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今日一日を 生きられたことを喜びましょう

2025.02.13 07:57

Facebook藤井 清史さん投稿記事【和歌、俳句から考える健康学14】

『わきまへぬ 老の長風呂 汗たりて 風入ぬれハ 目口ひきつる』という歌があります。

これは、「年寄りの長風呂で、汗が出たからといって、急に冷風にあたれば中気(脳梗塞)になりますよ。」という意味です。

暖まって汗が出たからといって、冷風にあたれば、風気、邪風にやられるという、戒めでもあります。

最近、石破総理とトランプ大統領の会談がありましたが、何となくこの歌を連想させられました。

一生懸命に、気に入ってもらおうとしている模様がありありと、というか見え見えな石破総理の姿が、一生懸命、暖まろうとお風呂に浸かっている老人の姿に思え、記者会見前の、ほっとした様子の石破さんが、汗がタラタラ出て、「おー、暖まった〜」と意気揚々とお風呂から出て来る老人に思えてなりませんでした。

さぁ、ここでほっと一息していて良いものか、否か…。

政治家としては圧倒的にトランプ氏の方が上のまた上。

大統領就任後、矢継ぎ早に様々な取り決めをスピーディーにこなして、日本では報道されていないような大事な案件も実行しています。

ホッと一息ついて安心していると石破さんも、風気に当たってしまう様な気がしてなりません。

キチッと、自国を守り、自国を繁栄に導く姿勢で襟を正さなければ、あっという間にこの国は崩壊してしまうのではないか!?と危惧してならない今日この頃です。

皆さんはいかがお考えでしょうか?

健康においても如り、です。

喉元過ぎれば熱さ忘れるとも、よく言いますが、健康を害し、努力精進して健康を再び手に入れた時こそ、気を引き締めなければなりません。

「あ〜、良かった」だけでは、終わらないのが人生です。

人生の問題集は、必ず繰り返しやって来ます。

その時に、どう答えを導き出すかが大切なのですね。 

仏教でも「悟後の修行」というのがあります。「悟った」となってもそれを維持していくことが大切であり、むしろそれこそが修行であるのではないでしょうか?

国づくりも、健康づくりも、終わりはありません。

「人生のお勉強には終わりはないのだ」というのが真実なのではないか、と私は思います。

皆様はいかがお考えでしょうか?


Facebook野村 哲也さん投稿記事

心を落ち着けたい時は、森へ出かける。

葉がざわめき、鳥が囀り、滝の飛沫を受ける。

全体がひとつとして、全細胞に染みわたり、脳よりも先に体が整っていく。

CDやデジタル音ではカットされた2万ヘルツ以上の音も、森には満ちみちている。

弱肉強食。強いものが生き延び、弱いものが死ぬ。大自然はこんな短絡的ではない。

太陽光が当たらない、栄養が足りない、そんな植物はSOSのサインを周囲に出す。するとどうだろう、森全体が根や菌糸というネットワークで弱い植物に生きるエネルギーを与える。それは何のため?もしあなたがそう思うなら、もう少しだけ植物たちの声に耳を傾け、彼らの叡智を学ばれた方がいい。植物たちは知っているから。誰かが死ぬより、皆で補って助け合い、全体で一つの命を生きた方が幸せだということを。


Facebook詩人 木村浩欣さん投稿記事

芸術ってものは「自覚の文化」なのよ。私たちは誰であるかと、金じゃねー、モノじゃねー、

肉じゃねー、被害者じゃねー、加害者じゃねー、と・・・。愛だといえば、簡単だ、

しかし、それでどうする。愛だ愛だと云えば、それでいいのかと、それでは 呼吸が生まれないし 他者が存在しない風景との対話も生まれない。

万葉集から現代俳句へ、この膨大な歴史の輝きよ。美の神はつねに私たちに語り掛けてきた。

歌の美は教育の原点だったのだ。そして、いまも、そうあるべきものだ。

情報隔壁が崩れさった現在、私たちは新しい社会の青写真を要求されている。

「芸術も商売が出来ないなら嘘ですから」この固定観念をぶっ壊そうよ。

生活者イコール芸術家だ。衣食住+芸術はあたり前だ、という社会を作るべきだ。

音楽・絵画・文学。大衆芸術の拠点を、各地方自治体が作り運営するべきだ。

芸術を専門家から生活者へお返しするべきなのだ。

どうかね、いいでしょう。合掌・感謝・浩欣。

Facebook一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)さん投稿記事

私たちは無数の思考や感情、習慣の中にいますが同時にそこから抜け出して自分自身を見つめることができる心の目を持っています。

自分を眺められる目、その観察者の目が回復したとき自分の人生の真の主になることができます。

Facebook田中 宏明さん投稿記事

こんな満月の夜は天上に惹きつけられる重力がよく働きます

思考が散漫になって中心を失いやすくなり気づかないうちに不安定になりやすい時です

そんな時は ゆっくりと食事の 用意をして 一つ一つの食材を 感じながら味わって

ゆっくりと食器を洗い 丁寧にテーブルを拭いて ゆったりとお風呂に入り 一つ一つ心を添えて 洗濯物を畳んで 部屋の埃を丁寧に 履き清めて シーツを整えて もしお香があれば焚いて その優しい香りに包まれて 眠りましょう

目を閉じて 身体を感じながら よく乾いた温かい布団で眠れることにささやかな感謝を

捧げて 今日一日を 生きられたことを喜びましょう^ ^

生かしてくれている全てにありがとう😊ワハハ🌈らぶ💓


FacebookSammaditthi Asakura元気になるページさん投稿記事

いつも笑顔でやさしい言葉で接することを和顔愛語といいます。意味は「和らぎの顔、いたわりの言葉」です。いつも穏やかな顔でいると、心も自然に穏やかになります。

周りにいたわりの言葉をかけていれば、心が優しくなり愛が溢れます。これらのやさしく思いやりのあるこころを仏教では慈悲と言います。

反対に、いつもイライラして鬼のような形相で荒らしい言葉で接していると、因果応報で自分がその報復をうけることになります。

釈尊は、「荒々しいことばを言うな。言われた人々は汝に言い返すであろう。怒りを含んだ言葉は苦痛である。報復が汝の身に至るであろう。」と説いています。

イラついた時は瞑想で心を落ち着けいつも和顔愛語を心がけ周りに愛が溢れるようにしましょう。