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好きな海の句

2025.02.20 13:21

https://ameblo.jp/seijihys/entry-12498744057.html?frm=theme 【海よ揺れよ  若山牧水】より

(徳島県鳴門市)

海よ揺れよ詩人のいのちは汝よりつねに鮮やかに悲しみて居り     若山牧水

(うみよ ゆれよ しじんのいのちは いましより つねにあざやかに かなしみており)

中仙道踏破の旅に出てより、若山牧水が好きになった。

(「白鳥は…」の歌だけは以前から知っていて、大好きだった。)

「あくがれ」こそが日本の詩歌の根本的伝統である。

(略)

牧水というと、白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけりという歌が有名で、なんかこの歌を見る限りでは、「酒好きのおっさん」というイメージしかなかった。

しかし、いろいろ読んでみると実に「海」の歌が多い。

この歌は、五月の末、相模国三浦半島の三崎に遊べり、歌百十一首という前書があり、他に、

旅人のからだもいつか海となり五月の雨が降るよ港に

水無月の崎のみなとの午前九時赤き切手を買ふよ旅びと  などの短歌がある。

一首目では、旅人の体はいつしか「海」となった。と歌っている。なんというロマンだろう。

私もこういう歌…ではなく、句を作りたくて海を焦がれていたのだな~、とちょっと悔しい思いもする。

冒頭の短歌は、海よ 揺れよ詩人の命はお前よりいつも鮮やかに悲しんでいるぞと詠んでいる。これはいわゆる俳句の「花鳥諷詠」ではない。この思想は、「人」よりも「花鳥」(自然)のほうが上位にある。(そうじゃない…という人もいるだろうが、実際はそうである)

私は今の詩歌…少なくとも自分の俳句だけは、「万葉の詩歌」でありたい。

「万葉の詩歌」とは、「自然」と「自分」(人)が「同等」である、簡単に言えば「友達関係」であることである。私は牧水の短歌にはそれがある、と思っている。

この歌はまさにそうである。牧水と海は、同等の関係で、友達なのである。

海に、俺はお前より鮮やかに悲しんでいる。と呼びかけている。

「鮮やかに悲しむ」これはロマンであり、抒情である。じめじめとした悲しみではない。

海のきらめきは命のきらめきであり、悲しみは、青春の鮮やかできらきらとした憂鬱である。

ちなみに今、ここを引き払い横須賀へ戻ろうかと考えている 横須賀は、牧水がこの短歌を詠んだ三崎の隣の海である。

こういう短歌を読むと、すぐにでも飛んで戻りたくなってしまう気分になる。

https://ameblo.jp/seijihys/entry-12498735698.html?frm=theme 【寒潮(かんちょう) 高野素十】より

寒潮の一つの色に堪へたる   高野素十(たかの・すじゅう)

(かんちょうは ひとつのいろに こらえたる)

寒潮とは寒の頃の海の潮の流れかもしれないが、手元の歳時記では、「冬の海の寒々とした潮の流れ」「冬の海、冬の波よりいっそう寒々しい厳しい感じ」とある。

こういう俳句を見ると、写生句というのはたいしたもんだな、と思う。

写生とは「命を写すこと」とよく言われるが、この句などはそのよい例であろう。

冬の寒々しい海。決して荒れてはいないが、その静かさが、むしろ、なにか大きな力をはらんでいるように思える。この場合の一つの色は青々とした色なのか、灰色のような色なのか。

それは鑑賞者の自由で、どちらでもよいと思うが、寒々しさという点を考えると、私は灰色がよいように思う。

先ほど書いた、「大きな力をはらんでいる」様子が「堪へたる」で的確に表現されており、季語と措辞が緊迫感をもってつながっている。


https://ameblo.jp/seijihys/entry-12498735330.html?frm=theme 【飯田龍太(いいだ・りゅうた)】より

遠くより風来て夏の海となる   飯田龍太(いいだ・りゅうた)

(とおくより かぜきて なつの うみとなる)

龍太といえば、雪山に春の夕焼滝をなす  油照り性根を据ゑし幹ばかり  など、生まれ育った甲斐の山や里を詠ったものがすぐに思い浮かぶが、こういう海の句もある。

すごいなと思うのは、単純な言葉ばかりで一句が構築されていながら、なおかつ大きな余情を生み出していることである。

「俳句の表現は平明がいい」とはよく聞く言葉で、私自身もそう言っているが、そうは言いつつも、一句にどこか目新しい言葉や気のきいた表現を入れないと、平明というより、平凡な句をひたすら量産することになる。

たとえば、夏雲のわきあがりたる海の上とでも作ってみる。これではやはり平凡だ。

「わきあがりたる」という言葉をもうちょっと別の表現でやってみようか、とか考えたり、「海の上」という舞台を、もっと意外な場所に変えてみようか、などと考える。

「風」「雲」「海」などの羅列だけではやはり平凡で、「海」を「太平洋」とか、もっと具体的なものにしていかないと、一句が茫洋としてしまうのだ。

その点、掲句は「遠くより」もありふれた表現だし、「風」も「夏の海」もこれといったひねりもない。それでもこの叙情性はどうであろう。掲句を吹き渡る風のように、叙情があふれている。なにげない句だが、一種の達人の句だと私は思うのである。


https://ameblo.jp/seijihys/entry-12498735315.html?frm=theme 【飯島晴子(いいじま・はるこ)】より

放哉の卯波の音と聞きゐたり   飯島晴子(いいじま・はるこ)

(ほうさいの うなみのおとと ききいたり)

卯波とは少々時期はずれだが、好きな句だ。「卯波」とは陰暦四月(卯月)の頃の波。

天候不順なころの波なので、遠くまで白い波頭が立つことから、卯月、卯の花の白さにからめて、そう呼ばれるようになったようだ。この卯波は、おそらく兵庫県須磨の海であろう。

尾崎放哉、本名:尾崎 秀雄(おざき ひでお)。明治18年鳥取県生まれ、大正15年没。

種田山頭火と並ぶ自由律俳句のもっとも有名な俳人。鋭い感受性と、生来の酒乱に影響で、東京帝大を卒業しながら、放浪の人生を送り、瀬戸内海の小豆島で死んだ。

墓のうらに廻る  こんなよい月を一人で見て寝る  春の山のうしろから烟が出だした

などがある。

放哉は短期間であるが、兵庫県須磨の寺で寺男をしていた。「こんなよい月を・・・」は須磨での作。須磨は瀬戸内海に面し、そこから淡路島が見える。したがって太平洋や日本海のような、激しく猛々しい波音ではあるまい。どこまでも胸に染みてくるような波音ではないか。

その波音に耳を澄ませ、放哉も見たであろう海を眺め、放哉の人生を思ったのであろう。

この場合の季語は天候不順の中に、隠れている夏の予感。

放哉の人生は悲惨といえば悲惨だが、須磨時代の放哉は比較的心の落ち着きを得て、秀作を次々と生み出した。

「こんなよい月を・・・」という作品が生まれたことからもそれはわかるだろう。

そんな放哉の心が「卯波」に託されている、と思われる。


https://ameblo.jp/seijihys/entry-12498735310.html?frm=theme 【缶に花】より

缶に花岬は夏となりにけり    誠司  陽に溶けて夏の鴎でありにけり

今日も海へ。久里浜をちょっと歩いて三浦海岸の手前、長浜海岸まで行ってきました。

向うに見えるのは房総半島鋸山。さて、一句目なんですけど、自分では気に入っているんですけど、あまり評価してもらえません。「缶に花」ではわからないでしょうかね。

横須賀や逗子、葉山には岬の端に、供花があるのをよく見かけます。交通事故かなにかで亡くなった方へのものだと思います。写真左上にも、缶に差された花があります。

バイク事故か何かで命を落とされたのでしょうか。夏本番を迎えた海がきらきらと輝いていました。


https://ameblo.jp/seijihys/entry-12498735304.html?frm=theme 【内藤吐天】より

朝の海葭簀に青き縞なせり   内藤吐天(あさのうみ よしずにあおき しまなせり)

今ではあまり見ることの出来なくなった季語がある。葭簀などもそう、、、と思っていたが、注意してみると、けっこう見かけることもある。私の家の近所の魚屋さんもそう。

直射日光をさけるために立てているのだろう。葭簀は夏の熱い日差しをさえぎるために、葦で編んだもので、庇に立てかけてある。これは海辺の風景であろう。

よく海の家にも葭簀は立てかけてあるが、私は例えば瀬戸内のような穏やかな海辺の民家を想像した。立てかけてある葭簀のすぐそばまで、夏の朝の海が寄せ、その光りが葭簀に映っているのだ。そのかがやきを「青き縞」と表現したのである。

夏のかがやきの始まる、爽やかな朝の海である。それと同時に、海辺で暮らす人々の喜びを描いているのではないだろうか。


https://ameblo.jp/seijihys/entry-12498735293.html?frm=theme 【池内友次郎(いけのうち・ともじろう)】より

わが胸を浸し夏潮いま高し   池内友次郎(いけのうち・ともじろう)

(わがむねを ひたし なつしお いまたかし)

少年の頃、こういう思いをよくした。海に入り、胸がひたるくらいのところまで進んでいく。

波がやってきて、私の体を大きく揺らしてくれた。ちょうど視線が海と同じ高さになり、とおくより波がふくらんで、やってくる。まるで、海と一体になったような気分になる。

池内友次郎は作曲家であり、俳人。父はあの高浜虚子で、次男になる。

東京芸大教授をつとめ、文化功労者でもある。「わが胸」には溌剌とした青春の自負がある。

余談だが、私は20代の頃、真夏の太陽や海と真向かうのが好きだった。

そのエネルギーに敬服しながらも、自分の秘めたエネルギーも負けてはいない、と熱く思ったものである。

「わが胸」にはそういった思いがあるのではないか。そして今、夏の海もその思いに応えるように、たかだかと盛り上がってくるのだ。最近は自然詠を軽侮する姿勢がうかがえる。

その意見は、詩は自己の世界や思いを表現するものであり、自然を第一とする、その詠法には意味がない、と考えるものだろう。

しかし、反自然あるいは無季の俳句で、これ以上、おのが命のエネルギー、輝きを詠った句があるだろうか。

なぜ、自然を詠うのか?

それは自己よりも自然を優先するからではない。

自然という大きな力を借りてこそ表現できる世界があり、その世界は小賢しい理屈で表現された世界より、大きく、豊かで、美しい世界を描けるからなのである。