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たまゆら

2025.05.06 05:14

https://www.joqr.co.jp/daijisen/2013/11/post-35.html 【たまゆら】より

今朝開いた言葉 「たまゆら」アナウンサーとして全ての日本語を発声すべく今朝も一度は声に出して読みたい日本語を探してみました。そして見つけた言葉が、「たまゆら」     

今まで使ってみたことはありますか?「たまゆら」は、「少しの間」「ほんのしばらく」の意味。漢字で書くと、「玉響」。玉が揺らぎ触れ合うことのかすかなところから、「かすか」「しばし」の意味に用いられました。

できれば趣きのある使い方をしたくなる言葉です。では現代俳句の柳生真左子さんの句をお借りして、みなさんも声に出して読んでおきましょう。「たまゆらの 命惜しめと 銀杏散る」

気になるコトバと出会ったら、大辞泉で調べてみてはいかがでしょう。


https://oggi.jp/7455477 【美しい日本語「玉響」何と読む?「ぎょくきょう」ではありません|類語や英語表現も紹介】より

「玉響(たまゆら)」とは、「ごくわずかの間」や「ほんの少しの間」という意味の言葉です。この記事では、「玉響」の意味や語源、類語、英語表現を紹介します。

「玉響」という言葉をご存じでしょうか? 美しい響きを持ち、日本語ならではの繊細で奥ゆかしい意味が込められています。この記事では、「玉響」の読み方や意味、類語や英語表現について見ていきましょう。

「玉響」とは? 読み方や意味を詳しく解説

「玉響」という言葉には、自然の中にある儚い一瞬を表現する意味が含まれています。その奥深い意味を理解することで、日本語の美しさを改めて感じることができるかもしれませんよ。

「玉響」の読み方と意味

「玉響」は「たまゆら」と読みます。辞書で定義を確認してみましょう。

たま‐ゆら【玉▽響】

[副]少しの間。ほんのしばらく。「―も心を休むべき」〈方丈記〉

[補説]「玉響(たまかぎる)きのふの夕見しものを今日の朝(あした)に恋ふべきものか」〈万・二三九一〉の「玉響」を「たまゆらに」とよんだところからできた語。玉がゆらぎ触れ合うことのかすかなところから、「しばし」「かすか」の意味に用いられた。

引用:『デジタル大辞泉』(小学館)

「玉響」は、「ごくわずかの間」や「ほんの少しの間」を指す言葉です。言葉の響きが美しいですね。和歌や詩など、文学的な表現で用いられることが多いでしょう。

「玉響」の語源

「玉響」という言葉の語源については、いくつかの説があります。代表的なものを2つ紹介しましょう。1つ目は、物につけた玉が揺れ動き触れ合う音がかすかであることから「玉動(たまゆら)」に由来するという説です。

2つ目は、「たま」が「てま」と同じ語源で、「間離(たまさか)」に対する「間寄(たまより)」の意味を表しているという説です。どちらも、美しく儚い響きに由来する表現といえるでしょう。

「玉響」の類語や言い換え表現

ここでは「玉響」と似た意味を持つ言葉を紹介します。いずれも、短い時間や儚さを表現する言葉です。

暫時(ざんじ)

わずかな時間やしばらくの間を意味する言葉です。文章で使われることが多いでしょう。

一瞬

瞬きをするほどの、非常に短い時間を指す言葉です。日常的にもよく使われる表現ですね。

刹那(せつな)

仏教用語に由来し、きわめて短い時間や瞬間を意味します。瞬間的で儚い情景を表現する際に、用いられることが多いです。

(略)

facebook赤塚 高仁さん投稿記事

言葉に霊がのる。まさに、言葉することは 祈ること。

声に出した言葉には、それを現実にする不思議な力がはたらき、引き寄せの法則がおこります。良い言葉を発すると、良いことがおき、悪い言葉を発すると、悪いことが起きる。

日本には、忌み言葉も多く存在します。

外国人のように、何でもかんでも口にしなくてはわからない、言わないことは、なかったことだ、だから言われなければわからない、という世界とは違うのが、言霊のくにヤマトなのです。何でもかんでも口に出すというのは、日本人にはなじまないのです。

https://ameblo.jp/seishomandan/entry-12900626832.html?fbclid=IwY2xjawKGfJ1leHRuA2FlbQIxMQBicmlkETFJNEduWk5Cb3ZYVW9tQUtTAR7TQEWayTlg8TIALKGKwFu-C4XFnoIFz0BIUQ5YNbssmZ0A4ylK0TxkZsQvZg_aem_bsoo5PtuMS1IJVG6OThbcg 【ヤマトは言霊の幸はう国なのです】より

 タリラリラーンのこにゃにゃちは  福井の朝なのだ、  涼しいを超えて寒いぞ。

 福井講演、当日参加も大丈夫だそうです。  福井県護国神社にて

話すことを仕事として、ずいぶん時が流れました。

ディベートと言って、自己主張を通す論争のようなものがもてはやされたことがありましたね。自分の考えをいかに相手にわからせるか、どちらかと言えば、声の大きい人が偉いような風潮でもありました。高校生がディベートの訓練をしているといった報道もありました。

ま、要するに口喧嘩の強い人が偉いと思われたようです。

欧米やお隣の国々ではそうだからで、外国のほうが進んでいて、日本は遅れているから?

 外国に倣わなければならない。どうやら、そう教えこまれてしまったようですね。

そして、真面目な日本人はそれを信じてしまったのでしょう。でも、よく考えてみましょう。

世界一長い歴史をもつ、このヤマトの国が外国に劣っているということがあるでしょうか?

万葉集に柿本人麻呂の歌で「葦原の瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国」と詠まれています。

日本は、神の国で、神様は我々の為すこと 考えていることをすべてお見通しだから、あえて何でもかんでも口にしないでもいい。それどころか、それは見苦しいことだ。と、いう国柄なのですね。

また、人麻呂はこうも詠みました。「しきしまの やまとの国は  言霊の助くる国ぞ ま幸くありこそ」日本は、言霊が助けてくださる国です。言葉に霊がのる。まさに、言葉することは 祈ること。声に出した言葉には、それを現実にする不思議な力がはたらき、引き寄せの法則がおこります。良い言葉を発すると、良いことがおき、悪い言葉を発すると、悪いことが起きる。

日本には、忌み言葉も多く存在します。外国人のように、何でもかんでも口にしなくてはわからない、言わないことは、なかったことだ、だから言われなければわからない、という世界とは違うのが、言霊のくにヤマトなのです。

何でもかんでも口に出すというのは、日本人にはなじまないのです。もちろん、言わなくてもわかって!というのは 子供の甘え。相手の心を思いやる、惻隠の情を育くまなければなりません。良い言葉を使うことは、全ての原点です。美しいヤマト人として、一人ひとりが目覚めるとき、日本は、世界の灯明台となることでしょう。

今日も 生かしていただいてありがとうございます。 福井講演、言霊の幸はうひとときとなりますように。