『北星の有難いご縁』
『我れ、北辰菩薩にして名づけて妙見という。今、神呪を説きて諸の国土を擁護せんとす』
我が家の地主神である「北星神社」。凛冽な朝の寒気に包まれながら日々御参りさせていただくと、身が引き締まります。
「北星神社」のご祭神は、「天御中主神」(アメノミナカヌシノカミ)であり、 明治の廃仏毀釈前は「妙見菩薩」を御本尊とする「妙見宮」があったそうです。伝承では、根切(北方向にある字)の田から「妙見菩薩」の像が出土し、現在の「北星神社」の場所に落ち着き、信仰の場になったといいます。
私が住む「根戸」(柏市と我孫子市に跨る地名)は、そもそも「子斗」(子は北であり北極星、北斗七星を表す)と呼ばれており、それから「子登」、現在の「根戸」へと変わったのだとか。「妙見」とは優れた視力の意味で善悪や人の運命を見抜くという意味。
さてここからしばらく星と神仏とのお話です。
太古より天体の中で動かないように見える「北極星」は、方向を指し示す事から世界中で神格化されてきました。「北極星」への信仰は、アッシリアやバビロニアなどの砂漠の遊牧民族や、古代中央アジアの草原での牧畜を営む遊牧民によって古くから信仰されていたそうです。
古代中国に伝わると、道教などの星信仰と習合し、「北辰妙見菩薩」、「妙見尊星王」となります。仏典には「中央に大月輪を描き、中に菩薩像を描くに…」とある菩薩ですが、毘沙門天や弁財天と同じ天部としても扱われます。
日本における妙見信仰の正確な伝来時期は不明だそうですが、飛鳥のキトラ古墳の「玄武」は「妙見菩薩」を象徴しているといいます。奈良時代には既に妙見信仰が広く行われ、平安時代に書かれた「日本霊異記」には、「妙見菩薩」の霊験が記されています。北を守護し、四神獣の玄武(亀)に乗った姿で描かれる「妙見菩薩」は、密教と陰陽道で崇敬され、神社とお寺が合体した「妙見宮」に祀られてきました。
大和神話では星神はほとんど語られていませんが、これは星信仰がなかったわけではなく、秘儀秘法として封印されてきたためではないかとの説があります。大嘗祭の悠紀殿には、かつて九星(こほし)が祀られていたといいます。
八星の中心に位置したのが、後世の艮の金神こと「国常立尊」で、「妙見菩薩」と同一視された「天御中主神」。「ホツマツタエ」では、「国常立尊」は最後の「天御中主神」とされているそうです。
妙見信仰が関東地方に伝わったのは、天智天皇の666年から霊亀(716年)に、近畿・駿河・甲斐・相模などに住んでいた渡来人を関東地方へ移住させたことにより、妙見信仰が文化の一つとして伝わりました。
妙見信仰と、元々この地にあった八幡信仰とが習合し、「北辰妙見菩薩」という武士団の守護神となります。妙見信仰として有名なのは、坂東八平氏(千葉・上総・秩父・三浦・土肥・大庭・梶原・長尾)の一つで、千葉の県名である千葉氏(平将門の叔父、平良文を祖とする)です。
この千葉氏の嫡流が月星を家紋として、将門が妙見菩薩から授かったとされる千九曜紋を元祖に、末流は諸星をもって家紋にしたといいます。