こうの一郎 幼少時
あまり自分のことを書いていないので、幼少時のことを思い出しながら書きます。
1959年11月21日 宮崎県宮崎市清水町あたり10号線沿いの家で生まれました。病院は昔の木造りの県病院です。姉二人で待望の長男として生まれました。この写真は長らく写真店に飾られていたとのこと。o(^▽^)o
3才のときまで宮崎市内にいました。イチローは不思議と三歳までの記憶がはっきりと幾つかですが残っています。家は大きな倉庫があり、布が積みあがっていて、そこにいつも女性がミシンをしていたことやそこに野良猫が住み着いてよくいっしょに遊んだことも覚えています。
まだ歩けない時ですが、二階に居て、窓から積み木を投げているシーンを見ているもう一人の自分や、橘百貨店に連れて行ったもらったこと、山伏が来てほら貝が怖くて逃げ回っていたこと・・・
公園でヤギやぎに蹴られたことやそのヤギに3つ上の姉が縄を持って叩きにいったら、その縄を食べられてしまったことなども覚えています。
一番の思いでは、父がコレクションのレコードを掃除している時、3才前の自分も手伝ってレコードを運んでいたら、しりもちをついて、別のレコードを割って、すごく父に怒られ、おお泣きした思い出があります。
河野家としては、ゆとりのあった時代で、父が上の姉の小学校のPTAの会長をしていたとのことです。
三歳の時、父の弟が名古屋に居て、名古屋が発展するから来ないかという誘いで引越ししたようです。50年前の名古屋市緑区に引越ししました。引越し当日まで三輪車に乗って遊び友達と話している場面も覚えています。その会話の内容までも「名古屋に引っ越す」という両親の話の受け売りだと思いますが、覚えています。
幼少時のことを覚えていない人も多いと聞きますが、イチローの記憶はワンシーンの印象のある場面ですが、今でもしっかりと思い出せます。幸せな幼少時でした。