4月の子どもたち
4月から木曜日に保育園で仕事をしています。
子どもたちの4月はどんなものだろうか。
我が家の3人の子どもたちも通過した、保育園時代の4月。
4月は割と頑張ってたかなーという記憶もある。
ぎりぎり頑張り抜いてGWに入る。GW明けは、一旦崩れる。
そして水が始まり、水に溶かしてもらったり開放してもらい持ち直す。
そんなリズムがあったようにも思う。
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今年のクラスでの様子をみたあと、昨年担任をしていた先生のお話を聞いていると、
どの子もなんだか怖いぐらいにさわやかな、いいスタートを切っている子が多くて驚く。
4月から急に(笑)
これってなんなのだろう。
これが子どもたちの持つ、「環境適応」の力なのだろうか。
去年の終わりまでこうだった、という姿が明らかに違いすぎる子もいる。
子どもたちは、一つ大きくなることにとても大きな喜びを感じている。
それは我が家の子どもたちの姿や園の先生たちから伝えられてきた事実。
そして、私が療育で出会うどの子も、より大きくなること、よりよくなること、
前へ、上へより自分を押し上げたいとどの子も無意識に思っているのが、
伝わってくる。
それぐらい、人に元々備わっているこの力って、すごく強いものなのだと教えられてきた。
そういうまなざしで子どもたちと関わるようになってから、
その力は確信的に分かるようになった。きっと、その力を感じ取る力が付いたのだと思う。
「よりよくありたい」無条件に備わっているこの力。これを上手く生かさないわけには
いかないなぁと思う。大人も子どもも。
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先生たちは、4月はとても慎重に子どもたちの様子を見ているのが伝わってくる。
頑張りすぎてないかな、固くなりすぎていないかなと。
先生の緊張感はきっとまだまだ5月に入っても続いていくのだろう。
その保育のまなざしのあたたかさを感じるたびに、
子どもたちもこうして見守られてきたのだなぁと子どもたちのたどった道に
改めて出会わせてもらっているみたいで、ご褒美のような4月だった。
いろいろな感謝が駆け巡った4月だった。
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さて、集団のなかで、本人がどうこの世界とつながっているのか。そして、どんな風に
集団の中で自分らしくいることが、本人の「よりよくありたい」想いを生かす形になるのか?
それは子ども単体の話でもなく、今のクラスの仲間との間で紡ぎ出されるものでもあり、その保育に関わる私たち大人自身の保育のまなざしを問い続ける問いでもある。
正解が決まってはいない、そこに集まった子どもたちと向き合いながら私たちで決めていく作業なのだろうと思う。
誰もが自分の力を生かしてそこに存在できる、自分の主体と周りの人の主体を混ぜ合わせる
作業への挑戦となる問いに向かう作業を先生たちとしていく1年にしたいと思う。
どうしたらいいのだろう?
みんな正解が分からないし、不安だし、自信なんてない。
私は集団保育の経験は全くないし、個をみる専門家だけれど集団については素人。
私も分からないけれど、先生たちと何を見つけたいか、どこに向かいたいかは決めた。
その想いも先生たちに伝えてスタートした4月。
まだ日々手探りだけれど、先生たちと一緒に一年走り切りたいと思う。
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「ねーーだれ?」
「すぎもとさんです。」
から一日の会話が始まっていた私と子どもたち。
今週は、
「あ、すぎもとまたいた。」
「いたよ、おはよ。」
に変わった。
私がいることが自然になり、
「すぎもと(さん)、おはよ。」
から始めてもらえる日が楽しみでもある。
pic.子どもたちと歩かせてもらった森