日暮れまでまだ閑のあり夕化粧 五島高資 — 場所: 下野市
facebook赤塚 高仁さん投稿記事
80年前の今頃 日本には雨ではなく、爆弾が雨のように降っていました。 63の都市が、焼夷弾で焼かれました。日本が世界の超大国、アメリカを始め、連合国を相手に戦争をしていたからです。戦争の結末は、もし陛下がそう命じれば、一億玉砕のような状況もありえたかもしれないのです。一般論ですが、他国の君主なら、人民をいくら犠牲にしても、自分が助かる道を選んだでしょう。しかし昭和天皇は自らの身を捨てて国民を救ってくださいました。
https://ameblo.jp/seishomandan/entry-12899332019.html?fbclid=IwY2xjawKBUrRleHRuA2FlbQIxMQBicmlkETFka21VWWRCZkxHOERWSGRyAR5sFWXp2Kl3CrT3EgvhlydQEwin4VdyMxChaiJVPm01tiVMOOftwcxQ37PdTQ_aem_MYjA8Rb2GPJWfmFqMzBIFA 【幣立神宮で日本よ永遠なれ!と祈る】より
熊本、幣立神宮
4年前の紀元節に、仲間たちと立てた「八紘一宇」の柱。 神武天皇が、ここから日本建国の志を定め 東征に向かった地。 正式参拝のあと宮司さんのお話を伺い、ヤマトの大いなる使命を知らされ、込み上げるかたじけなさに、涙こぼれました。
皇祖、神武天皇 皇宗、歴代天皇 126代続く、世界で最も長く続く王国、
それが日本 私の国です。歴代天皇の中で、 63年という在位 大東亜戦争という未曾有の国難 320万人の国民の命を失った 昭和天皇 昭和天皇のおかげで、私たち日本人は、国を失わずにいま、しあわせな暮らしを送っていられる。
忘れては、なりません。私は、幣立神宮で昭和天皇の玉音を聴いたのかもしれません。
80年前の今頃 日本には雨ではなく、爆弾が雨のように降っていました。63の都市が、焼夷弾で焼かれました。日本が世界の超大国、アメリカを始め、連合国を相手に戦争をしていたからです。戦争の結末は、もし陛下がそう命じれば、一億玉砕のような状況もありえたかもしれないのです。
一般論ですが、他国の君主なら、人民をいくら犠牲にしても、自分が助かる道を選んだでしょう。しかし昭和天皇は自らの身を捨てて国民を救ってくださいました。
昭和20年8月6日、広島に史上初めて原子爆弾が投下されました。9日には長崎に2発目の原爆が投下されました。反撃の力のない日本に、種類の違う原爆を落としたのは、戦争を終えるためではなく、人体実験であることは明らか。なんと白人キリスト教国の残虐なことか。
沖縄を収めていた連合国軍は10月には南九州に上陸する計画でした。そして11月には関東地方に上陸を敢行する計画も立てられていました。3発めの原爆投下予定地は、京都でした。
このような危機が刻々と迫る中、軍部も内閣も、ポツダム宣言(無条件降伏)受諾をできないでいました。
ところが、御前会議において、陛下ご自身が、身を捨ててポツダム宣言(無条件降伏)を受諾する旨、意見を述べられました。
御前会議で陛下が発言され、それに基づいて会議の決定とされたのは、異例中の異例であったのです。
陛下は、次のような意味のことをおおせられました。「戦争がはじまってから、陸海軍のしてきたことをみると、予定と結果が、たいへんちがう場合が多い。このような状態で、本土決戦に突入したらどうなるか、ひじょうに心配である。あるいは日本民族は、皆死んでしまわなければ、ならなくなるのでは、なかろうかと思う。そうなったら、どうしてこの日本を子孫につたえることができるであろうか。自分の任務は、祖先から受けついだこの日本を、子孫につたえることである。今日となっては、一人でも多くの日本人に生き残ってもらって、その人たちが将来ふたたび立ち上がってもらうほかに、この日本を子孫に伝える方法はないと思う。
このまま戦をつづけることは、世界人類にとっても不幸なことである。自分は、明治天皇の三国干渉のときのお心もちをも考えて、自分のことはどうなってもかまわない。堪え難いこと、忍びがたいことであるが、かように考えて、この戦争をやめる決心をした次第である...」
陛下のお言葉は、日本国民と、さらに世界人類のために、自分のことはどうなっても構わないという、広く無私なる御心でありました。8月15日、終戦の詔勅が全国に放送されました。もし、本土決戦すればほとんどの日本国民が亡くなっていた・・・ということは私たちの先祖もいなかった。ということは私という命も今、生まれてなかったのです。存在さえしてなかったのです。今日の日本、私たちがあるのは、国民のためを思い、終戦を決めてくださった
昭和天皇の御聖断にあることを忘れてはなりません。
すぐに陛下は、近江神宮に勅使を遣わされました。白村江の戦で敗れた後、日本復興を果たされた 天智天皇に日本復興を誓われたのです。
敵の将軍、マッカーサーのところへ 単身(通訳がついて行ったが、昭和天皇は、直接英語で話された)出向き、「自分は絞首刑になっても構わないが、日本国民を救って欲しい」と頭を下げてくださった。 命乞いに来たと思ったマッカーサーは驚き これが、天皇か!生きるキリストだ!! 自分も日本に生まれたかった、と書き記し 米国から食糧を送らせました。
2,000万人が餓死するところでした。沖縄を除く全県を8年かけてご行幸され、 国民を励ましてくださいました。幣立神宮の宮司さまは、私にこう言われたのです。
「昭和天皇は、日本が立ち直るには300年かかると 仰いました」ああ、 これが天皇陛下
これが大御心。
かたじけなさに、涙こぼれる。 日本の永遠のため、お役に立ちたい。
日本人であることを思い出し、この世に生きている意味を超えて、生かされてゆきます。
天皇陛下、万歳! 日本よ永遠なれ!!
facebook長岡 美妃さん投稿記事
昭和天皇記念館に行ってきた。激動の時代をリーダーというポジションをまっとうした昭和天皇。私たち日本国民は昭和天皇のことをあまりにも知らなすぎる。
教育の力を良いにつけ悪いにつけ思い知らされる。人は教育によって作られる。因果を教育によって結ばれ、それに依って思考感情を作り出す。母国を愛するようにもなるし恥じるようにもなるのはどんな教育を与えられるかによる。人間とはとてもシンプルなのだ。
私はラッキーであると思う。それは1945年8月15日の再解析を聞けたからである。それも韓国人のNohさんから。とてつもなく日本文明を愛し、日本文明のために文字通り命をかけている彼の終戦の解析を聞けたことは、日本人の私の中にある霊魂の傷を癒していった。
「昭和神宮を建てないといけないよ。」その一言を聞いた時は驚いた。しかし昭和天皇の和への決断と覚悟を、日本国民に対してのみならず世界人類に対する平和への意志を知った時、心から頷くことができた。
悟りとは何か?それは差が取れるということである。境界線のない世界から現実世界を観ることができた時、歴史文明の意志を無視することはできなくなる。その時に光り輝く一つの文明こそ、1945年8月15日の日本の決断でありその後の日本の歩みなのだ。
勝利国によって書かれた歴史をそのまま受け入れるのではなく、母国を必死に守り抜こうとした先人たちの思いを知ること、いや日本人としての解析をすることが必要なのだ。そうしなければ、日本の未来はない。世界の未来はない。そんなことを感じた1日であった。
facebookMasaru Hagiwaraさん投稿記事【魂は生まれ変り、不滅なんだ】
目黒川の夕暮れは静かだった。「なぜ、私はこの人生を選んだのだろう?」そんな問いが、ふと心をよぎることはありませんか?実は私たちの魂は、一度きりの人生だけで完結するものではありません。古代から多くの文化や哲学が語ってきたように、魂は何度も生まれ変わり、学びと成長を続けていく存在です。
インドの聖典『バガヴァッド・ギーター』では、クリシュナが弟子アルジュナにこう語っています。「私は無数の生を経てきた。あなたもまた、そうである。だが私はそれをすべて知っている。あなたは忘れているだけだ」この言葉は、私たちの本質が肉体ではなく、魂であること、そしてその魂は永遠であり、何度も輪廻を繰り返しながら、愛・赦し・信頼・真実といった深い学びを重ねていることを教えてくれます。
ある人生では「与えること」を学び、ある人生では「失うこと」から感謝を知り、またある人生では「孤独」を通して内なる神聖に触れる――魂は、自らが必要とする学びを選び取って、
舞台としての人生を創造しています。
ですから、いまの人生で経験している人間関係や課題、繰り返されるパターンも、すべて意味があるのです。「なぜ自分ばかりがこんな目にあうのか」「どうしてあの人に出会ったのか」
その奥には、魂が望んだ成長のシナリオが隠されています。目の前の困難は、魂にとっては“教材”。成功も失敗も、他人との関係も、すべてが「学びの場」です。だから焦らなくていいのです。誰かと比べなくていいのです。あなたの魂は、あなたにとって最も必要なタイミングで、必要な体験をもたらしています。そして今日という日もまた、魂の旅の大切な一歩です。「この出来事は、私の魂に何を教えてくれているのだろう?」そんなふうに問いかけてみると、日常のすべてが輝きはじめるかもしれません。魂は、今日も静かに、確かに、成長を続けています。何度も生まれ変わりながら――。
5月10日(土)午前10時からの「フラシュテクニック」のワークショップはどなたも参加
出来ます。心と体を統一するシンプルで強力な癒しの手法です。