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武田信玄

2025.01.21 15:00

たけだ しんげん

甲斐の戦国大名。

名は晴信で、信玄は出家後の法名。

甲斐を本拠に隣国の上杉・北条・今川家などの戦国大名たちと抗争や、また同盟を繰り広げた。

信玄は「甲斐の虎」と恐れられ、宿敵の上杉謙信とは5度に渡って川中島で戦った。



武田家は甲斐の守護大名。

父・武田信虎の代に甲斐を統一し、戦国大名化した。

信玄はその父を甲斐から追放し、当主を継承した。


信玄が変を起こした理由はさまざまである。

甲斐は山国で農地が少なく、河川の氾濫も多かった。

また内陸だったので水産資源に乏しく、度重なる戦で領国が疲弊し国内に怨嗟の声が高まっていたとされる。

信玄はそれらを一新すべく、新たな当主の座についた。

「信玄堤」と伝わる堤防で河の氾濫を抑え、隣国の信濃に侵攻して領国の拡大を計った。


信玄の信濃侵攻が北信濃に及ぶと、領国を追われた村上義清は越後の長尾景虎を頼る。

こうして武田家と長尾家(上杉家)は、信濃川中島で幾度にも及ぶ戦いを繰り広げることになる。

一方で信玄は、今川家と北条家との間で甲相駿三国同盟を締結し、後顧の憂いをなくす。


関東に出陣した上杉謙信(当時は長尾景虎)が上杉家を継承し、北条家の小田原城を包囲する。

その間、北条家の要請を受けた信玄は再び北信濃へ侵攻し、海津城を築いた。

関東から帰国した上杉謙信(当時は上杉政虎)は、信玄の信濃制覇の野望を阻止すべく北信濃へ出陣する。

こうして信玄は川中島で上杉謙信と四度目の対陣を迎えた。



海津城を睨む妻女山に布陣した上杉勢に対し、信玄は決戦を決意する。

山本勘助の進言により、武田勢は啄木鳥戦法を仕掛ける。

それは妻女山の上杉勢に高坂昌信率いる別動隊が攻勢をしかけ、山をおりて八幡原に出てきた上杉勢を武田信玄率いる本隊が待ち伏せして包囲殲滅する策であった。

啄木鳥戦法

なお信玄は格式高い家名の上杉姓を気に入らず、上杉謙信を旧姓の長尾と呼び続けていた



しかし翌朝、八幡原に出た信玄の眼前には上杉勢がいたのである。

急遽、鶴翼の陣を敷き迎撃態勢をとる武田勢に対して、上杉勢は縦列陣を敷き、車懸り戦法で襲いかかった。

この戦いは激戦となり、双方に多大な死傷者が出た。

武田側は信玄の弟・武田信繫や山本勘助などの諸将が討死する。

上杉勢を信濃から撃退した武田の勝利ともいえるが、損害は武田側のほうが大きかった。

川中島の戦い

武田信玄の本陣に、上杉謙信の本陣が突撃するほどの激戦となった。



その後も飛騨に侵攻する信玄と、それを阻止すべく出陣した上杉謙信は川中島で対陣におよぶが、決戦は避けた。

やがて信玄は方針を変え、駿河に目を向ける。


桶狭間の戦いで今川義元が討死したこで、駿河の今川家は弱体化していた。

そこで信玄は同盟を破り、駿河に侵攻を開始したのだ。

必然的に甲相駿三国同盟は消滅し、武田家は北条家とも手切れとなった。


追い詰められた今川家に対しては、北条家が救援に入った。

信玄は北条勢の来援で、駿河侵攻を一時撤退せざるを得なくなる。

そして信玄は先に北条家との決戦を決意し、相模へ出陣し小田原城へ包囲した。

しかし小田原城は堅固で、落ちる様子がなかった。

信玄は撤退を開始するが、それを追撃してきた北条勢を三増峠で打ち破る。

こうして北条家を叩いた信玄は駿河侵攻を再開し、ついに駿河を手中に収めた。


信玄の領国は甲斐、信濃・駿河を抑え、さらに上野、遠江・三河・美濃・飛騨の一部におよんだ。

そして信長包囲網を画策する足利義昭の求めに応じて、ついに信玄は西上作戦を開始する。


三河へと侵攻した信玄は、徳川家康を三方ヶ原の戦いで打ち破った。

しかしその後、西上途中に病没する。

信玄は後継の武田勝頼に対して「上杉謙信を頼ること」と遺している。



武田信玄が西上作戦を始める前、織田信長に送った宣戦布告ともいえる書状で、信玄は自身の肩書に「天台座主沙門」と書いている。

天台座主は天台宗の総本山である比叡山延暦寺の住職を指し、沙門は仏道の修行者を表す。

つまり先年に信長が行った、比叡山延暦寺の焼き討ちに対する報復を意味する。

(天台座主だった覚恕は、信玄に比叡山の再興を要望していた)

これに対し信長は「第六天魔王」と名乗って返書している。

第六天魔王は天界の中でも最下層にあたる六欲天の、最頂にいる天魔・波旬のこと。

波旬は仏道修行を妨げる天魔とされる。

信長は信玄の「天台座主沙門」に対する意趣返しとして「第六天魔王」を名乗ったわけだ。



武田信玄の有名な「風林火山」は、孫子の兵法にある一節。

この文言にはまだ続きがある。


原文は


其疾如風

其徐如林

侵掠如火

不動如山

難知如陰

動如雷霆

掠郷分衆

廓地分利

懸權而動


意味は


疾きこと風の如く

しずかなること林の如く

侵掠すること火の如く

動かざること山の如し

知り難きこと陰の如く

動くこと雷霆の如し

郷をかすめて衆を分かち

地をひろげて利を分かつ

権をかけて動く


とくに後半部分は解釈がさまざまで、一例をあげると


機密(難知)は陰のようにさとられず

いざ動くときは雷霆のように

領地を奪うだけでなく(掠郷・廓地)

統治することで(分衆・分利)

兵を強くし(懸權)

さらなる侵攻ができる(而動)