映画チア部京都支部

A GHOST STORY −死に関すること−

2019.01.29 12:00
「死」や、「喪失」に対する考えは、人それぞれ、であって、明確な答えはない、と私は思う。

私にわかっていることは、彼ら(死者)は、どうやら私たち(生者)の世界には干渉できないようである、ということ。死者の肉体はきっと朽ち果て、家族や知り合いが燃やしてくれるかもしれないということ。

私たちは、誰かを失い、そして、時たま思い出す。




−あなたと私が過ごした場所−

「あなたがここにいた、と感じること」


学校や、書店、映画館、公園、カフェ、そして家。「そこにその人がいた」という事実が記憶として残る。家はその傾向が顕著である。彼らが存在した証が、物体として、多く残っているからだ。

けれど、私たちに彼らを思い出させる〝物体〟は汚れ、磨耗し、いつか消える。

そして、「あなたと私が過ごした場所」にもいつかは、終わりが来てしまう。わたしとあなたの思い出の場所は、いづれは見知らぬ誰かの思い出の場所になるのだ。永遠などはないのだ、と私たちは思い知らされる。


そこに残るのは、あなたの記憶だけだ。

死んだあなたの記憶だけ。そして、死んだわたしの記憶だけ。


−彼らと私たちの存在の証明−


私は残念ながら、まだ死んだことがないので、死んだ後どうなるか、を知らない。

私を残して死んでいった人たちを見て、私が確認できたのは、人は死んだら、肉体を失うということだけだ。


けれども、死者は私たちに影響を与え続けていると、私は信じたい。彼らが作品として残した音楽、絵画、小説、映画。もちろんそれらは、私たちにさまざまな感情や、生き方や、表現方法を与えてくれる。さらに、作品として残ってはいなくとも、その人が確かに存在したという記憶。「あなたがそこにいた」ということ。彼らは、さまざまなもの(この映画の場合は「家」)を媒体とし、時たま時空を超えちゃったりなんかして、私たちを生かしているのだ、と。


映画チア部京都支部 渡辺

『A GHOST STORY』

2017年/アメリカ/92分/A24作品

監督・脚本:デヴィッド・ロウリー(『セインツ 約束の果て』)

出演:ケイシー・アフレック、ルーニー・マーラ

配給:パルコ

(でも、気持ちはわかるが、お皿を割るのだけは勘弁してほしい。)