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風に咲きたる

2025.04.25 05:01

facebook加藤隆行さん投稿記事【想い出は重いで】

ボクのメルマガって、たいてい「トラウマ」とか「過去のしんどさ」とか、そんな話が多いんよね。まあ、それがメンタルを整える上では大事だからなんだけど。

でね、そういう過去のしんどい出来事って、無意識に何度も思い出しちゃうじゃない?

「自分ってダメだなぁ」とか、「やっぱり社会って怖いとこだな」とか、

ついつい思っちゃって、現実の中でそれを探しちゃって、見つけるたびに「あー、やっぱりそうだよね」って…その想いを、強化し続けちゃってるんです。

でも、現実はホントに「フラット」に存在してるだけ。

つまり、「怖い世界」でも「やさしい世界」のどちらでもない。

そこに何を見出すかは、どんな意味付けをしているかは自分の内側が決めてるってこと。

この仕組みが信じられたら実は世界が変わるんです。

で、ですよ、奥さん、今日はその逆をやってみましょうよ。

しんどかった記憶や過去ばかりじゃなくて「癒される想い出」を思い出してみる。

ボクには、いつも思い出すシーンがある。小学校低学年の頃、公園で、友達とブランコを漕ぎ合ってた。「どっちが長く立ちこぎできるか」って勝負しながら。

その日は、夏のちょっと手前の季節で、夕暮れがキレイでブランコの「キーコ、キーコ」

って音が心地よく響いてて。ちょっと汗ばみながら、夢中で漕いでいた。

ふと横を向くと、友達と目が合って、ニヤッて笑い合って。なんかそれだけで「つながってるなぁ」「嬉しいなぁ、楽しいなぁ」って感覚があってさ。日が暮れて遅くなってもずっと漕ぎ続けてて、そのうちどこかの家から夕飯のカレーの匂いがしてきて、「そろそろ帰ろっか」って、「せーの」でブランコ降りて。そして二人して「ハハハ!」って笑い合って。

…時間遅くなりすぎて、そのあと家でめっちゃ怒られたんだけどね(笑)でも、不思議なんだよね。その場面を思い出すと、身体がじーーんと温かくなる。

喜びとか、つながりとか、「自分でいいんだ」って感覚とか、そういうのが、言葉じゃなくて身体の内側に湧いてくるの。これが、めちゃくちゃ大事。

自律神経や脳神経ってね、**「身体で感じること」**によって育つんだよ。

そして、何度も思い出すことで、その神経は強くなる。逆に、いつも不安な人って、

無意識に「しんどい想い出」を思い出して、その神経回路ばっかり強化しちゃってるの。

(それって二度と同じ目に合わないようにする人の防衛機構なんだけどね)

だから今日、やってみてほしいのは、「ああ、あの想い出、よかったなぁ」ってシーンを、五感を使ってじっくり味わってみること。

もし、なかなか思い出せない人は、どんな小さなことでもいい。笑えた瞬間、安心できた時間、好きだった食べ物の味や匂いや音でもいい。

それを、じーーんと身体で感じてみて。その感覚にしばらく浸って味わってみて。

ほら、なんだか身体があたたかくなってきたでしょ。それが、その感覚があなたの心を癒やして、メンタルを少しずつ、しなやかに育ててくれます。

その神経が育ったとき世界は優しい場所に見えるのです(^ω^)


https://motanmozo.hatenablog.com/entry/2015/02/17/064908 【「雨の日には雨の中を」相田みつを】より

気高くそびえている聖人や偉人の言葉は、確かに素晴らしいと思います。しかし、悪い意味で、近寄りがたい気高さもあります。それにくらべると、あいだみつをさんの書は、身近にいるおじさんが、親しみをこめて励ましてくれるような暖かみがあります。

まず、そのぶきっちょともいえるような独特の言葉。読むうちに、あいださんにしか醸し出すことができない、なんともいえない、温かな、ふわっと、つつまれるような、そんなものを感じます。

書というのは、絵画に通ずるところがある東洋独特の素晴らしい芸術だと思います。

文字はある種、コミュニケーションのための記号ですから、無個性のもののようにも思われがちですが、それが、それぞれの書家の筆にかかるや、同じ文字でも書く者によって変幻自在、

その者の思いそれぞれに、その感じられたものが形となって羽ばたいてゆきます。

あいださんの書は、必ずしもスマートではないかもしれませんが、無骨ながら踊るような独特のリズム感が感じられます。

ある時は文字が大きかったり小さかったり、ある時は墨をたっぷりつけた堂々としたもの、

ある時は勢い余ってかすれてしまったり、ひょろひょろっとよれてしまったり。つまりは、あいださんの書というのは、今、まさに生きている人間の、ひとつひとつの鼓動のようなもの、生の呼吸のようなものが描かれている。そのように感じます。

自己が悩み悩み右往左往しながらたどりついたものを、ぽつりぽつりと、ひとつひとつの言葉を、迷いながら、確かめながら、そして、かみしめながら書く。

そんなところが、あいださんの作品を見る我々に、温かい、寄り添うような何かを感じさせてくれるような気がします。あいださんの作品は、自分自身生きていくうえで、ひとつひとつ感じ取った、それは決して観念的でなく、他人から借りてきた写したものでもない、その時その時の、あいださんの呼吸、生きている感触のようなもの。ですから、同じ言葉を書いた作品でも、それぞれにそれぞれの味がある。同じ題材の作品を何枚も描いた、モネの「つみわら」、ゴッホの「ひまわり」のように。