山県昌景
2025.01.25 15:00
やまがた まさかげ
甲斐武田家臣。
武田四天王のひとり。
もとの名は飯富であった。
昌景が改名した経緯は、一族の飯富虎昌が謀反を企て誅殺された事による。
昌景はたとえ同族であっても裏切りを見過ごせず、密告したことから事件は発覚した。
武田信玄は昌景を縁座(連座)とせず、武田譜代名家の山県家を継がせ名を山県に改めさせた。
飯富虎昌は「甲山の猛虎」と呼ばれた猛将で、甲冑を赤一色に染めた「赤備え」を率いていた。
飯富虎昌亡き後は、昌景が「赤備え」を引き継ぐことになった。
その後も武田家の主だった戦いに参陣する。
昌景は武田家随一の猛将として活躍し、精強をもって知られる「赤備え」は各地で恐れられた。
が、当の昌景本人は小柄な体格だったらしく、「武田の小男」との異名を放った。
川中島の戦い
山県昌景(当時は飯富昌景)は先陣左翼
昌景も馬場信春と同じく重臣の筆頭格であったが、やはり武田勝頼からは疎まれた。
長篠の戦いでも撤退が退けられ、昌景は先陣左翼として徳川陣に突撃した。
やがて武田勢は壊滅しその撤退の最中、昌景は討死する。
長篠の戦い
山県昌景は先陣左翼