終活講座「エンディングノートの話」7
3-⑦健康管理・介護要件(老人ホームや介護施設・病院・延命措置)
・健康管理では・・・
・毎年、体全体の定期健診をすることは言うまでもありません。勿論それで、完璧ではありませんが、基本です。
勤め先での検診は必ず受ける事と、診断結果の書類は必ず整理保存します。スキャンだけでもいいですが、出来れば、年間を通したデータが見られるようにするのが理想です。
人間ドックをやるやらないは、お金の問題もありますので、必須と言いきれません。
其れよりも、普段の管理がいかに大切かでもあります。
・介護については・・・
・介護にかかる費用計算の予測
・近辺にある(なるべく近いところ)施設を、普段からも、見学させてもらう事も、その時に慌てない対策のひとつです。
これは、よくニュースなどで問題化されるところなので、慎重な判断が必要です。
一番大切な点は、
安心して預けられるかどうかです。
費用の点もとても気になるところですが、「施設」と言うところは、「あずけっぱなし」になってしまう事です。
内情がどのようであるかは、時折覗いてみるだけではわかりませんし、週に一度でも、同居できるわけでもありません。(できるなら、内密にカメラを設置できればいいですが、中々難しいです)
体罰はなくても、言葉の暴力は、想定しておいても良いでしょう。必要な事も話さないと言うのも、言葉の暴力です。
介護・看護する人も,人の子です。本来の性格や、感情のなせるままに取る行動も、家族の前では絶対に見せませんし、隠れたところではあると思って間違いないのです。
介護職は、聖職です。しかし、その意識は、低いのです。それは、社会的地位や、その労働の困難性・給料の低さに起因しています。
患者・被介護者は、とても弱い立場にあるのです。
過去に一度でも、事件があったとか、利用者の話も、出来るだけ収集しましょう。
大切な家族を預けるのです。
本人が、「ここに居たくない」とか「うちに帰りたい」と言ったら、絶対帰宅させるべきです。その施設で何も事件がなかったとしても、本人にとっては、居心地が悪いのです。
例え認知症であったとしても、何度も本人の状況を見られるような状況にしてあるか・身内で誰がいつも付き添えるかなど、よくよく打ち合わせをするべきです。
それが、介護を考える第一歩です。
本当は、出来るならば「家での介護」こそが理想です。
預けっぱなしは絶対ダメです。
誰でも、何処でも、失敗は隠したがるものですし、責任逃れはします。
介護先・入院先などでの、日々の記録(体調・食事他)は、チェック出来る体制についても話し合います。
・介護人・看護婦・医者などお互いの会話がどのような話し方であるのかもひとつの目安です。介護職の人が、不満を漏らすような場面は見られないかもしれませんが、よくよくその時の表情を観察すれば、チームワークが整った人間関係の良いところがどうかも分かります。
・建物や設備内容
よく近代的で素晴らしい建物・設備を提供するところもありますが、往々にして高額です。
建物設備と世話の程度は、比例はしません。
また、何処にでもある状況・状態が一つでもないと思えるところは、ちょっと考えるべきです。どこにでもある風景がなければ「何故ないのか?」です。
一般の小売店の様に、いい店は、人が多いものです。
いい病院・いい施設も同じです。その逆であれば、何故かと考えるのも必要です。普段から、「何故か?」を考える癖も必要です。それが「ここで安心して預けられるかどうかの」目安にもなります。
・介護施設に通院するようになったら必要な事=車いすに乗ることになれば、送迎の度に、家の中と外への出入りの為にスロープが必要になります。その為の増改築が必要かどうかにも計画を立てなければいけません。常設できるスロープのあるなしは、介護労働の中でもひとつの苦労になるからです。これは、必ず発生する大きな問題点です。
・家庭介護=家で介護する時も、ベット・手すり・トイレ・食事・衣料・訪問医又は通院・介護者の選定、時間なども相談し合わねばならない多くの問題があります。
買う・借りるなどの事も考えた費用計算も必要となります。
・延命措置
これは尊厳死とも、同じ問題下にあります。
一番大切なのは、本人の意向でありますが、こればかりは、家族の意向もありますので、一長一短に決められません。
いつまでも苦しい状態をながらえるのは、非常につらいものでも有ります。
毎年よく話し合いましょう。「やっぱり」と言う事もあるかもしれません。
人の最後の時に、医者の対策をどのようにするかを、聞くことがあるでしょう。
しかし、医者もその通りにすると限りません。
例えば、「最後は呼吸が出来るように、喉を切開する」とか言ってもしない時もあります。
医者が、説明してもしなくても、家族側にとっては、何故なのかわからないでしょう。
生前は、延命措置は必要ないと言っても、いざその場になり苦しんでいる時に、果たして以前話していたことを、本人がその場でも同じく望んでいるかどうかは、わかりません。