【レポート】中編・白老のフィールドレコーディング
8〜9月にかけて白老で滞在制作を行った森永泰弘さんの長編レポート、中編です。実際にポンアヨロ海岸などで録音した音や、白老民族芸能保存会の皆さんによるハンチカプリムセ(水鳥の舞)なども公開。ぜひ聴いてみてくださいね。
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環境音のレコーディング@ポンアヨロ海岸付近
車を運転してくれているスタッフの栗須さんや飛生アートコミュニティーの人たち、現場で出会った方々へ聞き込みしていると、ほとんどの人が白老といえば「水」だと言っていた。白老周辺には湧き水スポットがあり、アイヌ語で神の水を意味する「カムイワッカ」がいくつか偏在しており、今でもその湧き水を生活に利用している人がいると教えてくれた。
またポンアヨロ海岸付近の崖の上や下には、アイヌの伝説や神話が多く残されていることも教えてくれた。ここはその昔、倭人との交易の場で、今でもアイヌの先祖供養祭が行われていて、とても興味深く感じた。
さらにアイヌの叙事詩ユーカラや座り歌のウポポにも、海鳥や魚や鯨などを歌うものがいくつか存在しているようで、「水」をキーワードに白老の音文化をフィールドレコーディングしていくことにして、まずはポンアヨロ海岸へ向かうことにした。
この辺りは崖に覆われていて、真ん中をポンアヨロ川が太平洋に向かって流れている。東側の崖を登っていくと灯台のカムイエカシチャシがあり、さらに平地を歩いていくとオソロコッが見えてくる。
カムイエカシチャシの鼻灯台周辺で、持参した二本のコンデンサーマイクロフォンをMS方式でセットアップし、風防とウィンドジャマーをマイクに被せてレコーディングしてみた。時々やってくる強風で草木が擦れてパリパリした音が聴こえ、遠方ではピンクノイズに近い波音が持続的に聴こえてくる。正直なところ感動的なサウンドスケープというわけではないのだが、景色を損なわない音というか、期待を裏切らない環境音がヘッドフォンに聴こえてきた。
こういう音を一人で記録していると、常々フィールドレコーディングというのは孤独な行為だと思ってしまう。ヘッドフォンを装着した瞬間に周囲を遮断し孤立する。僕自身が聴いている音を、そばにいる人と共有することはまずできない。マイクロフォンを通じて増幅されて聴こえてくる音は、ヘッドフォンをしている自分自身しか聴くことができないのだ。
その寂しさ、孤独さを助長するかのような閑散としたサウンドスケープが、まさにこのカムイエカシチャシ周辺のサウンドスケープから感じとれた。録音する時間帯や日時、季節によって聴こえてくる音というのはどれも違うはずで、アイヌの方々がこの付近で先祖供養の儀礼を行うときは、きっと彼らの歌声がここの環境音と溶け合って、素晴らしい響きを伴って聴こえてくるはずだと思った。
僕は2017年9月と2018年6月に、カムイエカシチャシからさほど遠くない、ポンアヨロの河口から西側の断崖の海沿いをぐるっと回った一角にあるアフンルパロという場所でも録音を行なった。この辺りでは、漁港を行き来する漁船のエンジン音が、凝灰岩にあたって跳ね返ってくるフラッター音を聴くことができる。
このアフンルパロという洞穴、アイヌの伝説によると「あの世への入り口」という意味で、アイヌの方々は近寄らない場所のようだ。僕が訪れた2017年には、このアフンルパロはゴミが蓄積されていて洞穴とは言い難く、「あの世への入り口」だと信じるまでに少し時間がかかってしまった。
マイクを洞穴に向けて録音した音からは、漁を終えた船のエンジン音が凝灰岩に反射した音が聴こえ、上空では飛行機が轟音で通過していく音が聴こえてきた。このようなアフンルパロの音環境が、2018年6月の再訪時には全く異なる音として聴こえてきた。洞穴周辺のゴミの蓄積はいくらか少なくなっているものの、海岸からの波音は以前に比べて異常に大きく聴こえてくる。何よりも驚きだったのが、凝灰岩周辺が実は大学生たちのロッククライミングの練習場だったことで、彼らの話し声でこの辺りの音環境は埋め尽くされていた。大学生たちが、ここが文化的に大事な場所であることを理解しているのかはわからないが、ここのサウンドスケープは刻々と人為的な影響で変化していることが理解できた。
音環境のフィールドレコーディングというのは、屋外で音楽や歌のレコーディングを行うこととは異なり、自分自身が想像している以上に予想外の音が聴こえてくる。その音を発見するのが面白さの一つである。
特にフィールドレコーディングは視覚情報と連動していて、聴こえてくる音の文脈や意味を探すことで録音物の具体性が帯びてくる。どこそこの音、何の音という特定の視覚的情報にまつわる音をレコーディングすることで音に意味を持たせることもできるのだが、視覚的文脈から逸脱した音を聴取することができれば、音本来の面白さを発見することができる。
「水」をテーマにアイヌの神話や伝説と関係した環境音をいくつか録音していくと、水がしたたる音や波や川の流れる音は、一粒ごと、一波ごとで毎回異なって聴こえてくる(本来、水自体には音というものは存在しない。僕たちが聴く音というのは現象だ)。
それにも関わらず僕たちは、音を記号化し、異なる音をいとも簡単に集約してしまう。記号化することで音に文脈や意味が形成され、その音が何かを理解することで音の聴取行為は完結してしまう。そうではなく、音を音として聴き、自分が聴いたことのない音を見つけていく過程が、本来の聴取行為の面白さだと僕は思っている。このような関わり方で「水」をテーマにレコーディングしていくことで、今まで聴いたことのない音を聴くことができるのではないかと思った。
アイヌの神話や伝説にだって水に関係する音はいくつかある。座り歌ウポポにも、水鳥や鶴をテーマにした歌がある。ムックリという口琴でさえも、雨音を模倣した音だという一説があるくらいだ。僕は環境音だけではなく、音楽や歌の側からも白老と「水」に関する音を記録していくことで、より広い視座で白老のサウンドスケープをレコーディングしていけると考えた。
うたのレコーディング@ポロト湖畔の雑木林
今回のプロジェクトでは、白老民族芸能保存会の方々にも協力してもらった。ポロト湖畔の奥にある雑木林で伝統衣装を纏った保存会の方々と待ち合わせ、今回の趣旨を説明すると、皆さんが好意を持ってくれたことを大変嬉しく思った。10曲くらいレコーディングさせてもらったウポポやリムセ、子守唄の中には、水鳥の舞や鶴の舞など水に関連する歌もいくつかあった。
CDやインターネットを通じて1950年以降のアイヌの人たちが歌った録音物をこれまでたくさん聴いてきたが、やはり生で聴くと、音だけではわからなかったことがたくさん浮かび上がってくる。
東南アジアでのレコーディングでも、音だけ録音したのではわからないことが多々あった。アジアの伝統芸能は、音楽や歌と同時に舞踊がある。音楽だけを切り離すことはできないから、演奏に合わせて踊りも伴ってくる。踊りと歌で一セットなのだ。だから僕はフィールドレコーディングするとき、必ずビデオカメラを持っていき、踊りも同時に記録するようにしている。
今回レコーディングした歌も同じで、保存会の方々は手拍子を取りながら歌い、それに合わせて踊っていた。水鳥の舞であればそれをイメージした舞いをし、全員が輪になって踊る様は、これまで訪問してきたカンボジアのムノン族やインドネシアのトラジャ族、中国南部のナシ族と類似していた。保存会の方々の歌と踊りを記録させてもらったが、みんなが輪になって輪唱しあっていく様は、まさにアジアの音楽文化の象徴だと感じた。
※後編へ続きます!