褪せていくことは、生きる上で大事な現象
2025.01.18 08:13
以前 日本のいろの呼び名でいくつか書いていて。
色名は時代で変わっていく。そして平安時代その色の命名が行われた時のそのものの色は私たちがわかっているか?再現できているか?本当のところはわからないらしい。実在するものは色褪せ断片となり現存をとどめない。
私は古裂に惹かれる。美術館でもその有り様を糸の折られている様子、そしてはるか昔のそもそもを想像してみる。先日五島美術館の展示を見に行った。折しも茶道の年の瀬「神無月10月」。古いものや金継ぎしたもの、組み合わせて楽しむ季節。それにこの企画をぶつけたのだろうか。なんと粋な。
色あわせ、織、着物も大好きなので、ついつい何時間も見入ってしまう。
いずれ仕覆作りにも挑戦したい。
紙とくに和紙が大好きでもある。紙の肌触りや、折ったり包んだりするときの質感がたまらないのだ。
さて本題の「褪せる」だ。
空気にさらされるものは押し並べて風化し褪せていくのだ。
褪せる と書くと少し切ない。
しかし褪せていくことは、大事だ。
思い出も、いつまでも鮮やかに心に残っては辛いだろう。それが楽しい思い出であっても。
ところところ記憶に曖昧という虫食いがあってこそ、愛おしくなる。たとえそれが悲しい思い出であっても。
褪せることで想像という都合のいいシステムが頭の中で作動する。
褪せることは人を癒し救っている現象なのだろう。