『パシリは、観ていた』著者:空川億里
葦名和男は、スマホを見た。十二月三日土曜の午後六時半。ちょうど今京浜東北線蕨駅前のスーパーで、ビールやつまみを買ったところだ。店でもらった、商品の入った白い袋をさげながら、そこから歩いて、葦名より二歳年上の壺屋晴人の自宅に向かった。
晴人は時間にうるさく、少しでも遅刻すれば殴られるので、足早に先を急ぐ。十分後壺屋邸が見えてきた。二階建てプラス地下一階の大きな家だ。ここに晴人はたった一人で住んでいる。
最近まで晴人は女と同棲していたが、現在は解消していた。晴人に特別な用がない限り、毎週土曜夜七時から、葦名はここで飲んでいた。晴人が女と別れる前は、彼女も入れて飲んだ時もある。
葦名と晴人は同じ大学の同じサークルで知りあい、社会人になってからもつきあいが続いていた。半年前、この飲み会に晴人が連れてきた樫原という男が加わる。晴人と同じ埼玉県の蕨市内に住み、合コンで知りあったそうだ。
年齢は葦名より一歳上の三十歳だった。門柱のインターホンのボタンを押すと『開いてるから入れ』という晴人の野太い声が流れる。葦名は返事をすると門を開け、そこから玄関のドアまで歩き、施錠してない扉を開いた。
廊下には、値の張りそうなじゅうたんが敷かれている。壺屋晴人は父親の悟に勘当されて神田駅の近くにある実家を追われ、一年前から、ここにいた。靴を玄関で脱いだ葦名は階段で、地下一階に降りる。廊下を歩き、地下室に一つだけあるドアをノックした。
「さっさと入れよ」
ぶっきらぼうな命令が、中から響く。恐る恐る、葦名は地下室の扉を開いた。地下室という名前のイメージと異なり、中は小奇麗だ。室内のソファーに晴人がいる。彼は身長一七〇センチで、筋肉質のごつごつとした体型をしていた。
スポーツ万能で喧嘩も強く、勉強もできる男である。目つきはナイフのように鋭く、丸太のように太い腕を組んでいた。樫原の姿もある。顔はそうでもないが、樫原の体格は晴人と似ていて、身長も同じ一七〇センチだ。
それで葦名は以前『二人共兄弟みたいすね』と話したら、『おれの方が男前だ』と晴人に激高され蹴られたので、同じ台詞は吐かないようにつとめていた。
「お前のスマホを預かる」突然、晴人が宣言した。「以前スマホなくしたろう。なくさないよう明日帰るまで預かっとく」
突然の申し出にびっくりしたが、逆らったら何をされるかわからないので、素直に渡す。晴人はスマホを地下室の隅の金庫に入れ、数字錠を回して施錠した。ちなみに地下は三つ部屋があり、今二人のいる大部屋と、隅のトイレと、大部屋に隣接する小部屋があった。大部屋と小部屋の間にはめ殺しの大きな窓があり、小部屋の中が見える。
小部屋にはDVDプレイヤーとリモコンがあり、そこで操作して大部屋のモニターに動画を映せた。プレイヤーとリモコンは以前大部屋にあったが、酔った晴人が壊したので、元々大きな一つの部屋だった地下室の端に壁を作り小部屋にして、なおかつ壁にガラスをはめ、小部屋から操作する形にしたのだ。
部屋の改築にも壊れた設備を買いなおすにも金がかかったはずで、多額の借金をしたのを理由に勘当されたにも関わらず、晴人の浪費癖は治ってなかった。彼は部屋の隅にある冷蔵庫から高そうなワインを出すと、中身を葦名に三つのグラスに注がせ、早速自分は一瞬にして、中身を干す。
彼は水のように酒を飲むが、葦名はすぐに顔が赤くなるのが、自分でもわかる。飲み会はいつものように、晴人の自慢話を延々聞かされた。どの女と寝ただの、競馬やパチンコで勝っただの、そんな話ばかりである。
やがて酔いの回った晴人が、二本目の赤ワインのボトルの中身を、まだほとんど飲んでない状態で、隣にいた樫原の服にぶちまけた。樫原の白いフリースに、真っ赤な染みが広がってゆく。
「悪かったな」呂律の回らぬ口調で晴人が、声をかけた。「今着がえを出してやる」晴人は部屋の隅にあるクローゼットから、全て黒一色の帽子とグラサン、セーター、ジャケット、チノパンとマフラーを出してきた。「おれがふった女が着ていたペアルックだ。全く同じのをおれも持ってるから、持って行っていいぞ。未練を断つにはちょうどいい」
晴人とつきあっていたその恋人は、女性にしては長身で百七十センチあり、彼女の着ていた服を、樫原が普通に着られた。晴人はふったと説明したが、実際は彼の暴力に耐えきれず、逃げだすように出ていったのを葦名は知っていた。
「すんません。壺屋さん、マジでありがとうございます」
ワインをこぼした晴人の方が悪いはずだが、樫原は何度もペコペコしながら、感謝の言葉を述べた。
「これ、クリーニング代。釣りはいらない」晴人が一万円札を樫原に渡したので、内心葦名は仰天する。晴人が人から金をたかるのは何度も見てきたが、逆のケースを見たのは初めてだ。「お前さんも、金で困ってるみたいだしな」
「ありがとうございます」樫原は、さらにぺこぺこした。「競馬でだいぶスッちゃって……次は万馬券当てますよ」
樫原も晴人と同様浪費家で『金がない』が口癖だ。ここへ来る前の晴人同様多額の借金を消費者金融からしており、葦名も何度か金を貸したが、返ってきた試しがなかった。やがていつものように眠くなった葦名に対し、晴人は『その辺で寝ろや』と声をかけた。
この地下室は時計がないので正確な時刻はわからぬが、多分夜中の十二時位か。葦名と樫原はいつものように部屋の隅のじゅうたんの上に寝て、晴人は一つだけあるベッドの上で寝た。暖房が効いてるので、毛布は不要だ。やがていつしか、葦名は眠りに落ちていた。
*
どれだけ時間がたったろうか。深い眠りに落ちた葦名は、いつしか目が覚めていた。窓がないからわからぬが、多分今は朝だろう。室内に時計がないので、正確な時刻はわからぬが。「ようやく起きたな」すでに起きて、煙草を吸っていた晴人が声をかけた。
「樫原はどこへ行ったんすか」
室内には二人しかいない。
「風邪気味とかで家に帰った」それを聞いて、葦名は再び驚いた。晴人は舎弟を風邪気味程度で、帰宅させる男ではない。どういう風の吹き回しか。「今日はこれから映画を観る」唐突に、晴人が宣言する。映画好きの彼は今までも、突然こんなふうにのたまう時があった。「めったに映画を観ないお前は知らんだろうが『ニューシネマパラダイス』というイタリアの名作だ」得意げに話しながら、棚からDVDを取りだし、パッケージに書いてある上映時間を葦名に見せた。「この通り一二四分だ」それから晴人はボールペンとメモ帳を葦名に渡す。「後で感想書かせるから、必要ならメモっとけ」
当然のように命令すると晴人はパッケージから出したDVDを持って、小部屋に入った。プレイヤーにDVDを入れるのが、窓から見える。その後彼が小部屋でリモコンを操作すると、大部屋のモニターに画像が映る。その後晴人は大部屋に戻り、しばらく男二人で映画を観ていたが、作品が始まり三分程たった頃、晴人が突然声をあげた。
「お前知ってるだろう。おれと大学の同期の宮城。あいつがハリウッドスターの来るプレミア試写会に当たったけど行けなくなって、おれに譲る話になってたのを忘れてた。今日、秋葉原のガンダムカフェで受けとる話になってたんで、今から行くわ。ちゃんと観とけよ。早送りとかできないようにしとくから」
晴人はリモコンを小部屋に置いて、大部屋側から施錠すると、鍵をチノパンのポケットに入れた。そして黒いジャケットを着て帽子をかぶり、黒いサングラスをかけた。帽子もマフラーもチノパンも、手にしたスポーツバッグも黒だ。
「今午前十時四十分だ」自分の腕時計を見ながら、晴人が話した。「映画が終わるまでに帰れると思う。お前が途中で逃げないよう、外からここに鍵をかける」
彼は地下室を出て、扉を閉めた。廊下からドアを施錠する音がする。ここの扉は中から開錠できない作りだ。葦名は一人で観賞を続けた。舞台は第二次大戦後間もないシチリアで、娯楽の少ない小さな村に一つだけある映画館をめぐる物語だ。
主人公の少年のいきいきとした表情や、周囲の個性的な人達が印象的だった。葦名は時間がたつのも忘れ、作品世界に没頭する。やがて上映終了間際に、地下室のドアを開錠する音がして、晴人が再び現れる。
「この映画、良かったです。心が洗われる気がしました」
「そうだろう」満面の笑みを浮かべ、晴人が答える。「そういや、スマホを返さんとな」
彼は金庫からそれを取りだし、葦名に渡した。スマホの時刻表示を見ると、昼の十二時三十五分。映画はさらに五分後の十二時四十分に終了する。
「もう帰っていいから、今日中に感想文書いて、メールで送れや」
言われた通り晴人の家を出た彼は、蕨駅から東京方面に向かう京浜東北線の車両に乗り、三駅隣の赤羽で降りる。ここからさらに十五分ほど歩いて帰宅した。部屋に戻った彼は、テレビをつける。観たい番組は特にないが、家にいる時は大抵電源をオンにしていた。
机に向かい、映画の感想をスマホで書いてメールで晴人のスマホに送る。やがてテレビはニュースをはじめた。女子アナの切迫した声が、テレビのスピーカーから流れでた。『たった今、衝撃的なニュースが入りました。本日午前十一時頃警察へ通報があり、警察官が都内千代田区に住む会社社長の壺屋悟さん宅にかけつけると、悟さん本人が遺体で発見されました。遺体は背中から包丁で何度も刺されており、出血多量による死亡と思われます』
葦名はテレビを凝視した。晴人の父の悟とは、以前神田の豪邸で会った記憶がある。まさか知りあいが殺されて、ニュースのネタにされるとは……。
*
警視庁捜査一課の左近警部補は、神田駅に近い壺屋邸の前で車を降りた。今日は十二月四日の日曜。腕時計を見ると、午後一時だ。神田署からの情報を要約すると、今日の十一時十一分に、北海道に住む壺屋孝美という女性から一一〇番通報があった。
彼女は今朝の十時半頃から、この豪邸に住んでいる息子の悟のスマホに電話をしたそうである。特別な用があったのではなく、最近声を聞いてないので連絡をして、ついつい長話になってしまったのだが、十一時頃突然悟がうめき声をあげ『刺された……義明……』と言ったきり、電話が切れてしまったのだ。その後孝美はかけなおしたが、呼び出し音は鳴るものの誰も出ず、不安になって警察に通報したのである。
最寄の交番の警官が現場に到着したのは、午前十一時半だった。施錠してない門と玄関を開け、入ってすぐ左にあるふすまが開きっぱなしの和室を見ると、うつぶせに倒れた白髪の男と、茫然自失の表情で立つ若い男の姿があったのだ。
若い男の服は、血で汚れていた。倒れた白髪の男の背中には包丁が刺さり、血が流れていた。どう見ても死んでいる。そばにスマホが落ちていた。警官が若者に話を聞くと、倒れていたのが悟で、若者がその息子の壺屋義明だった。
車を降りた左近警部補は、壺屋邸の中に入った。義明は、制服の警官と一緒に応接室のソファーにいた。左近は手帳を見せながら、自己紹介する。
「早速ですが、お話をうかがわせていただきます」左近は向かいのソファーに腰かけながら、声をかけた。「最初にここへ急行した警官の話では、義明さんは今朝の十一時二十分に帰宅されたそうですが、それまではどこへいらしてたんですか」
「恋人のマンションです。ここのところ毎週土曜の夜は彼女の部屋で過ごして、翌朝日曜の十一時代に帰宅するのが週末の日課になってました」
「その彼女はまだマンションにいらっしゃいますか」
「そのはずですけど」
「マンションの場所はどこですか」
「ここから歩いて十分のところです」
「恐縮ですが、マンションの住所を教えてください」
義明が口頭で伝え、左近がそれを手帳にメモした。
「あなたが帰宅した時、玄関や門は施錠されてなかったんですか」
「どっちも鍵はかかってません。午前十一時代に帰宅するのがわかってたので、親父はいつもそれにあわせて鍵を開けといてくれたんで」
「あなたの服に血がついてますが」
警部補は、左近の服にひろがった染みを見ながら質問した。
「まだ親父に意識があると思い、起こそうとした時血がつきました。すぐに救急車を呼ぼうと立ちあがったんですが、恐怖で足が震えてしまって……気づいたら、こちらのおまわりさんが玄関から入ってきて」
「お父様の背中に刺さっていた包丁ですが、この家の物ですか」
「いつも、うちの台所にあるやつです」
「犯人に心当たりは、ないですかね」
「息子のぼくが言うのも何ですが、温厚な性格で、恨まれる人ではないです」
「ご家族の方は、他には」
「ぼくと親父の二人暮らしです。お袋はぼくが幼い頃病死しました。三歳上の兄貴は一年前ここを出て、埼玉県の蕨市で一人暮らしです」
「お兄さんは、壺屋晴人さんですね」
「よく知ってますね……いや、当然か。札つきの不良でしたし」
晴人は十代の頃から万引きや暴力沙汰で、何度も警察の厄介になっていた。
「どうせばれるから話しますけど、兄貴は金遣いが荒くて、消費者金融から多額の金を借りて、返済の目処がたたなくなり、さすがに温厚な親父も怒って追いだしたんです。蕨に家を親父が買って、住まわせたんです。借金も、親父が返しました。その代わり二度と借金の肩がわりはしないし、うちの敷居はまたぐなと言いまして……。そういえば思いだしましたが、ここへ来る途中『ボンジュール急便』の制服を着た人とすれ違いました。両手に荷物らしいダンボール箱を抱えてました」
ボンジュール急便と言えば、大手の宅配業者である。赤いキャップ式の制帽と、紅白のボーダーの制服で有名だ。
「それが変なんです。制帽を深くかぶって、わざと顔が見えないようにしてる感じで。今思えば、あいつが犯人だったのかも」
義明への尋問を終えた左近は、捜査一課の鯨井警部にスマホで電話し、現在判明した事実を報告した。
「先程第一発見者の義明さんから晴人の住所も聞いたんで、何ならこれから蕨までひとっ走りして、晴人に話を聞いてきましょうか」
「手回しがいいな……じゃあ頼む。管轄外だから、おれから埼玉県警に一報しとく」
左近は部下の運転で、埼玉へ北上した。やがて埼玉南部にある蕨駅の近くに来たのでコインパーキングに駐車して、晴人の家に向かって歩いた。到着するとインターホンのボタンを押す。腕時計を見ると、午後三時を過ぎていた。しばらくたつと玄関が開き、筋肉質の若者が現れた。左近は自分の手帳を見せる。
「お父様の件でお話を伺いにきました。壺屋晴人さんですね」
「そうですが……中へどうぞ」
二人の刑事は一階の応接室に通された。天井からは高そうなシャンデリアが下がっている。左近達は晴人と向かいあう形で、値の張りそうなソファーに座った。
「こんな時に恐縮ですが、今朝の十一時前後、どこにいらっしゃったか教えていただきたいのですが」
「もしかして、おれが親父を殺したって思ってますか」
晴人のナイフのように鋭い目が、穴のあく程左近の顔を凝視した。
「今日来たのは、あなたに対する疑いを晴らすための訪問です。アリバイのある方を一人ずつ除いていけば、真犯人につきあたります」
「疑われるのも無理ないです」晴人は、視線を床にそらした。「でも、親父には何の恨みもありません。全ておれが悪かったと反省してます」晴人は一瞬黙りこんだが、ぽつり、ぽつりと話しはじめた。「実はゆうべから後輩の葦名って男と飲んでまして、昨夜はそのまま寝ちまいました。朝起きて十時四十分にここを出て電車に乗って、秋葉原のガンダムカフェで十一時半に待ちあわせた友達から、試写会の招待状をもらいました。つまり十一時には電車の中です」
あまりにも、すらすら何時にどこにいたか出てくるので、左近は違和感を覚えた。
「ぼくもさっき蕨駅前に駐車してからここへ来たけど、歩いてここまで十分ですね。すると、晴人さんがここを出て蕨駅に着いたのは十時五〇分位ですか」
「多分そうです。スマホの乗り換え案内のアプリで発車時刻を調べた記録が残ってます」晴人はスマホを操作した。「十時五四分の京浜東北線磯子行に乗って、十一時十九分秋葉原着です。ご存知と思いますが、蕨駅にはJRの京浜東北線しか停車しません」
「電車はスイカを使ってますか」
スイカの履歴を調べれば、実際にその路線をその時刻に使ったかわかるので、聞いてみた。
「普段はそうですが、蕨駅に着いた時、いつもサイフに入れてるのになくて、切符で秋葉原まで行ったんです。帰りはスイカをスポーツバッグに入れたのを思いだし、そこから見つかったんで使いましたが」
「ちなみに帰りは何時の電車を使いましたか」
「十一時三十六分秋葉原発の京浜東北線南浦和行に乗って、十二時一分蕨駅に到着です」スマホでアプリを確認しながら、晴人が答えた。念のためアプリのルートメモを見せてもらったが、確かにそうなっている。「そこからちんたら歩いてここに着いたのが十二時二十分頃です。この家にまだ葦名がいたので、彼が証明してくれますよ。今日はおれが秋葉原に行って戻るまでの間、ここで映画を観てましたから」
「一緒に観たのではなく、あなただけ外出したんですか」
「最初二人で観ようとしたんですが、招待状もらう約束を思いだしたんで」
「ちなみに外出する時、あなたはどんな服装でした」
「帽子にマフラー、ジャケット、手袋、ズボンにグラサン、全部黒です」
「お父様を恨んでる相手に心当たりはないですか」
「親父は温厚な性格で、敵なんていませんよ。強盗のしわざじゃないんですか」
「その可能性も含め捜査中です」そう答えたが、盗られた物が何もないので、可能性は低かった。「それから、葦名さんが映画を観た部屋に案内してください」
晴人の案内で、二人の刑事は地下一階に降りた。階段を下りると通路があり、その通路に一つだけあるドアに向かってこの家の主人が進んだ。左近達も後に続く。晴人がドアノブについたサムターンキーをひねって扉を開錠する。
「このドア面白いですね」左近が話した。「普通ドアのサムターンキーは室内にあるものなのに、ここは廊下側にあるんですか」
「不動産屋の話だと、前の持ち主が猫を飼ってて、ジャンプして内側から鍵を開けてしまうので、外につけたと聞きました」
晴人が答えた。部屋は長方形で八畳位あるだろうか。地下室なので、窓はない。棚があり、映画のDVDがたくさんある。部屋の一角に、大きな液晶モニターが鎮座していた。
「DVDプレイヤーが見あたりませんが」
晴人は、液晶モニターがある一角とは反対側の、隣の小部屋を手でさししめした。小部屋と大部屋をしきる壁には、大きなはめ殺しのガラス窓がついている。その向こうにプレイヤーが見えた。
「それでは映画を観る時は、わざわざ向こうの小部屋で機械を操作するんですか」
「以前は大部屋にあったんですが、酔っ払った時壊してしまい、直してから小部屋に移したんです。モニター見ながら操作できるよう壁を改築して、窓ガラスもつけました。リモコンは大部屋に置いてあるから、小部屋に行くのはDVDの出し入れをする時だけですけど」
「そういえば、この部屋時計がないんですね」
ふと気がついて、左近は思った事を口にした。
「スマホや腕時計で確認するから、いらないです。以前あったんですけど、やっぱ酔っぱらった時壊しちゃって」
苦笑しながら、晴人が話した。
「後輩の葦名さんの連絡先も教えていただけますか」
「いいですよ。赤羽駅から近い、都内の北区に住んでます」
左近は手帳に、晴人から聞いた住所と電話と葦名のフルネームを記入した。そして晴人の家を出た後、スマホで鯨井警部に報告する。
「わかった。それでは、実際に壺屋晴人がその時刻に電車に乗ったかは他の者に調べさせるから、君は葦名の家に行ってくれ」
左近は再び部下の運転で、東京都内の北区に向かう。目的地に着いた時には午後六時を過ぎていた。呼び鈴を鳴らしてしばらくすると、眼鏡をかけた小太りで小柄の、おとなしそうな若者が現れる。警察手帳を見せると、露骨に表情がこわばった。
「葦名和男君だね」
「そうですけど、何か……」
「今朝の十一時に、君がどこで何をしてたか確認したいんだけど、入ってもいいかな」
葦名は、小さくうなずいた。入ってみるとアパートは六畳一間で、男の一人暮らしにしては、かたづいている。こたつを間にはさんで、二人の刑事は葦名と向かいあった。
「申し訳ないが、ここの住所と君の名前は、先輩の壺屋君から聞いてきた」
「構いませんよ……十一時に、ぼくが何をしてたかですよね。先輩の家で映画観てました。確か十時四十分頃突然、招待状をもらう約束になってたと言いだして、先輩が外出したんです。戻ってきたのが十二時三十五分でした」
「時刻は何で確認したの」
左近は時計のない地下室を、思いだしながら質問した。
「スマホですけど……」
「つまり一時間五十五分、晴人君は外出してたわけだ。彼はどんな格好でしたか」
「黒ずくめです。頭の帽子から、スニーカーまで。サングラスもマフラーも手袋もスポーツバッグもジャケットも黒でした」
「晴人君は今でも、お父さんを恨んでたかな。そんな発言を普段からしてなかったかい」
しばらく無言が続いた後、ようやく葦名が目をそらしながら、口を開いた。
「してませんでした」
「彼は今でも、消費者金融から借りてるの」
「蕨に引っこしてからは、借りてないと話してました」
「犯人に心当たりないかな。悟さんを恨んでたような人物に」
「ないです。先輩のお父さんに神田の家で何度か会った事ありますが、とてもいい人で、恨まれるような方じゃないです」
(2)へ続く