新世界紀行エジプトの旅32 ギザへ戻る 2025.05.06 08:08 ルクソールから乗ったカイロ行きの機内ではパンとコーヒーの軽食が出て、ぼくにとっては十分すぎるほどの休憩時間となった。予定通り1時間半ほどの旅で到着。ぼくにとっては、一週間ぶりに「戻ってきた」という感覚である。あと1泊、ここカイロで過ごせば帰国だ。ドラクエというテーマの冒険旅。クリアが目前という気持ちである。到着はやはり18時10分頃だった。 空港の出口へ向かって歩くと、初日の記憶と景色がかみ合わない。あれ? と一瞬、立ち止まる。「ここ、なんか違う。そうか、ぼくが来た時、あれは国際線ロビーだった。今は国内線だ。ターミナルが違うのか」たどり着いた出口の小さなロータリーには人が大勢いて、タクシーや迎えの車が次々と入っては出ていく。混乱というより、流れの中にある騒がしさ。首都の空気だ。Uberを起動し、タクシーを手配する。20分ほどかかると表示された。「それくらいすぐですよ」とKさん。「まあ、カイロだから。渋滞もあるかもしれません」地面は雨で濡れていて、水溜まりが鈍く光っていた。「明日、晴れるといいですね」Kさんがぼくの方を見ずに言った。「予報だと晴れ。風も穏やかみたい」「じゃあ、青空の下のピラミッド、見られそうですね」その言葉が、まるで魔法のようにぼくの胸に明かりを灯した。初日の、強風と小雨の中で歩いたピラミッドでは、やっぱりぼくは消化不良だった。タクシーがようやく到着し、ギザに向かって走り出す。その途端、また雨が静かに降り始めた。「傘、持ってます?」「いえ、もう宿に行くだけだから濡れてもいいです」車のワイパーが一定のリズムで窓をなぞる。カイロの夜は、レンガ造りの家々を雨でぼやかして、まるで絵のような風景に変えていった。車内、ぼくらは後部座席で日本語を話していた。すると、運転手がルームミラー越しに英語で話しかけてきた。「Are you Japanese?」「Yes, we are」「I work for a Japanese company」日本企業?とKさんが小声でつぶやく。「JICAで働いています」とタクシードライバーは続けた。夜はタクシー、昼は国際協力機構の職員ということなのだろうか。本当かどうかは分からないけど、詐欺めいた感じはなかった。でも、彼の英語はやや聞き取りづらく、走行音もあり彼の言っていることがよく聞き取れず会話は長く続かなかった。それを遮るように、Kさんがふと笑いながら話し始めた。「そういえば、香港で火災報知器鳴らしちゃったことがあって」「え? なんでまた?」「ゲストハウスの部屋を出ようとしていた時、リュックが当たっちゃったみたいで。全然鳴り止まなくて、、、帰国の便があったから出てきちゃったけど、帰国してから急にメールが来て修理費払えって言われて…」彼女の話は情景が浮かぶ。話がおもろしろく、外の景色なんか見ていられなかった。視界の悪さがむしろ心地よくすら思えた。昔から、ぼくは人の話を聞くのが好きだった。今ではそれを「傾聴」とか「聞く力」などと大そうに呼ぶらしいが、ぼくはそんな意識は全くなく、単純に「自分以外の人の人生を知るのが楽しい」という理由だった。自分が経験できないことを聞くことがとても好きだった。「それで? 払ったんですか?」「保険会社に問い合わせたら、何か証明は?みたいに聞かれて、保険会社からのメール文そのまま宿に送り返したら返事来なくなって、終わり。なんだったんだろう。でも、旅って、そういうことありますよね。」雨の夜、そんな他愛もない話を聞いていたら、あっという間に50分が経っていた。やがて、ホテルが近づいてくる。ぼくの旅のルールがある。「最後の宿は、ちょっといいところに泊まる」この一週間、アップダウンの激しい毎日をこなしてきた。埃っぽい宿、冷たいシャワー、小さなベッド。でも、それもすべて旅の味だった。だからこそ、最後はご褒美のような場所で、心を静かに落ち着かせたくなる。ホテルはピラミッドのすぐそば、チケット売り場の近くの細い路地の奥にあった。タクシーを降りて、スマホのライトで足元を照らしながら歩く。暗がりの中、フロントの明かりがほっとさせる。雑居ビルを改装したようなホテル。中はとても綺麗。受付の青年は柔らかい笑顔で迎えてくれた。チェックインのためにパスポートを差し出すと彼は嬉しそうに、「ワタシは日本のホテルで働いていました」と口にした。突然の流暢な日本語にKさんが「えっ」と小さく声を上げる。「ここは父のホテルなんです。ワタシが継いでいます」聞けば、日本で3年間ほど名のある有名ホテルで働いていたという。日本のホテルのホスピタリティに感動し、そのサービスを自分のホテルでも取り入れたいと思ったのだという。3階の部屋に案内される。広くて、想像よりずっと綺麗だった。「ピラミッドが見えるお部屋です」カーテンを開けると、窓の外にライトアップの光を浴びた三大ピラミッドが鎮座していた。「すごい…」Kさんはいきなりルクソールへ行ったため、最も有名な遺跡であるピラミッドを見たのはこれが初めてだった。まるでぼくが連れてきてあげたような、勝手にそんな気持ちになり、窓の外を眺めながら喜んでいるKさんを見て、ぼくもほっとしていた。一通りはしゃいだあと、Kさんは気持ちを切り替えて、「よし、鳩料理、食べに行きましょう」と振り返った。フロントの彼に訊ねると、すぐ近くの通りに観光客向けのレストランがあるという。「まだ開いてます。グーグルマップ、開けますか?場所をお伝えします。歩いてすぐです」「ありがとう」Kさんがスマホを取り出す。そう話すKさんの声は、どこか高揚していて、ちょっと笑っていた。ぼくらはとにかく荷物だけ置いて、また夜の街へと出かけていった。ぼくにとって、明日で旅は終わる。旅のクライマックスに向けて、あるいは冒険のエンディングに向けて、あと少しだった。