出会うタイミング☆ふと頭に浮かぶ瞬間を馬鹿にしない☆たいした労力でもないことや善行は行うのはどうだろう⁉️
フェイスブック、
不要なSNS、
を見るのを
止めたら、
幸福感があがった、
と答えている人が
多数いた、
というニュースを
耳にしたことがありませんか?
フェイスブックで「リア充」な
友人を見ると
自分と比べてしまい、
辛くなる、、。とかね。
(でも、昨日、こちらの
記事で言ったとおり、
他人と比べる必要なんて
全くないのですよね)
月謝生さんの中にも、
(課題と準備で本当に
時間管理が急に必要だと
感じるので、
1日の中の無駄な時間を
洗いだしすると)
「無駄にフェイスブックを
観ている時間」
「友人と無駄にチャット」
が多く、
自分でも驚いている人が
います。
私もTVもSNSも
大好きですが、
時間と時間管理の重要性を
認識してから
両方、涙を呑んで捨ててます。
携帯はそばにあると
つい見てしまうことも
あるので、
1日の中で見る時間を
限定して後は
電源は切ってます。
(もちろん
仕事の電話を受ける
可能性があるときは
ONにしています)
SNSを見るときも
時間を決めて
「能動的」に見る。
「見ます」と意識して見る。
「見に行きます」と覚悟して見る。
それだけでも
自分の心理に与える
効果は、
受動的になすがままに
見ているのとは違います。
そうやって、
フェイスブックなどを
見ているときに、
「出会ってしまう!」
ニュースなどがあります。
ときどき、
友達が「シェアしてください」
とかネット上で
言っているものがあります。
そういうものは、
あまり疑わず「ご縁」と
思って
シェアボタン押すだけだし
シェアするのが
いいのではないかな?と
思っているのですが、
あなたはどうですか?
あまりに疑り深いのも
悲しい気がします。
よく、
生徒さんの中でも
(大学生に多いが)
話をしていると、
「同窓会の幹事を任されて
そのことで何時間も
とられてしまいましたが
アルバイトでもなく無償なのに、、」
という趣旨のことを
言われる人がいます。
もちろん
ある行動や業務に対しての
「対価」は求めるべきです。
神じゃないので
自分のプライドを保つだめにも
見合った報酬は必要です。が、
「同窓会」「飲み会」など、
普通は報酬が発生しない
ものに対して
ボランティアでGIVEする
ということは、
決してバカにしないほうが
いいかな、と感じます。
そして、
そういう報酬が発生しないものに
ついても
一生懸命やることで、
みんなの「ありがとう」という
気持ちが集まって、それが
自分の「運」になるかな、って
私は感じます。
同様に
恩義を感じる相手に
経済的に報いることが
できなくても、
「本当にありがとう」
と
その人の幸運を願うことで
その人に「運」が
集まると私は信じていて、
だから
生徒さんの中で、
先日、ある
卒業生である先輩に
CA受験の経験を話してもらった
方が
「時間を頂戴して
感謝しているけど
何も今は目に見えるもので
お返しできない」
と言われたので、
「内定したら
自分の初任給で返すことは
できるし、
今はその人の幸運を祈ることで
その人に「運」が集まると
思う」
と言いました。
ということで、
最初は、自分本位で
自分に「運」を集めるために
他人に良いことを
したとしても(例えば
困っているおばあさんを
助けるとか、席を譲るとか、
ホームで目の見えない人に
声をかけるとか)、
そういう「善行」って
やっていて
楽しくなるはずなので、
そのうち
自分に「運」を集めよう、というよりも
「善行したい」という気もちに
なってくるのではないかな?
と感じますがいかがでしょうか。
ということで、
冒頭のお母さんは
なりふりかまわない
必死の思いなのだと
思いましたよ。