女性の美しさは都市の一部分です
【wording】
「女性の美しさは都市の一部分です」
(資生堂インウイ)
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1981年からしばらく用いていた「資生堂インウイ」のタグライン。コピーライターは回文でも有名な土屋耕一。「インウイ」とは「驚くべき、前代未聞の、並外れた」というような意味のフランス語のせいか、この都市ってパリだろうなって思っていた。(土屋耕一に確かめたことはないが。)
……というのも、かりそめに100万人を超える人々が住む都邑を〝100万都市〟として、それらのところに自分が赴いている数を数えてみた。34都市になった。それぞれが魅力的でたくさんのストーリーはある。
だが、パリは別格。〝世界の首都〟っていう感じさえする。
凱旋門から四方八方に放射線状に伸びていく街並みが美しい。街並みが美しいと女性が美しい。女性が美しいと男性も美しくなる。それらが渾然一体となって成熟した都市の美しさを見せてくれている。
(今は「黄色いジャケット」運動で大騒ぎだが、な〜に、あれくらいのことは今までことごとく吸収してきた。)
イタリアの最も主要な産業は「デザイン」で、フランスのそれは「アート」と「センス」だという言い方がある。
そして、とりわけパリはその2つの〝見巧者〟の街だと思う。子供の頃から「アート」と「センス」のシャワーを浴び続けてきているので、市民レベルが高い「眼識」を持っている。いつでも「センス」と「アート」の後援者になる準備がある。それが凄い。
その芸術性がすばらしければ、人間性も国籍も何も問わない。スペイン人のピカソもオランダ人のフェメールもパリという街のフィルターを合格して、認められ賞賛されて、世界基準になった。つまり、“芸術本位制”がこの街のプライドだ。
フランスの言葉に「着たら負けない」という言葉がある。「女は30から」というのもある。女も30歳も過ぎれば、20代の若い女性には、多分ヌードでは負ける。でも、服を着れば負けない。武器はある程度以上のクオリティのものを手に入れられる「余裕」とそれを着こなす「センス」だと主張しているのだ。
この街の若い女性はもちろん都市の一部分だ。
だが、〝大人の女〟の人たちの美しさも等しく重要な一部分だ。