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いなべ市議会議員 篠原史紀 しのはらふみのり WEB

末席でも政治家との自覚

2019.01.30 03:43

写真は、いなべ市北勢町阿下喜で、毎年2月~3月に開催される「あげきのおひなさん」のメインの展示です。今年は2月16日~3月3日まで開催され、期間中は阿下喜の商店街を中心に100カ所を超える商店等で、雛人形が展示されるほか、土日を中心に多彩なイベントが開催されます。

この催しは、私は表彰ものであると考えております。市民が自発的に行い、すごい賑わいを創生した催し。いなべ市でもあまり例がないと思います。

あげきのおひなさんに関しては

https://ssl.kanko-inabe.jp/event/10674/


さて、最近は、私は、あえて「私たちは政治家である」という言葉を使います。「何を市議会議員ぐらいで政治家か?えらそうに」と思われる方もいると思いますが、議員は議決権を有し、ある一定の権限を有します。その責任は、まちの将来にも影響する重要な判断です。また、議員は重責故に、もっともハードルが高い選挙で選ばれます。

我々には、重たい責任があるのです。

だから、それを自覚し、周囲の議員にも、また、今後、立候補してみようと考えている方々にも、常に意識をしてほしくて、あえて、「政治家である」と言うようにしています。

ご縁もあり、昨年11月に政治家になりました。なって、約1年。どうか?

「実に大変ですが、私は政治家になって良かったです。いや、成るべくして成ったとも思います」

当然、私だけの力でなく、私を押してくれた元議員の伊藤弘美さんをはじめ、数々の支援者の皆様のおかげです。その期待に応えることは、人として最も大切なことであります。

私は、こどもの頃より政治に興味がありした。しかし、政治家になろうとは一度も思いませんでした。周囲から、「そんなことを言うのなら、篠原が政治家になればいい」とは、多く言われて来たように思います。そのぐらい、「今の世の中はおかしい。ここを改革しないといけない」「●●党の方向性は正しくない。それなら、こうすべきではないか」などと、中学生頃から当たり前に言ってきたように思います。

きっかけは、多分、3つあって

①音楽が好きで、フォークやプロテストソングに影響をされた。

②母方の祖父が戦死していることで、アメリカ、韓国、中国の戦後の日本に対する発言や、アメリカナイズドされている自分たちの不思議なアメリカ追従に疑問を持っていた。

(何で、僕は祖父をアメリカに殺されているのに、アメリカを恨まないのか?という単純な疑問から歴史を考えるようになった)

③なんで、教室の中にも、ヒエラルキーがあるのか?差別やいじめ、順位がある。


高校で、ある恩師と出会い、政治的な関心は一気に加速します。

今思えば、組合活動にも力を入れていた先生でしたし、市民活動などもされていたこともあり、先生と親しくしているうちに、日本民主青年同盟に誘われて入会。民青の活動のなかで、政治と社会みたいなものを学びました。しかし、日本民主青年同盟は、共産党の下部団体。当初は、理想論に純粋に夢が見られましたが、自分なりに世の中や社会構造に関して勉強する中で、理想論では何も変わらないと考えて、日本民主青年同盟は疎遠になりました。(正直言うと、ばかばかしくなった。)

大学でイデオロギーの対立構造が、人々の暮らしを良くするという本意でなく、単なる政局や権力争いにすぎず、ここには、夢がないと考えていました、世紀末ということもあり、社会には、閉そく感があり、様々な事件もおこり、カルトも増えてきました。

そんな時に出会ったのが、「エコロジー」。有限である地球という小さな住まいのなかで、一番大切なのは循環性。そこで命が育まれ、真の持続可能性が立脚する、このベースを核戦争や環境破壊で、取り返しのつかないところまで行ってしまったら、政治もクソもない。

よく友達から「篠原は、なぜ、いつもそんなことを考えているのか?」

今から思えば、政治家、活動家の素養はばりばりにあったのだと思います。

そして、音楽に、演劇と表現好き。私の場合は、演者というより、曲作りや戯作という創作活動が好きで、自己満足ですが芸術家タイプなのでしょう。結局は、職業ライターという仕事を選びましたし、いずれ、自分の作品を世に出したいと、50歳を超えても真面目に思っています。自己満足ですが

「誰かを笑顔にしたい。一瞬でも幸せを感じてほしい」。

どうも、基本はそこみたいです。

正直申しますと、政治家となり、いろいろ生きずらくもなり、「なったは良いが、続けて行くべきか?市民活動のほうが動きやすいな~・・・・」と若干思ってもいました。しかし、今は、3期(12年)ぐらいは続け(自分がある程度、市民間や議会内でイニシアティブをとり、市民立法なども提出できるようになるまでは、ある程度の経験値が必要との考えから)、自分の人生の中で「あの時代の一政治家として何とかお役にたてた」としっかり言えるような働きをしたいと強く思っています。

また、地域の後進を育成するまでしたいと考えております。

今年の最大の目標は、常にまちに出ること。座談会(意見交換)、街頭演説、報告会なども積極的に行って行きます。

数人でも結構ですので、意見を言いたいという方は、ご一報ください。