強い絆と弱い絆の話
みなさまこんにちは
最近ついにテストが近づいてきて少々忙しい日々を過ごしています。今度のテストが人生で最後の可能性があると思うとなんとも言えない荒涼とした気持ちになりますね。
私自身はテストは苦手ではなかったことから結構好きな部類だったんで名残惜しいです。
さて、今回は「弱い絆と強い絆」の話をしようかと思います。
いきなりなんの話なんだって話になるかと思います。
少し前に大学の友達の実験に行きました。実験自体は集中力に関する実験だったんですけれど、その時にとある文章題を解かされたんですよね。
あとで聞いたところそれはとある私立中学の入試問題だったらしいですが、その時の文章がなかなか興味深いものだったので記事にしようと思ったのが今回の記事のきっかけです。
と言うわけで内容に入って行こうと思います。
まず強い絆と弱い絆の定義からして行こうと思います。
強い絆とは家族や中のいい友達などの自分自身をよく理解してくれている人との絆を指します。
一方で弱い絆とはビジネスの場面で偶然知り合った人やバーで偶然話しかけた人のようなほぼ初対面に近い人との絆を指します。先ほどの強い絆に呼応するように表現すると、自身に対する理解が浅い人との絆ということです。
このように人との関係を強い絆と弱い絆に分類する中で、日々の生活の中で強い絆と弱い絆のどちらが必要であるなどは別にありません。時と場合によるということです。
例えば、相談をする際に同感や解決策を求めている場合は自分に対する理解が深い人の方が適任だから強い絆が優先されます。
一方で相談の際に新しい選択肢を求めている場合はむしろ関係の浅い人の方が適任であることから弱い絆が優先されます。逆にこの際に強い絆のある人に相談する場合に結局自分自身の中での結論からあまり変わらない回答になってしまう可能性があります。相手が相談主に向いていることなどを考慮して提案することになるからです。
この例の中での弱い絆というのは非常に価値のあるものであると私は考えています。
私たちは結局自分の知っている世界の中でしか生活ができない存在ですので、その世界を広げるという行為は非常に意義深いものであると私は思います。その効果は価値観を広げることやより人生を豊かにすることに直結すると思います。
これは昔の記事の中でもあった経済学の概念の一つの限界効用逓減の法則にも話が繋がっています。簡単にいうと同じものを続けるよりも違うものをいくつもやる方が基本的に幸福度が高くなるというものです。なのでいろんなものをする方がいいのかなと私は思います。
では強い絆と弱い絆が各々必要であるということがわかった上でネット上の繋がりはどちらになるのかという話です。
一般に、ネット上では情報が無限に存在することから弱い絆的繋がりがメインなような気がします。しかし、筆者の主張ではネット上の繋がりはむしろ強い絆的繋がりがメインであるとしています。
その理由は単純で、SNSにしろなんにしろ自分の興味のない範囲の情報をシャットアウトするシステムが構築されているからです。結果的に自分の知っている世界の情報しか入ってこないということになります。
この理屈は私は非常に納得できるものであると思います。
この話に関連する話を昔とある教授にされたことがあります。日本経済新聞などの新聞についてなのですが、教授はネットでニュースを読むのではなく紙の新聞を読むべきだと言いました。
当時、私はネットでニュースを見ることが非常見多かったので多少の反発はあったのですが、教授はネットではニュースの中でも自分の興味のあるものしか目にしないが紙媒体だと否応無く数多くの情報が存在するから紙媒体の方がいいと言っていました。
当時も私はとても納得しましたし先ほどの強い絆と弱い絆の話に繋がっている面白い話だなと文章を読みながら思い出していました。
結論というかまとめると、強い絆と弱い絆の両方を取捨選択しながら行きていくことが重要だと思います。そのTPOが一番難しいところなんですけれども。
今回はこの辺りで終わりにしようと思います。次回はできれば1月中にと思っていますがテスト勉強の進捗でどうなるかわかりません。それと、今回の記事の元になった文章が私はわからないので参考文献が出せません。もしもご存知であれば一方いただければ幸いです。
それではまた次回お会いいたしましょう。