神社の起こり
神社には神の鎮まる本殿の前に、捧げ物を供え祝詞などを奏する幣殿、神の供え物を整える神饌所、参拝者が着座し拝礼祈願をする拝殿、神楽や舞楽を奉納する神楽殿などがあり、これらを囲む瑞垣や玉垣、清水で身心を清める手水舎、神職が執務・参籠する社務所・斎館、種々の集会を行う参集殿、聖域の門としての鳥居などが建っています。さらに、多くの神社の境内は緑の森に囲まれ、各種建造物と樹木が渾然一体になり、機能と景観が保たれています。
神社の原初形態は必ずしも社殿を伴わず、年数回の祭りのたびに、村里を見下ろす山のふもとや清らかな川や泉のほとり、明るく神々しい森など、霊地として神聖視された場所に、神籬(ひもろぎ、臨時に神の座とされる榊などの常緑樹)または磐座(いわくら、同じく自然石)を設けて神霊をお迎えし、終わればお送りするのが常でした。
社(やしろ)の語源は「屋代」とする説があり、祭りの臨時の小屋を建てる場所のことです。野外でなされていた祭りの祭壇などを風雨から守るために簡易な覆い屋を設けるようになり、それを常設としたのが社殿の発生と考えられています。また宮(みや)の語源は「御屋」といわれ、建物に敬称の「み」を添えたものです。ただし、古代に「宮」の称号が許された神社は少なく、平安時代の『延喜式』「神名帳」に登録された二千八百六十一社中では、伊勢の大神宮(内宮)・度会宮(外宮)、その別宮の荒祭宮・滝原宮・伊佐奈岐宮・月読宮・高宮(多賀宮)、下総の香取神宮、常陸の鹿島神宮、筑前の筥崎宮、豊前の宇佐宮の計十一社に限られていました。
『古事記』の神話では伊邪那岐命が天照大御神に授けた首飾りの勾玉を、御倉板挙之神(みくらたなのかみ)と呼んでいます。本格的な社殿はこのような神霊が依り憑く鏡、剣、勾玉などの御神体(御霊代)と神宝を奉安する本殿が最初とされます。
神社建築の最古の類型は、伊勢の神宮正殿(本殿)の神明造りと出雲大社本殿の大社造りです。前者は稲などを納める穀倉、後者は古代住居が原型とされ、それぞれ宮殿の様式になり、さらに社殿にも適用され、八幡造り、日吉造り、住吉造り、春日造りなど種々の複雑な形態の源になりました。