバーゼル公会議で交渉が行われ、34年リパニの戦いで急進派が大敗し、36年フス戦争は終結し、黄金のプラハは荒れ果ててしまった。

下はフス派の戦車