新世界紀行 エジプトの旅30 カルナック神殿 2025.04.18 15:20 極限の疲労の中、僅か5時間ほどしか寝ていないのに、体は軽い。8時頃に朝食会場へ行くと、まるで約束でもしていたかのように日本人の宿泊者たちが集まり始めた。皆、昨日はどうだった、今日は何をする、など雑談と情報交換をする。昨夜、年越しを待たずに寝てしまった人もいて、よくあの爆音パーティの音で寝れたなあと感心する。一期一会。皆、また、それぞれの旅へと向かっていく。ルクソール。ビーナスホテル。たった2泊とはいえ、ぼくにとっては永遠とも思えるような濃密な時間だった。色々あったがオーナーのハッサンにはよくしてもらい、感謝をしている。9時過ぎ。ひとり、静かにリュックを背負い、ぼくは宿を出た。カルナック神殿までの道のりは、どこか夢の続きのようだった。通りにはまだ観光客の姿は無く、日常を始めようとする地元の人が店の準備などを始めていた。埃っぽい風が、ぼくの足元を撫でていた。まずはルクソール神殿方面へと向かう。快晴の空の下で見るそれは、ライトアップとはまた違った色に光っていた。ここからルクソール神殿とカルナック神殿は3キロほどの参道でつながっていて、ぼくはその参道に沿って歩いていく。観光地とはいえ、神殿を離れていくと地元の商店や民家が並び、世界的な神殿とはいえ下町と共にあるのだと理解した。ここはスフィンクス参道と呼ばれ、数メートルおきに全長2メートルほどのスフィンクスがひたすら並ぶ。こうした文化が、シルクロードを歩き、仏教国の中国へ入り、最後に日本へやって来ては「神社」や「狛犬」文化に変化していったのだ。楽しくてあまりにのんびり歩いていたら1時間ほどかかってしまい、カルナック神殿のチケット売り場についた頃には10時半になっていた。ルクソールで使えるタクシーアプリを開くと、観光地であるここならタクシーを呼べそうだった。ここの滞在時間は僅か2時間。集中して見学しようと決めた。最初に神殿の門の姿が目に飛び込んできた瞬間、息を飲んだ。巨大な石柱がいくつも、まるで時を超えて天へと立ち上がっている。千年単位の時間が、音もなくそこに屹立していた。ぼくはただ、それを見上げることしかできなかった。柱のひとつにそっと手を触れると、冷たくて、重たくて、それでいてどこか優しかった。この石に、どれだけの風が吹き抜けたのだろうか。どれだけの人々が、祈り、涙を落とし、立ち去っていったのだろう。ぼくはその一人になった。小さな旅人のぼくが、遥かな古代の巨人たちと対話しているような錯覚に陥る。声なき声が、耳の奥に響いた。「よくぞ来た」とでも言うように。砂の匂いの中に混じる、時間の香りに、ぼくの胸が静かにふるえた。古代の人間は、なぜこんなにも壮大なものを築くのだろう。そして、ぼくはなぜ、こんなにも遠くまで来たのだろう。それはたぶん、答えを探すためじゃない。ぼくは答えがあるものが嫌いなのだ。そうだ、答えのないものに、ひたすら触れたかったのだ。ぼくは、リュックを足元に下ろし、そっと腰を下ろした。風が吹いた。カラスのような鳥が、空を切った。そのすべてが、ぼくの心に刻まれていった。まるで、生きていることの証のように。いや、それはつまり生きている証だ。日本では感じられなかった感覚。海外の地へ来ると、血が煮えたぎるような生の証を強烈に感じることができる。ぼくはそれを求めてやってきたのだ。地図を見ながらカルナック神殿を歩いているが、広過ぎて現在地を見失うこともしばしば。ひと気のない通りがあり、行って見るとまた別の巨大な構造物があったが立ち入り禁止となって警備員が立っていた。奥を覗くと巨大な神殿が建っていた。しかし立ち入り禁止なのだ。その警備員の男がぼくを見て、人差し指と親指を擦る動作を見せた。ーーー金をくれれば入れてやる。ということか。エジプトではどこでもある光景だ。ぼくは無視して引き返すことにした。後からやってきた欧米人カップルにも警備員は同じ仕草をしていたが、ノーと言って同じように引き返してくれたことにぼくは安堵した。さらに、神殿内を歩いていると、見覚えのある方が目に入った。一昨日、アスワンで、イシス神殿への船着場で出会ったSさんだった。アスワン駅でのお別れからたったの2日だというのに、随分久しぶりに感じるのだ。その2日間のことをお互いに駆け足で話し、ぼくはこれからルクソール空港へ向かうことを伝えてまた、お別れとなる。12時20分頃、ぼくはカルナック神殿を出て、通りに立っていた。背後には、いくらでも見ていられるほどの壮麗な神殿がまだ佇んでいる。でも、もう戻ることはできない。飛行機に乗らなくては。ルクソール空港からカイロ行き。間に合わなければ、すべてが狂う。ここからが本当の勝負だ。まずは、タクシー。捕まえなければならない。もしアプリで呼べなければ、通りに出て流しを探さなければならない。だがこの辺りで流しのタクシーが都合よく走ってくる保証なんてない。仮にいたとしても、ぼったくりである。さて、タクシーアプリが機能するのか?使うのは初めて。事前にクレジットカードは登録しておいたが、それだけでは到底安心できない。ぼくはスマホを取り出し、手が汗ばむのを感じながら、ルクソールで使えるというタクシーアプリ「カリーム」を起動した。緊張で喉が渇く。目的地を空港にセットし、検索を開始。……頼む。捕まってくれ。画面上で読み込み中の円がぐるぐる回る。その間、時間だけが無慈悲に過ぎていくようで、ぼくは思わず画面を睨みつけた。――出た。見つかった。よし……!10分ほどで到着予定と表示された。だが、喜びはすぐに不安へと変わった。アプリ上のタクシーは、地図の中で同じ場所をぐるぐると迷うように動いている。なかなかカルナック神殿には近づかない。12時30分を過ぎた。カイロ行きの飛行機は14時25分。逆算すれば、13時には空港に到着しておきたい。つまり、もうタクシーに乗っていなければならない時間なのだ。ヤバい。この国で、いや、海外で、時間通りに物事が運ぶなどと思ってはいけないのは、何度も経験済みだ。ぼくは焦った。心臓が早鐘を打つ。指先が震える。タクシーは……どこだ?インドの空港で大災害でも起こったかのような人の群れの中、右往左往し、列すらどこにあるのか分からなかったあのとき。インドネシアで「国内便だから余裕」と油断して、チケットカウンターが既に閉まっていたとき。あの絶望が蘇る。どちらも運良く飛行機には乗ることができたけれど、もう、あんな思いはしたくない。地図上では、タクシーはゆっくりとこちらへ向かっているように見える。が、それを信じていいのか?本当に向かっているのか?何か不測の事態が起きているんじゃないのか?スマホのGPSが狂っているだけかもしれない……。じっとしていられず、ぼくは神殿前の大通りまで出た。どこからタクシーが来てもすぐに見つけて乗れるようにするためだ。道を間違えられたら最後。ここで乗り遅れたら、次の一手は頭にない。海外ひとり旅では、ほんの些細なことも異様に不安に感じる。このタクシーに乗れるかどうかが、旅の終盤を左右する。スマホの画面にタクシーの位置が映る。じわじわとこちらに近づいている。——と思いたい。だが実際に目で見るまでは、何も信じられない。そして——通りの向こうから、砂埃を巻き上げて一台の車が近づいてきた。アプリの表示と同じナンバー。運転手が窓を開け、こちらに手を振る。——来た!身体の力が抜けた。緊張が一瞬でどっと押し寄せる安堵へと変わる。これだ。このタクシーだ。乗れる。空港へ行ける。ありがとう、最初で最後のアプリよ。ぼくは後部座席に滑り込み、ドアを閉める。エンジンの音とともに、タクシーはカルナック神殿を背に走り出した。旅のラストステージへ、ようやく道が開かれたのだった。