新世界紀行 エジプトの旅28 過去&年越し 2025.04.04 14:54 ルクソールの夜が、ゆっくりと深くなっていく。「マクドナルド ルクソール神殿前店」とでも呼ぼうか。ぼくらは、人の波にのみ込まれる前にマックの中へと逃げ込んだ。 通りの喧騒とは違い、驚くほど店内は空いていて、穏やかな時間が流れていた。世界中、ほとんどどこの国でもあるマクドナルド。 この国でも、店内の雰囲気は世界共通だった。 まるで「どこでもドア」でひと時だけ日本に戻ってきたかのような、奇妙な安堵。 何でもいい、ただお腹を満たしたい——そんな時、異国のマックは本当に頼りになる。 ぼくだけががっつり食べるのだろうと勝手に思っていたが、ソアとミリーも同じようにセットメニューを頼み、夢中で食べていた。 彼女たちは変わらず、英語で会話を続けていた。 そのせいか、どこか中国人らしさを感じさせず、ぼくの中でまだうまく「日本人ではない」という輪郭が掴めないままだった。 ぼくらは、スマートフォンの中におさめた写真を見せ合いながら、これまでのエジプトの旅を語り合った。 ぼくの男一人旅の写真はどこか無骨で、必要最小限な記録にすぎなかった。 一方で、2人が互いに撮り合った写真には、可愛らしさと旅の余白が残っていた。 ピラミッドを背景にした写真は、まるで映画のワンシーンのようだった。 ぼくの自撮りとは、比べようもなかった。 やがて話題は、彼女たちの学生生活へと移った。 ソアはソウルの大学、ミリーはロンドンの大学に通っている。 留学の経験のないぼくには、その日々がとてもまぶしく見えた。 ぼくが大学へ行ったのは、18歳のときではない。 社会人になってから通信制の大学に入学し、週末に通学し、平日の夜にレポートを書いて卒業した。 英語も、独学だった。 始めたころは、中学2年程度の知識がやっとだった。 読むにもカタカナ英語、話すにも何も単語が口から出ず、ただ強い悔しさだけが募った。 けれど、その悔しさが、ぼくの原動力になった。 好きな英語ユーチューバーの方が東京の英会話スクールを個人で経営していて、初心者向けのDVD教材を発売することを知り、すぐに購入した。 月に一度届くDVDを楽しみに待ち、画面の向こうの講師と一緒に練習した。 やがて、誰かと直接話してみたいという気持ちが芽生えた。 けれど、大手の英会話スクールには金銭的にも信頼度的にも通いたくはなかった。 その時、ふと思い出したのは、以前訪れたことのある教会だった。 そこには日本在住の外国人がいて、自然と英語を話す環境があった。 ぼくはキリスト教徒ではなかったが、熱心な仏教徒でもなかった。 自分に都合のいい、そんな言い訳を用意して、日曜の夜、その教会のミサに通った。英語だけでなく、キリスト教、そしてそこにいるオーストラリア人の牧師さんを始め通って来る方々の暖かさがとても嬉しかった。1人で生きてくることができたわけではないくせに、1人で生きてきたような寂しさ、あるいは強さ、孤高の気持ちを抱えていたぼくはその暖かさによって心にある氷が溶けていくようで、何よりもミサに通う動機となっていった。 1年半が過ぎた頃には、発音も表現も上達し、日常会話を交わせるくらいになっていた。 生まれて初めて海外に行ったのは、その後だった。 カンボジア。 内戦の痕跡、貧困の現実、そしてアンコール遺跡群を見てみたかった。あの日から、今へと、ぼくの人生は静かにつながっている。 社会に出てから、少しずつ、人生を変えてきた。 だから、今も信じている。 人生は、いつだって新しく変えていける、と。 すべては、自分の意志で選んできた道だった。 それが、ぼくの旅の根っこにあるものだった。 ソアとミリーが、これからどんな未来を選んでいくのか。 その先を想像すると、胸の奥が静かに温かくなった。 気づけば、マクドナルドで1時間以上が過ぎていた。 ぼくも、彼女たちと同じように、大学生のような気分でそこに座っていた。 ——きっと、こんな風だったのだろうな。二十歳前後のあの頃、ぼくが知らなかった、学生という時間は。21時を過ぎ、カウントダウンまであと3時間ほど。またルクソール神殿前のイベントで待ち合わせようと約束して、ぼくらは一旦お互いの宿に帰ることにした。お腹は満たされたけれど、体はヘロヘロに疲れ切っていた。カウントダウンに向けて少し体力を回復せねば。朝から15時間ぶりに戻ってきたビーナスホテル。今夜からは、ようやく予約通りのシングルルームへと移動する。オーナーのハッサンが「屋上でパーティをやっているから良ければ来てくれ」と言う。宿泊者が集まっているのだろうか。この日のルクソールにはもはや静かな場所などなく、このホテルもおそらくその屋上からなのだろう、爆音のアフリカン音楽が流れてきてとてもゆっくりできそうにはない。メイン通りから一歩離れたぼくの部屋は、通りのざわめきからは幾分解き放たれ、いくらかましではあった。ベッドに身体は横たえても、どこかスイッチが切れず、気が張っていて、ただ無心のままベッドに沈んでいた。思い出すのは、トレイルランニングの大会のこと。長距離の大会では、果てしない山道のどこかで、ほんの束の間の仮眠をとることがある。眠ってしまえば終わってしまうかもしれない。もう体を動かしたくないかもしれない。けれど、ふしぎなことに、目覚めたときには、再び前へと進む力が戻ってきているのだ。それとよく似ていた。この静けさが、ぼくのどこかを回復させてくれていた。2時間が経過した頃、スマートフォンが鳴った。ソアとミリーからだった。「そろそろ、向かってみるよ。」23時半、年の終わりを間も無く迎える街のざわめきは、夜の新宿を思わせた。誰もがどこかを目指しているわけではなく、ただその場に立ち尽くし、騒がしく、なにかの始まりを待っているような、そんな宙ぶらりんな雰囲気が、どこか似ていた。スリに気を配りながら、ぼくは神殿の真横にある先程のマクドナルドへと向かった。そこにはもう、ソアとミリーが立っていた。そして、地元の高校生くらいの男女に囲まれていた。「さっきからね、写真を一緒に撮りたいって、次々来るの」ソアが笑いながら言った。「ケータイとか、大丈夫? 取られてない?」「うん、大丈夫。ちゃんと前に抱えてるから」そのやりとりの最中にも、ヒジャブを被った女子たちが近寄ってきては、シャッターをお願いしていた。きっと、彼女らの韓国風のファッションやメイクが、エジプトではどこか異国的で、まるでアイドルのように映っているのだろう。ぼくらはそこから逃げるようにして、神殿前の広場へ向かう。誰もが、特に何をするでもなく、ただ笑いあって、叫んで、まるで世界が終わる瞬間でも待つかのように、静かに、しかし確実に近づいてくる0時を待っていた。初めて海外で年を越したのは、サマルカンドだった。「青の都」と呼ばれる、どこか時間が止まっているようなウズベキスタンの古都。そして今は、エジプト。遺跡の町、ルクソール。崩れかけた石の門と、空に向かって突き刺さるオベリスク。そんな場所に、不思議と人々の熱気とざわめきが似合っていた。遺跡に抱かれた夜というのは、どこか、神秘と、ほんの少しの不安を潜めていて、なぜだか胸がざわつく。まるで、何かが始まるような予感。それとも、終わってしまう何かの気配。誰が言い出したのかも分からないまま、人々がおそらくアラビア語で「10! 9! 8!・・・」と、数字を叫び始める。見知らぬ誰かの声に、見知らぬ誰かが続く。その声はどんどん大きくなり、気づけば広場じゅうが一つの鼓動のように震えていた。そして年が変わった。小さな、でも確かな破裂音とともに、空に花火が咲いた。「ハッピーニューイヤー!」それだけは、アラビア語じゃなかった。何百人、いや、千人や2千人もの声が、英語で一斉に叫ばれる。それが、なんだか可笑しくて、そして少しだけ感動的だった。「ねえ、東京とかソウルって、今何時かな?」ソアがポツリと呟いた。「朝7時。とっくに年越してるよ」「じゃあ、ロンドンは?」「時差は1時間だから、たぶん、まだ23時くらい」ミリーが静かに応えた。「そっか。じゃあ、もう一回カウントダウンできるね」誰が笑い出したのかも覚えていない。その場にいた全員が、まるで一つの小さな家族のように、笑っていた。こういうのを、日本では「ノリ」って言うんだよ、ってぼくが言うと、ソアとミリーはまた笑った。「カウントダウンするならぼくの宿で、オーナーが屋上でパーティをしているらしい。」とぼくが言うと「じゃあ、そのノリで行ってみる?」と、軽やかに返した。音楽と歓声が、街のあちこちから溢れていた。エジプト文明の壮大な夢なんて、今は誰の頭の中にもなかった。ただただ、この瞬間を楽しむためだけに、世界中から集まった名も知らぬ若者たちが、同じ空の下で、同じ時間を過ごしていた。不思議な夜だった。必ず旅の終わりが来る切なさは心の奥にあって、でもそれ以上に楽しくて、そして、今ここにしかない気がして、きっと、もう二度と同じ瞬間は来ないのだと、そんなことを思いながら、ぼくらは笑いながら歩いていた。ぼくが好きなアーティスト藤井風くんの曲に青春をテーマにした曲がある。もう2度とやってこない時代ではあるけれど、——青春って、こういう夜のことを言うのかもしれない。明日にはまた一人旅になる気持ちは今だけ少し隠しておこうと思った。