福井に伝わる「天神様」と「玉手箱」
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/170077 【福井に伝わる「天神様」と「玉手箱」】より
◆幼子の健やかな成長を願って
人は山などの頂上に立った時に初めて、これまでの来し方を全貌することができます。自分の子育てを終え、孫育ても後半期にあたる人生の時期にあって、特に保育士として子育てという仕事を通して色濃く関わってきた来し方を鳥瞰してみると、その子育ての在り様についても山の頂上に立って来し方を全貌する思いに至ります。
買い物に出かけると、スーパーなどで赤ちゃんやまだ小さなお子さんを連れられて仲睦まじく買い物をされている若いご夫婦によく出会います。そんな光景に出会うと微笑ましく、そうした御夫婦のもとで育たれているお子さんについ見入ってしまいます。
すると、たいがいお子さんは私に関心をもって笑ってくれたり、何かの好意的な反応を示してくれたりするのです。そんなお子さんの反応をすぐに見て取ってか、親御さんも私に微笑みを返してくださるのです。そんなとき、かつての保育士という仕事柄、お子さんはおいくつですか(何か月ですか)?とついお聞きしてしまうのです。すると、親御さんは嬉しそうに「○○才(○○ヶ月)です」と答えてくださるのです。
そこでお子さんについて簡単な会話が交わされます。それがきっかけとなって、さらに会話が展開されて、時には、親御さんから簡単な質問や今悩んでいることなどが話されるときもあるのです。そうした時には、元保育士だったということを明かしたうえで、さらに話が深まって行ったりもするのです。そんな出会いの中で、これから未来に向かって育とうとされているお子さんが、健やかに育っていかれることをいつも心から願わずにはいられないのです。
家族や社会を通しても、そうした子どもの誕生を祝い、その健やかな成長を心から願ういくつかの風習が、福井には伝えられているのです。
その一つに男の子が生まれると、正月にはその子の誕生を祝って家族から贈られた「天神様」を飾ってその成長を願うという、福井地方独自だともいわれている風習が伝承されているのです。天神様を贈るという風習については、福井に住む皆様であれば誰もがよくご存知のことと思います。
女の子には、今ではお雛様を贈ることが一般的ですが、お雛様ではなく、その娘が嫁ぐとき「玉手箱」というものを持たせて嫁がせるという風習もあったのです。
これは一部での伝承であってあまり一般的に行われていたことではないのかもしれません。ですから、知っている方は少ないのかもしれません。そして、その伝承が一部の人にではあっても、今でも行われているのかどうかもわからないので過去形での表現としました。
このような伝承にはどのような意味があり、どうしてこのような伝承が福井に伝えられてきているのでしょう。その本当の意味や理由は、他に古くから伝承されてきている多くの祭りの行事などと同様に、今ではほとんどわからなくなってしまってもいるのです。そうしたことについての深い研究や学びをしていない者にとっては、そうしたことの解明はそう簡単にできることではありません。ですから、後日、そうした方面に詳しい専門の方からのご教示を仰ぐことができたらと思っているのです。
ここでは、孫や私の「天神様」や「玉手箱」との実際の出会いの経緯をご紹介し、その出会いにまるで導かれるようにたどらせていただいた私なりの足跡をお伝えしていけたらとおもいます。それまでのたどらせていただいた中に、なにかそれらの本質的なものに触れたり、読み取ることができたりする機会が与えられていたようにも思えるからです。
これまでは子育ち(子どもの成長)や、その子育てについて、主として「誕生から死までの経過(この世という現実世界に対しての在りよう)」に視点を当てて見てきました。
しかし、現実生活を豊かに幸せに生きていけるよう一生懸命子育てをし、どんなに優秀で、立派な子育てができたとしても、人生においては、人間の力ではとうてい及ばない予期せぬ運命の出来事に遭遇しなければならないこともしばしばあるものです。
◆現実世界を超えて
『神智学』(高橋巌訳 筑摩書房)によると、
――誕生から死に至る人間の一生は誕生と死を超越している要因に、三重の仕方で依存している。肉体は、遺伝の法則に従っている。魂は、みずから作り出した運命に従っている。人は人間の魂によって作り出されたこの運命を、古い表現を用いて、カルマと呼ぶ。・・・そして霊は、転生の生まれ変わりの法則に従っている。霊は不滅であって、誕生と死は、物質の法則に従って、身体を支配し、運命に従う魂のいとなみは、この世に生きる限りは、この両者に関連を与えている――と書かれてあるのです。
先回のコラムで「自我」のことに触れさせていただきましたが、さらに「自我」についても次のように書かれているのです。
―― 子どもは自分の独立した本性をまだ自覚しておらず、自我意識がまだ育っていないから、自分のことを他人のように言うのである。
人間は、自我意識を通して、自分を他の一切から区別された独立の存在であり、「私」であると考える。・・・ジャン・パウルは(幼い時に自分は私だという内的ヴィジョンが突然降りてきた体験を持つ)、私の発見を、「人間の隠れた至聖なる部分だけに現れた出来事」と呼んだ。
自我は、肉体の中に生きている限り鉱物(物質)※1の法則に、エーテル体(生命体)※1を通して生殖と成長の法則に、感覚魂、悟性魂※2によって、魂界の法則に従っている。そして霊的存在を自分のなかに受け容れることによって、霊※3の法則にしたがう。鉱物の法則、生命の法則が形成するものは、生成し、死滅する。
しかし霊は、生成と滅亡には係わらない。
※1 筆者付け加え
※2 魂には、「感覚魂」、「悟性魂」、「意識魂」があるという
※3 「霊」についての訳し方については「精神」と訳されたりして、訳者によって異なる
自我の中には霊が生きている。霊は自我の中を照らし、自我を外皮として、その中で生きる。自我が体と魂を外皮としてその中で生きるように。霊は内から外へ向けて、鉱物界は外から内へ向けて、自我を形成する。・・・物体界の顕現が感覚と呼ばれるものと同じ意味で、霊界の顕現は直観呼ばれる。・・・人は霊から開示を受け、自我によってそれを受け取らねばならない。
魂の中に働く人間の自我は、直観によって上からくる霊界の報告を受けとり、感覚によって物質界からの報告を受け取る。――
子どもの成長を心から願って家族や身近な人から贈られてきている「天神様」や「玉手箱」の伝承を考えるとき、目に見える現実という世界だけではなく、現実を超えて存在するこうした目に見えない世界にまで拡大して考えていかなければならないように思えます。
幸い、ドイツの思想家、R・シュタイナーは、人間の教育をはじめ、その人間の多岐に関わる分野すべてにおいて考えるとき、私たち一般的な感覚では捉えにくい現実を超えた世界、「生命の世界」「魂の世界」「霊の世界」や更に「死後の世界」などの世界について数多くの講演や著作を通して言及されているのです。その思想「人智学」は「生を超えた世界」を基としている思想でもあるのです。
そして、特にこうした世界や死後の世界について語るとき、シュタイナー自身がこう語っているのです。
「一昨日の講演でお話ししたように、霊学の基礎づけを行うのは決して容易なことではありませんが、まして今夜のテーマ―となっている死後の問題を扱うことは、元来、現代人の思考習慣にとって暴挙であるとさえ言えます。ですから、これから申し上げる事実が、真剣な認識の努力から生じたものであるとはとても思えない人も多いことでしょう。奇妙な空想家のたわ言として片づけられるのがおちかもしれません。
死後の問題について語るときには、このことをよく意識した上で語らなければならないと思っています。」(『シュタイナーの死者の書』 高橋巌訳 ちくま学芸文庫――人間の生と死ならびに魂の不死について霊学は何を語るのか ◉霊学研究に必要な態度 より)
そこに書かれていることは、私たち読む者にとってはそう簡単に体験できる世界のことではありません。しかも、一般の感覚では大変捉えがたい世界のことでもありますので、そこに書かれている内容をまず理解することにおいてもそう容易なことではないのです。
しかし、子どもの育ちを考えたり、私たちの人生の在りようについて考えたりする上でも一度は通って、知っていた方がよいと思える世界だと思えます。ですから、ここではそれらの著作等を通してのあくまでも概要のご紹介でしかありませんが、子どもはどのような経過をたどってこの世に誕生してきているのか、「死から誕生までの経過」についてもご紹介していけたらと思います。
さらに関心のある方は、そうしたことが詳細に著されている著書や、それらに関する本が数多く出版されております。その一部ではありますが、文末に参考文献として挙げさせていただきましたの、よろしければそれらの本も参考にされて、各自でお読みになってさらに深めていっていただけたらと思います。
◆子どもは自分の人生を自ら選んで生まれてくる
「子どもは、この世に生まれたいと自ら意志して意味と目的をもって生まれてきている。そして両親をも選んで生まれてきている」と、シュタイナーは言っているのです。
以前にもこのコラムで書かせていただいているかと思いますが、これまで保育園では誕生日には、前もって、必ずそのお子さんのご家庭に※「誕生物語」のお話をお配りして、その「誕生物語」を通して、そのお子さんが生まれてきた過程を知って誕生日を迎えていただいてきたのです。
中でも、お子さんが障がいをお持ちの親御さんに、この誕生物語をお伝えすると、涙を流してお子さんを抱きしめられていた光景が思い出されてくるのです。
※故高橋弘子先生が幼児教育に関わる人に対して、ご自分の日本での「那須のみふじ幼稚園」の実践に基づいたシュタイナー教育を伝えるために心を込めて書かれた『 日本のシュタイナー幼稚園』にその「誕生物語」の全文が書かれてあります。詳しくお知りになりたい方はその著書をお読みになってください。
また、毎年、保育実習として実習に来られる中学生や、高校生の皆さんにも、この「誕生物語」をまず実習のはじめに必ずご紹介させていただいてもきていたのです。「私たちは、自分で生まれたいと意志してこの世に生まれてきている。しかも、自分が生まれるにふさわしい両親や環境をも自分で選んで生まれてきている」ということを、かつて受精卵だった写真を添えて紹介すると、たいがいの学生さんはとても驚かれるのです。殆どの学生さんが、それまでそんなことなど考えたことがなかったからです。
◆死から誕生へ
「誕生物語」にもあるようにシュタイナーの思想「人智学」は、人間の存在を「誕生から死まで」のこの世の人生だけを対象にしているのでは決してないのです。
まず、『シュタイナーの死者の書』(シュタイナー著 高橋巌訳 ちくま学芸文庫)によって人間の死から誕生までの概要をたどってみたいと思います。
人間は肉体(鉱物)、その生命を維持してきている生命体(エーテル体)、感情(アストラル体)、そして自我から構成されているといわれています。それらの構成体は死後浄化されて(肉体や、魂の執着が消えて)それぞれの世界に解消されていくのだというのです。
肉体を離れるとその肉体は大地の諸成分に還元されます。いわゆる土に返るのです。
そして肉体を離れて大切なことは、すべてのことが真逆の世界となって体験されてくるというのです。それまで外界として見てきたことは内界となり、内界であったことは外界として広がるというのです。それまでは大地の上に立って、鉱物界、植物界、動物界のもろもろの存在たち、山、河、雲、星、太陽、月を見てきていました。人々はこの天球の下で、大地に立って、周囲を知覚しているのです。しかし、人間が肉体を離れて死の門を通過するとそれまで内側から見ていた天球全体がまるで一つの星に縮まってしまったかのようにこの天球を外から見ているようになるのだというのです。それは一つのイメージとして、卵の殻の中のひよこが意識を持っていたとしてのたとえで、そのひよこが周りの殻を破ってこれまで自分を取り巻いていたこの破れた殻、つまり、これまでの宇宙を内側からではなく外側から見るときのような経過が、本当に、しかし、霊的に生じるのだというのです。
そして、その星の中から光輝く宇宙叡智が燃え上がる星のように、明るくなったり暗くなったりしながら、空間に広がり始め、全く動的な形をとって「前世の記憶像」、生まれてから死ぬまでの私たちが意識的に営んできた魂のすべての体験過程がいわゆる「思い出のタブロー」となって私たちの魂の前によみがえるのだというのです。それを数日間(正常な状態における私たちの肉体が、眠らないで覚醒状態を維持し続けることのできる間)私たちに提示し、私たちはこの思い出を見続けることができるのだというのです。
そのとき私である死者は「そうだ、お前は体から脱した。そしてその体は今、霊界にあって意志そのものになっている。意志の星、その成分がすべて意志から成り立っている星が、お前の身体だったのだ。そしてこの意志は熱となって灼熱化し、今お前がおまえ自身をその中へ注ぎ込んでいる果てしない大宇宙の中で、生まれてから死ぬまでに過ごしてきた人生を、一大タブローのような光景にしてお前に送り返している。今背景となっているこの意志の星は、おまえの肉体の霊的側面なのであり、この意志の星こそがお前の肉体をその隅々に至るまで活気づけ、力づけていた霊なのだから。叡智の光として輝いているものは、お前のエーテル体が活動し運動している姿なのだ」という想念に充たされているだろうというのです。
「思いでのタブロー」について私が初めて耳にしたのはもう何年前になることでしょう。当時オイリュトミスト※として多くの人に信頼されていた笠井叡氏の講演での冒頭からこのことが語り始められ、そうしたことを初めて耳にした当時の私はまるで場違いな、このままここでこうした話を聞いていていいのだろうかという非常に困惑した思いに立たされながらの講演だったことが今でも記憶にあるのです。
※音や言語を見える体の動きとして動き、その作用は身体や精神にも働きかけられる。芸術オイリュトミー、教育オイリュトミー、幼児オイリュトミー、治療オイリュトミーなどがある。
さらに引き続き次回も「天神様」や「玉手箱」に向けて歩を進めて行きたいと思います。
《参考文献》
『神智学』 ルドルフ・シュタイナー著 高橋巌訳 筑摩書房…これまで何度か改訂されてきています。
『神秘学概論』 ルドルフ・シュタイナー著 高橋巌訳 筑摩書房…同上
『シュタイナーの 死者の書』 ルドルフ・シュタイナー著 高橋巌訳 ちくま学芸文(『死後の生活 シュタイナー選集』イザラ書房…改訂前のタイトル)
『人智学の死生観』 ワルター・ビューラー著 中村英司訳 水声社 … 拡大医療活動協会から出版されていた医学博士の立場から書かれた本です。
『シュタイナー 死について』ルドルフ・シュタイナー著 高橋巌訳 春秋社
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/784009 【福井に伝わる「天神様」と「玉手箱」(21)】より
◆1枚の年賀状
新年おめでとうございます。1月も終わり近くになってしまいましたが、今年も皆様にとってどうぞ良い年でありますように心からお祈り申し上げます。
いただいた年賀状のなかに、思わず目が留まってしまった1枚がありました。その年賀状はなぜか全体にほんのりと温かく、柔らかい雰囲気が漂っていて、見ている私の心までがふんわりとほぐされていく思いがするのです。
年賀状の中央部には、それほど大きくはないのですが、今年の干支・いのししや小さな小人や花たちが、春の柔らかい緑の野原の暖かさに誘われたのか集まってきている写真が少しぼかして写されているのです。イノシシは可愛い目で何かをじっと見つめているのです。これからどんなお話が(新しい年が)始まろうとしているのでしょう。
写真の柔らかい緑の羊毛の野原に集まっている人形たちは、羊毛をフェルティングニードルという針でつついてフェルト化して作った人形で作られていて、その情景を写真にとって送って下さったのだと思います。私たちも子どもにお話をするときに、こうした人形をよく作ったものです。
送って下さった方は、長らくドイツでシュタイナー幼児教育を学ばれ、帰国されてからは、シュタイナー幼児教育者の養成講座などで養成に当たって来られている嶋村慶子さんです(先生と呼ばせていただいております)。私たちの保育園にも何度かおいでいただきご指導いただいたり、末娘のドイツへの幼児教育の研修にあたり、先生の園で実習させていただくなど大変お世話になった方です。
早速メールをしてしまいました。‘あの写真の中の人形たちはひょっともして先生の手作りでは?’と。その通りでした。やはり嶋村先生の手作りの人形たちでした。その人形たちの光景の中に、7歳までの子どもの育ちにふさわしいエーテル(生命)に満ちた「天神様」の世界を見た思いがしたのです。
◆天神様に戻って
「福井県や富山県では、長男が誕生するとそれ以後の正月、床の間に天神像(木彫や掛け軸)を飾る。これは幕末の頃に教育に熱心であった福井藩主松平春嶽公が領民に天神画を飾るよう推奨し、それを富山の薬売りが広めたという説がある。また富山藩や加賀藩(石川県)など前田氏(前田家は菅原氏の出を称していて、ちなみにその家紋は剣梅鉢・加賀梅鉢だという)の他の支配地域や隣接地域でも同様の風習があった」と、ネットのウイキペディアには書かれていました。
孫の誕生がきっかけで生じた、「福井に伝わる男の子の誕生に学問の神様として崇められている菅原道真を主祭神とする天神様を贈ることが今の時代にも本当にふさわしいことなのか」という疑問に対して、これまでおもいがけない、いろいろな世界に導かれてきました。道中、少し先を急いたこともあり、いくつかの書き記すことの出来なかったこともありました。それらを拾いながら、来し方を今一度簡単に振り返ってみたいと思います。
天神様といえば、その多くは菅原道真公を祀る天神様です。『語りの世界―昔話と伝奇伝承―』(構成 西川照子 平凡社)によると、主祭神が菅原道真の場合には濁音の「てんじん」と読むのに対して、京都の五条天神や北白川天神は清音の「てんしん」と読み、その主祭神は「少彦名神」だということでした。
芋の莢(さや)のうつぼ舟に乗って親神(根源神・結びの神)の命を受けて国造りのために海の彼方の「常世の国」から日本にやってきた小さなちいさな神様「少彦名命」だというのです。少彦名命は「少童神(わたつみの神)」とも書かれ、「小さ子」でもあるという。五条天神は「小さ子」バナシの元宮でもあるのだというのです。「桃太郎」や「金太郎」も「小さ子」なのです。
『古事記』では、応神天皇がまだ幼い頃、武内宿禰(たけのうちのすくね)に連れられて、気比神宮の主祭神・イザサワケノ命の坐す地で、ミソギをしようとすると、神は王子の夢に現れて、「私の名とあなたの名を交換したい」といったという。その名の交換の後に、神功皇后が出てきて、奇妙な歌をうたうという。その中に「常世」「少彦名命」が出てくることがまた奇妙という。
桃太郎のもっとも古い伝承は福井県敦賀のその気比神宮に伝わっていたという。桃太郎は山で生まれ、その伝承をさかのぼってその山を訪ねれば、福井県大野郡の泉村下山にもたどり着き、その山は、山…いくつもある。その中で一際威容をなす白い山・白山…。
「桃太郎」は大阪の「てんじんさん」の社、天満宮摂社・「大将軍社」にもいたという。神の名はオオカムツミ「意富加牟津見神」。
妻イザナミの後を追って黄泉の国に行ったイザナギがそこで見たものは変わり果てた妻イザナミの姿。その姿を見られて追いかけるイザナミにイザナギは桃の実を三つ投げつけて退散させるという。『古事記』では、桃子(もものみ)とあり、「意富加牟豆美命」と書かれ、桃の実は功あった故に神となったという。
菅原道真、大宰府に流罪が決まり、いざ渡海という時に天満宮に坐すこの神に祈ったという。つまり桃太郎は航海の神。「海神」で、天神さん(てんじん)よりは古い神であったという。
一方には菅原道真をまつる天神(てんじん)さんがあり、もう一方には菅原道真を祀る天神よりも、古い天神(てんしん)信仰があり、その信仰はどこまで時代を遡れるのかは定かではありません。が、天神様は古事記の始原神・「天之御中主神(アメノミナカヌシ)」でもあるということでした。(『ホツマツタヱ』には始原神は「アメミヲヤノ神」でもあるとありました)
『シュタイナーの 宇宙進化論』(西川隆範著)によれば、地球期はその時代を遡っていくと、アトランティス時代、レムリア時代、ヒュペルボレアス時代、ポラール時代と遡っていくことができるという。地球が形成され始めたとき地球は今日よりもはるかに巨大なエーテル球として存在していたという。そして「ヒュペルボレアス時代」の前半までは、地球はそのなかに太陽、月、諸惑星を含んでいたという。そして、地球から太陽が分離していき、それまでは「死」は存在していなかった「死」を体験するようになったというのです。
レムリア期に月が地球から分離していったことにより、それまでの両性具有の時代から男女両性の分離が始まったというのです。太陽や月が地球と一体となっていた「ヒュペルボレアス時代」の前半までは、人間の魂にとっては楽園のような幸福な時代だったと書かれていています。そして、それは旧約聖書の創世記の人間の地上への下降(楽園からの追放といわれている)までにあたるというのです。この時代からやがて困難な時代を経て人間が地上に生きていく姿が、さまざまな民族の神話に語られているという。そして、日本の神話の‘神代の時代’「天之御中主神」の時代はこの時代にもあたるのだというのです。
「少彦名命常」の故郷は「常世の国」。龍宮城も「常世の国」。丹後の網野の浦島伝説では、浦島太郎が龍宮城から持ち帰ったのは「不老不死の薬」だという。または玉手箱には「寿命(とし)」(死なない命)が入っていた?と西川照子さんの文。それではひょっともすると「常世の国」とは旧約聖書の創世記のアダムやエバが楽園から追放される前の「エデンの園」?
そして、自然栽培塾でご一緒させていただいている敦賀の方にご紹介いただいた『ホツマ物語―神とオロチ―』(鳥居礼 著 新泉社)(鳥居礼氏によって、わかりにくいホツマツタエをより理解しやすいようにという要望に応えて物語形式に書かれたという)を参考までにご紹介させていただくと。
―ウツキネの子をみごもるトヨタマヒメは、大鰐船で急いで帰るウツキネに「これから「北の津(福井県敦賀市)」に向かうと、往く頃は臨月になっているわ。松原(福井県気比の松原)に産屋を作って待っていて」とトヨタマヒメは、ウツキネにあらかじめ頼んでおいた。……やがてウツキネは、トヨタマヒメとの思い出に満ちた生涯を終えた。四十八日の喪祭りを終え、伊奢沙別宮殿(福井県気比神宮)に亡骸を収め、ケイノ神として祭った。ケイ―笥飯―とは箱に入った弁当のこと。むかし、シオヅチの翁に笥飯をもらい、鴨船でトヨタマヒメのところにたどり着き、運を開いたことに由来する。―
と、敦賀の地名がはっきりと書かれているのです。敦賀にはいくつかの産小屋(産所)が残されていて、私も10年も前にもなるでしょうか、海辺の近くに残されていた産小屋(産所)を実際に行って見てきているのです。今も残されているのかはわからないのですが。
次回では、改めて金井朋子さんの『民話、叡智の宇宙』(今日の話題社)の―通りゃんせのわらべ歌に秘められた叡智―から子どもの成長と天神様について学ばせていただきたいと思います。
参考文献。
『昔話と伝奇伝承 カタリの世界』(西川照子 平凡社)
『シュタイナーの 宇宙進化論』(西川隆範著 イザラ書房)
『ルドルフ・シュタイナー 創世記の秘密』(西川隆範訳 イザラ書房)
『ホツマ物語』(鳥居 礼 新泉社)
『シュタイナー 霊的宇宙論』(高橋巌訳 春秋社)