ファッションが教えてくれたこと(や)
気がつくと、過去の自分に対して「大丈夫だよ」と語りかけていることがある。自分に割り当てられた優先度が低かったこと、心無い言葉、言葉すら向けられなかったことーー。それに対して、それらの出来事が意味を持つ必要性もないのだけれど、自分が傷ついたことを認めて、「大丈夫だよ」と語りかけている。今はもう大丈夫だと、と。その度わたしは自分の言葉を聞いたり聞かなかったりする。
その本当に小さな傷跡の一つが、誰も悪意はない、以下の出来事だ。
もう10年近くも前の出来事なのだけれども、留学が決まって、1年間の生活費と渡航費が大学から一括支給されることになった。しかもそれは日本の銀行宛でなければいけないらしい。さらに支給の時期は渡航の前と決まっていた。
ということは、日本の銀行から、到着後に開設する現地の銀行口座へ送金する必要が生じるのだが、わたしの善良な両親にその話をしても、ちんぷんかんぷんで、とてもじゃないが無理だと言う。留学生課に相談するも、「みんな、親御さんに送金してもらっています」との言葉を向けられた。
そこからさてどうしようかーーと考えて、結局はデビットカードを作って日本のネット銀行からキャッシングで、直に生活費を引き落とすことにしたのだけれども、当時はそれもまだ一般的ではなかったので、大学側を説得するのは非常に大変だった。
世の中には、あまり苦労をしなくても、自ら動かなくてもチャンスが巡ってくる人がいる。一方で、あらゆる場面で躓き、自分で声を挙げて初めて存在が存在として認められる人もいるのだ。
このことを、わたしは最初、不公平だと怒って泣いていたが、仕方ないと思うようになった。けれども、先日体調が悪いときに、その不満が一気に噴き出して、わたしは自分の属するコミュニティを、ほとんどは紹介もないまま、一人で乗り込んで、肩書きも何もない自分がその場でどんなに居心地が悪くても、居座ることで居場所を確保してきたけれども、結局はどこのコミュニティでも自分は必要とされていないし、誰からも必要とされていない存在だと思えて泣いてしまったのだ。
それでも、思い出したのは、インドでのヨガ修行の最中に「ここは有名がグルが修行をした」という洞窟に連れて行かれ、とりあえず目をつむって瞑想の真似事をしているうちに、わたしの思考が行き着いたのは、あのゴツゴツしてものすごく冷たかった岩肌が、わたしがそこに腰を下ろしているうちに温まった、というその一点だった。
わたしから漏れ出た熱は、その場を温めることができる。一方でわたしの身体も冷えるだろうが、そんなことは大したことじゃない。温まった岩肌は、わたしの方を温めてくれる。
一晩じっくり眠ったら、生きていること自体、厚顔無恥ではないとできないことであるし、わたしは無遠慮に、自分勝手に、堂々と自分の身を置きたい場所に居座ろう、と思ったのである。
さて、ドイツ宛の送金はなんとか解決できたけれども、一方で「あとで送ってほしい」と箱に詰めた服は(というのも滞在先が入国後にしか決まらなかったからである)、一向に届くことがなかった。
わたしは、このことはわたしの人生において、最もよい出来事であったと思っている。
というのも、服がないので、すべての服を現地で買い直す必要があったのだ。わたしはそれまで服装に全く興味がなかったが、自分の好きな服を着ること、その局面で必要なメッセージ性を込めることを、嗜好の異なる友達と服を買いに行くこと、好きな色を感じ、試着し、組み合わせることで、すべて学んだからである。しかもドイツの服のサイズは大きい。周囲の人に咎められることもないので、なんでも試してみることができる。肩出しのパーティー服から、ピクニックに来ていくふわっとした花柄のワンピースなど、たくさんの服を買った。
その服のほとんどは、もう好みが変わってしまい捨ててしまったけれど、わたしという人間がここにある、と強く感じたいときに、そして前述のような心細さに陥るような時も、ファッションはわたしの味方である。「ファッション」と言ってしまうと、必要以上の響きを残してしまうけれども、人間が、自分の皮膚を選ぶように服を取り替えられることは僥倖であると思う。わたしは自分の好きな服を着る。その始まりには、心細さや寂しさもあったけれど、それを楽しめること自体、わたしがそれを乗り越えたという証拠でもあるのだ。