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堺から日本各地を歩く

蓮如上人

2019.02.04 22:54

本願寺中興の祖と言われる蓮如上人。蓮如が生まれた時の本願寺は青蓮院の末寺に過ぎませんでした。蓮如6歳の時、父親の存如が本妻如円尼を迎え、生母と離別します。『御文章』と呼ばれる親鸞聖人の教えをわかりやすく伝えることにより本願寺は徐々に信者が増えていきます。その後に比叡山からの迫害があり琵琶湖周辺から北陸(吉崎)で布教を行いました。

吉崎での布教により本願寺信者が爆発的に増え地元での軋轢が多くなったため、蓮如上人は畿内に戻り摂津出口を拠点に活動。山科御坊・石山御坊などを創建しました。


<蓮如上人の生涯:複数Webサイトより抜粋>
1415:京都東山の大谷(現・祟泰院)で生まれる。
1420:生母、大谷を去る
1431:青蓮院で得度
1440:巧如(本願寺6世)没
1457:存如(本願寺7世)没、本願寺8世となる
1465:延暦寺衆徒、大谷本願寺を破却〔寛正の法難〕
1466:山門(比叡山)に抗し、近江金森・堅田で史上初の一向一揆
1467:親鸞祖像を堅田・本福寺に移す
1468:延暦寺が堅田を攻撃〔堅田大責〕
1471:北陸吉崎へ下向。吉崎に坊舎建立(吉崎御坊)
1474:文明の加賀一向一揆
1475:吉崎御坊退去、河内出口に向う
1476:蓮如上人、道顕のすすめにより、御坊を営み信証院と称す(現・本願寺堺別院)
1478:山科に坊舎を建て、出口より移る(山科本願寺)
1489:山科本願寺南殿に隠居
1496:生玉庄 大坂に御坊建立(のちの石山本願寺)
1499:山科本願寺にて85歳で往生


<蓮如上人ゆかりの地>
◎本願寺堺別院 ・ ◎本願寺山科別院 ・ ◎祟泰院(現知恩院塔頭) ・ ◎青蓮院門跡