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美的なるものを求めて Pursuit For Eternal Beauty

想像的で創造的な「進化した追憶」がそこにある「山海図絵<伊豆の追憶>」(不染 鉄 1925年作 滋賀県大津市/ 木下美術館蔵)

2019.01.30 12:28

(「美の巨人たち」テレビ東京放映番組<2019.1.19>主な解説より引用)

 真正面からの富士山が聳(そび)えている。富士山といえば、かつては葛飾北斎、歌川広重、横山大観など多くの画家に描かれ、数々の名画を生んできた。

 ただ、ここで描かれているのは、「強烈な違和感」を伴った富士山である。まるで宇宙から俯瞰しているかのように、マクロの視点から壮大なスケールで描かれている。

 とともに一方では、ミクロの視点から人々の日常の生活の営み、海の魚を、家々の灯火をも描いている。いわく、壮大な富士山から、小さな魚まで。

 ただ、富士山だけは、俯瞰しているわりには、真正面から観た富士山として描かれている。「伊豆の追憶」と副題がついている理由は、作者の不染 鉄(ふせん てつ)が、かつて伊豆大島の岡田村に3年間ほど暮らしたことが、この絵の「視点のきっかけ」になっていることによる。

 その証拠に、本作品を描く2年前に、不染 鉄が描いた「海村」という絵画(日本美術展覧会で首席入選)を手前にして、「山海図絵」と上下に並べてみると明らかになる。

 不染 鉄は、東京・小石川 光円寺住職の子として出まれた。若い頃は放蕩や放校も繰り返したというが、19歳で日本美美術院の研究生。その後、27歳で京都市立絵画専門学校へ入学。 

 本作品「山海図絵」は、主につぎの3点(①〜③)において、特色を有するものとおもわれる。

① マクロ(壮大な景観)とミクロ(日常の足元の暮らしぶり)の世界が、一枚の絵画によりみごとに、そして不可思議にも融合している点。

②正面から、上から、潜ったところから、というように、いろいろな視点、多面的な視点からの描写を、大胆にかつ想像的に試みている点。

③不染 鉄の生い立ちとも重なるが、本作品全体にオーラのように包み込んでいる、美しい風景表現は、京都の古典絵巻や、時宗の開祖・一遍上人が全国を旅した際に描いた「一遍上人絵伝」からの影響をうけている点。


(番組を視聴しての私の感想綴り)

 まずは、ダイナミックな構図の捉え方である。とともに、人、魚、植物の暮らしの細やかな細部にも、眼を凝らして描いている。しかも、それらを一枚の絵画の中に見事に、自然に溶け込ませつつ収めている。

 こんな構図を描いた絵は、いまだ観たことがないという驚きと戸惑い。そして、その後に抱いてしまう仄(ほの)かな、あたたかい感情とでも言おうか・・・

 手前に、太平洋。中ほどに堂々と悠々とそびえ立つ富士山。背後に眼を凝らすと、なんと日本海に伸びる能登半島の景観が観てとれる。

 ふだんの生活の中で、われわれはこの世界を「よく見えている」と考えているが、実は「よく見えてはいない」のではないか。

 そして、観たようで観たことのない景観が、現にこの絵の中に、絵として存在している不思議な感覚。スペクタクルな景観が眼下に広がっている。ドローンがあったわけでもなく、ヘリコプターやセスナ機で、上空から辺りを旋回したわけでもない・・・

 「海村」と「山海図絵」を、太平洋をつなげるように上下で並べあわせてみる。(番組の中で再現されていたが) 不染 鉄がかつて暮らした、伊豆大島の岡田村から、同じ海である太平洋でつながり、伊豆から、遠く富士山、そして日本海へとつながっている。

 「幻の画家が遺した美しき追憶」として、番組は結んでいた。しかし、私にとって、

これは単なる「追憶」ではないのではと感じた。

 見えないものへの想像力と創造力、「進化した追憶」とでも呼ぶべきものではないかと・・・ 「思い出」や「好きな歌の歌詞一フレーズ」なんかもそうであるが、ある一シーンとともに、追憶として蘇ったり、思い出として頭に仕舞ってあったりする。

 人間の記憶の不思議さにまで、想いが及んだ一枚である。

写真: 上:「山海図絵」下:「海村」と「山海図絵」を上下に並べてつないだシーン。美の巨人たち」テレビ東京放映番組<2019.1.19>より転載。同視聴者センターより許諾済。