青木一矩
2025.01.11 15:00
あおき かずのり
越前豊臣家臣。
もとは美濃出身で、母が秀吉の母(大政所)の妹だったので秀吉とはいとこにあたる。
その縁により、最初は秀吉の弟である羽柴秀長に仕えた。
秀長に従って山崎の戦い、賤ヶ岳の戦い、小牧長久手の戦い(伊勢攻略)、四国征伐などに参陣している。
秀長の家臣では筆頭であったという。
山崎の戦い
青木一矩は天王山の後陣、羽柴秀長勢
その後は秀長の元を離れ、秀吉の直臣となって越前大野8万石を領した。
小田原征伐にも参陣する。
肥前名護屋城にも在陣し、在陣中に越前府中10万石に加増されている。
肥前名護屋城陣営
青木一矩は南側(城左上)
秀吉の没後、越前北ノ庄20万石となった。
秀吉の葬儀では、同じいとこ同士である福島正則と共に遺児秀頼の名代を勤めている。
関ヶ原の戦いでは、越前の一矩は西軍寄りだったとされる。
しかし重い病であった為、兵を出すことなくどちらにも参陣しなかった。
戦後、処遇が未定のまま一矩は病没してしまう。
その為、青木家は改易された。
一矩は千利休に師事した茶人としても知られる。