意識したものは
Facebook相田 公弘さん投稿記事 「意識したものは」相田みつを
空気の中にいるから空気を意識しない 歩くときに 足を意識しない"
覚知(かくち)にまじわるは証則(しょうそく)にあらず 道元のことばです
意識したものにほんものはない とわたしは訳しております
空気を意識し水を意識するときは空気や水が汚れているとき
意識をしないほうが自然空気や水だけでも意識しないですむあたりまえの世の中でありたい
自然がいい 自然がいい 覚知にまじわるは 証則にあらず......
『老人とバードウオッチング』 志賀内泰弘
家から車で20分ほど走ったところにある河原。中洲で羽を休めるシラサギをボーと見つめながら、島田ひとみは、悩んでいた。どうしたら子供たちに受け入れてもらえるのだろうかと。
ひとみは、今年、念願かなって学校の先生になった。県境の山裾の町にある小学校。
副担任ではあるが、いきなり3年生のクラスを持たせてもらえたことが嬉しくて仕方がなかった。校長からも、直々に、「久しぶりに若い先生が赴任してきてくれて有難いです。期待してますよ」と言われ、俄然ファイトが湧いた。
そのファイトを、全力で子供たちに向けた。ところが・・・。やること成すこと、まったく上手くいかない。「先生とみんなで、交換日記をしよう!」と提案した。
担任の山田先生も大賛成してくれた。「私も前からやりたかったんだけどね、最近、歳のせいで目が辛くてね。 あなたがやってくれるなら嬉しいわ」山田先生は56歳。ベテランの女性教諭だ。
張り切って、100円ショップに行き、自腹でノートを買い込んだ。28冊。
どれも、デザインのかわいいものを選んだ。一つひとつに28人の子供の名前を書き入れ、ホームルームの時間に手渡しした。
子供たちは、わいわい言いながら喜んでくれた。
「じゃあね、毎週月曜日に先生に提出してね。どんなことを書いてもいいのよ。
好きなアイドルのことでも、好きな食べ物のことでも。 困っていることがあったら相談してくれてもいいの。絶対内緒にするからね」子供たちは、大いに盛り上がった・・・かに見えた。そのときの、様子では。
しかし、次の月曜日。交換日記を持ってきたのは、わずか二人だった。最初だから無理はないと思った。もう一度、ホームルームで説明をした。すると、翌週には7人に増えた。
でも、その中身はというと、「今日、家族で焼肉を食べに行きました」「塾でテストがありました」そのたった一行。そして、そのまた翌週は、一人も出さなくなってしまった。
山田先生は、「私からもみんなに言おうか」と言ってくれたが、情けなくなってしまい断った。新米とはいえ、わずかながらのプライドがあった。
それだけではない。近くの山へ遠足に出掛けたとき、「歩きながら歌を歌おうよ」とみんなに提案した。
「ええ~」という声が上がった。後ろから、「一人で歌えば」という声が聴こえた。男の子の声だった。そっちを向いたときには、全員が下を向いていた。
まだある。国語のテストの答案用紙を返却したときのことだ。他のクラスに比べて、かなり点数がよくなかった。そこで、「今度は、隣のクラスにアッと言わせようよ!」と笑顔で言った。そう、満面の笑顔で。
次の帰りのホームルームに、教室に入ろうとすると、中からこんな声が漏れてきた。
「うざくねぇ、島田先生」ひとみは青ざめた。呼吸が乱れた。そのまま教室に入ることができず、踵を返してトイレに入った。鏡を見ると、ずいぶん疲れた顔をしていた。
山田先生にも、正直に相談した。すると、笑って、「焦っちゃダメよ。あなたは校長先生の期待の星なんだから、デンと構えて自信を持ってやりたいようにやりなさい」「でも・・・」
「私が付いてるから、何があっても大丈夫よ」何があっても大丈夫。そうは言ってくれたが、
「私が付いてるから」にはショックを覚えた。私は半人前。保護者付きの先生なのだと思うと、夜も眠れなくなった。
そんなことがあった週末。ひとみは、一人で河原に出掛けた。バードウオッチングをするためだ。高校生のときに、自然科学部というクラブに入っていて始めたものだ。
夢中になって双眼鏡で鳥を見ていると、嫌なことも何もかも忘れることができる。
卒業後も、辛いことがあると山や野原に出掛けた。堤防の上を歩き、橋を渡った。
すると、そこは広大な田んぼが広がっていた。かなり前に稲刈りが済んで、茶色の地面が広がっていた。この春に来たときには、眩しいほど青々とした早稲田が目に飛び込んで来たことを覚えている。その茶色は、ひとみの自身の心を映しているかのように思えた。
ふと見ると、300メートルくらい先に雁(がん)の群れが降りているのが見えた。
土手の斜面から双眼鏡を覗く。稲を刈り取った後の落ち穂をつついているのだった。
食事に夢中のようだ。100羽近くいるだろうか。ひとみは気付かれないように、忍び足で近づいた。まだ、群れからは相当の距離がある。でも、用心、用心・・・。
ちょっと足を止め、腰を低くする。そして、再び、双眼鏡を覗き込んだ瞬間のことだった。
雁の群れの中の一羽が、ヌッ~と首をもたげた。そして、ひとみの方を伺うように見る。
たしかに、向こうもこちらを観察していることがわかった。ひとみは、身体を動かさないようにして、中腰のままじっと耐えた。
10秒もしないうちに、その一羽も再び首を下に向けて、こぼれた穂をついばみはじめた。
どうやら、雁は常に周りに敵がいないかどうかと注意を払っているようだ。(ふう~危ない危ない)再び、手にした双眼鏡を覗き込んだとき、さっきの一羽がまた首を上げた。
そしてひとみの方を向いた。それはまるで、睨んでいるかのように見えた。
次の瞬間、100羽の仲間たちが、一斉に首をもたげてクルッとひとみの方を向く。(え?!)
つい今しがたまで、ただ食べることに夢中だった雁たちが、まるで機関銃の砲列のようにクチバシをひとみに向けていた。
アッ!100羽が、バタバタバタッと100枚もの布団をハタキで叩くようなものすごい音を立てて飛び立った。「しまった~」ひとみは、空に舞った雁を見上げて目で追った。
「おかしいなぁ~」ひとみは首を傾げた。なぜなら、雁の群れまではかなりの距離があった。
彼らがいくら臆病だからといって、安全を脅かしたわけではないのだ。でも、明らかにひとみを敵だと認識したのだ。(こんな若い女の子に失礼ね!)そんなことを考えていると、空を飛び回っていた群れは、かなり離れた田んぼへと着地した。もう一度、近くまで行って観察してやろう。
そう思っていた、その時だった。「あんた、雁に嫌われちまったなあ~」という声が聴こえた。 (え?!)声の主が、予想もしないところから顔を出した。
20メートルほど先に、ワラが家のようにこんもりと積んである。その陰から、一人の老人が現れたのだった。70歳、いや80近いかもしれない。腰を屈めてひとみの方へと近づいてきた。「えらいベッピンさんやなぁ」「・・・」「鳥を見に来たんじゃろ」そう言うと、老人はニコニコして話しかけた。「あ、はい・・・ここの田んぼの方ですか?」それには答えず、老人は訊いてきた。「あんたな、何で雁が逃げたかわかるかな」「え?」唐突に訊かれて言葉を失った。「何でって・・・私が近づき過ぎたからですよね」「たしかに。近づいたら逃げるわな。でもな、あんたより、 ワシの方がずっと雁の群れ近くにいたんじゃよ。それも、ワシは身体を動かして作業をしておった。それなのに、雁はワシのことなぞお構いもせずにメシを食うておった。 雁が急に飛び立ったんで、ワシも妙だなと思ったんじゃ・・・ そうしたらあんたの姿が見えたんで声をかけたというわけじゃ」「・・・ごめんなさい」
「いやいや、別に謝らんでもいい。あいつらは、この時期、どこへ行ってもメシは食える。第一、ワシが飼っているわけじゃないしな、ハハハハッ」「そうですよね」
そう言うと、ひとみもつられて微笑んだ。「でもな、一つ気になることがあるんじゃ」
「え? 何でしょう」「あんたな、何でそんなに『気』を出しているんじゃ」
「・・・『気』ですって?」老人は、戸惑うひとみに対して、さらに問いかけた。
「あのなぁ~、あんたからはビンビンというのかな、 ババッというのかな、上手く言えんが、『気』が発せられているように感じるんじゃ」「ビンビンって・・・」
「何と言うか・・・電波みたいなもんじゃな。 ここに私はいますよ~、こっちを見て下さい~ってな。 そうそう、大声で叫んでいるみたいな感じかな」「大声ですって?」
「いやいや、実際に声を出すという意味じゃない。 あんたの存在自体が、こっちを見てよと喋っているみたいに感じられるんじゃ」「そんなことしてません」ひとみは反発した。
それよりも反対に、気配を消すようにと努力していたつもりだ。「じゃあ訊くがな~、ワシはあそこでずっと仕事をしておった。あんたが来てからも、ずっとな。でも、ワシには雁は驚かんかった。 なぜだかわかるかな?」「・・・」「ワシはな、何も『気』を発していないからじゃ。 ワシの存在が自然の中に溶け込んでいるからじゃ。ワシは敵ではない。いや、味方ですらない。ただの無意味な存在というかな。それに比べて、あんたは、雁を見よう見ようとしている。 いや、見るために、気づかれないようにしようという『気』を、 知らぬ間に発していたんじゃ」ひとみは言い返すことができなかった。
理屈としては理解できないが、老人の言わんとしていることが事実として伝わってきた。
さらに老人は、追い打ちをかけるように言った。「よけいなおせっかいかもしれんがな~、あんたひょっとするとな、 普段から、そんな『気』をビンビン出してはおらんかな?
私の方をみんな見て見てってな」ひとみは愕然とした。その通りだった。
子供たちに敬遠されている理由が、そこにあるような気がした。「どうしたんじゃ、大丈夫かな?」老人は心配そうにひとみの様子を伺った。「あ・・・は、はい」
「もしよかったらな、さっきの連中が降り立ったところまで、一緒に行ってみようか。
もちろん、近づけばこっちの存在はわかるに決まっておる。でもな、ワシらは危ない奴とは違うんじゃよ~。敵でもないけど味方でもないよ~ってな。いっぺんやってみんか」
「は、はい。よろしくお願いいたします」「よし、行こう行こう」そう言うと、老人はスタスタと田んぼの中を歩いて行った。後ろをついて行きながら、ひとみは思った。気張り過ぎていたんだ。それが、子供たちにビンビンに伝わってしまった。押し付けだから、引かれてしまった。だから・・・ウザイ。老人が振り向いて言った。「あのな、一つ頼みがあるんじゃがなぁ」「はい、何でしょう」「その双眼鏡、ワシにも覗かせてくれんかな」「いいですよ」
と言い、老人に差し出した。その時、ひとみは思った。双眼鏡なんていらないのかもしれないと。見よう見ようと思っていた自分の心に気付いた瞬間だった。
「おおっ、こりゃいい! こんなに近くに見える! ウワッハハ」
老人が大声で笑うと、遠くにいた雁の群れが、またまた一斉に空へと飛び立った。