香落渓こぼれ話#1
「んーっ、やっぱ、外の空気はいいなー」
3日ぶりに玄関の外に出て、朝の清々しい空気を吸って、千乃介は思いっきり伸びをした。
まだ、少し身体が痛みはするが、動くには全く支障はない。傷の癒える間、不本意ながら世話になった狭霧の香落渓の家を去る日だった。
「世話になったな、三太。じゃあ、俺、行く・・・」
千乃介は振り返り、残る家の住人二名にそう挨拶をしかけた。
「じゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃいませ。道中お気をつけて」
制服姿の狭霧が長柄から千乃介の荷物を受け取り、千乃介の横を通り過ぎてさっさと歩きだした。
長柄がぺこりと頭を下げるのへ挨拶を返すと、慌てて千乃介は狭霧の後を追った。
「おい、それ俺の荷物・・・」
「構わん」
「何が構わんだ。お前一体・・・」
千乃介が追い付いたところで狭霧は足を止めた。その顔を見て千乃介は悪い予感がした。
まさか・・・
「・・・まさか、俺を箱根まで送るつもりか?」
「そうだ」
表情を変えずに狭霧はあっさり返した。
「じょーだんじゃねえっ。俺は一人で帰る。だいたい何だってお前が・・」
「お前がどう思おうと、俺は一乃介さんにお前のことを頼まれてる。一乃介さんに無事引き渡すまで約束を果たしたことにはならないからな」
千乃介の剣幕を全く意に介さずにそう言うと狭霧は再び歩き出した。
狭霧にとって、恩義のある一乃介との約束は絶対なのだ。つまり、どう言っても自分を一人で帰す気はないらしい。それを悟って千乃介はがっくりと肩を落とした。
「おい、何やってる。置いていくぞ」
数メートル先で足を止めた狭霧が振り返り、千乃介にそう声をかけた。千乃介はしぶしぶとその後を追った。
「何だ、変な顔をして」
自分の後をついてきた千乃介の表情を見た狭霧が聞いた。千乃介は大袈裟な溜息をついた。
「いや・・・こんな中坊みたいな見てくれの奴に箱根まで付き添われる俺って、傍から見て何なのかな・・・」
「・・・どういう意味だ」
憮然として狭霧が言った。