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白鳥伝説

2025.05.16 02:38

facebook水野延子さん投稿記事  六、白鳥伝説

[日本長尊]は、内々峠で死を覚悟され、尾張族の日神山の館にお住まいの[建稲種尊]の妹である[宮簀媛命]をご訪問されてお詫びをされました。そして、蝦夷征伐の計画を立てたは

一体誰なのか知りたかった為、剣を[宮簀媛命]にお預かりになり丸腰で日神山の館を出発され、伊吹山の山裾を通り[醒ヶ井]まで行った時、それが父であった事を知るのでありました。長尊(たけるのみこと)は、情けない思いをされましたが、それでも父を立てて、もし我が死骸を遺したならば父は困るであろう。父にそのような不孝を掛けられないと想われ、死骸なき死を遂げたのでした。

こうした事から白鳥伝説が遺り、白鳥古墳があちらこちらと造られたので御座いました。ここまで追い込まれても父を恨まず、それどころか父を思いやられる程のお方であった。

このようなお方こそ大和民族の誇りで御座いましょう。[日本長尊]が大和への望郷の想いを詠まれた詞

   大和は国のまほろば  たたなづく   青垣山隠れる   大和しうるはし


facebook白鳥 まりあさんさん投稿記事

【名古屋:熱田神宮参拝+日本武尊の白鳥伝説にて~♪】

「この地の益々のご発展と・・・日本全国への、ご繫栄・・・そして、全世界へのご興隆を・・・心より、お祈りします」

名古屋の地のエネルギー・パワーを・・・ありがとうございます。あいにくの雨模様でしたが、空気が浄化されて清々しく・・・自然のベールが、幻想的な雰囲気をかもしだしておりました。愛知県名古屋市『熱田神宮』参拝にて~♪

主祭神  熱田大神(あつたのおおかみ)

相殿神

天照大神(あまてらすおおかみ)    素盞嗚尊(すさのおのみこと)

日本武尊(やまとたけるのみこと)   宮簀媛命(みやすひめのみこと)

建稲種命(たけいなだねのみこと)

深緑の息吹の生命力・生物の蘇生力・御神気・・・をいただいき、ありがとうございます。

【神話と歴史でたどる熱田神宮千九百年の歴史】

3番より~

日本武尊(やまとたけるのみこと)が白い鳥となって舞い降りたという「白鳥古墳」がございます。

21番より~

日本武尊(やまとたけるのみこと)は、当神宮の創祀に深く関わる古代の英雄で、古代日本の統一に多大な功績を残されました。

1914年は日本武尊が113年能褒野(亀山市)で亡くなられ、白い鳥となって天高く昇ったときから1800年に当たり、当神宮では「日本武尊千八百年祭」を執り行いました。

新曲C/W『まのろば~ヤマトタケル』に、所縁ある神社に今年もお参りさせていただき、ありがとうございます。雨の中、この表示板と御神木の箇所に日が差し込み・・・キラキラと輝いておりました。

御神木~ 大楠の根元に苔が生え・・・

枝には、ノキシノブ(シダの一種)が生殖し・・・自ら、共存共栄の大切さのメッセージを~

我々に、諭しているようでした。

【お守りの由来】

~白鳥伝説~

熱田神宮御祭神の一柱「日本武尊」は、能褒野の地(三重県亀山市)から愛する「宮簀媛命」がお住まいの熱田の地まで、白鳥になって会いに来られたと言う、古代の大純愛ロマンです。

このことから、縁結・安産・交通・旅行・吉報・幸福・女性らしさなどを願う多くの方々が熱田神宮にお参りされています。

新曲C/W♪『まほろば~ヤマトタケル』=日本武尊の

「白鳥伝説」を元に作りました。

歌詞1番より~

朝日昇る 地平線  光輝く 黄金の国・・・ ・・・・・・

あぁ~ 伝説の ヤマトタケルは 現在(いま) 白鳥(しらとり)に 姿を変えて

さぁ~ 海越えて 国境超えて 愛の光りを 放とう・・・


https://www.yamatotakeru.jp/shiryo/atsuta.html  【日本武尊伝説  日本武尊の足跡を追いかける】


facebook今野 華都子さん投稿記事【あの火打ち石は何処へ】

悲劇の英雄ヤマトタケル白鳥伝説の謎を探る 」この旅は絶対行きたい。

悲劇の英雄ヤマトタケル白鳥伝説の謎を探る

これは旅は絶対行きたい❣️こんな企画いままであったでしょうか?めちゃくちゃワクワクしますよね。

誰でも知っている草薙剣は熱田神宮のご神体となりました。でもあの火打ち石は何処へ?

それを訪ねるのが今回の旅です。

あの火打ち石とは、ヤマトタケルが伊勢神宮にヤマトヒメを訪ね草薙剣とともに授けられヤマトタケルの危機を救ったものです。その場面は古事記にはこう記されています。

第12代景行天皇の皇太子の1人ヤマトタケルは熊襲征伐を命ぜられ命がけで戦い、都に戻ると今度は「東方の12の国を回って、荒ぶる神と従わない者どもを平定せよ」と命じられました。

東国へ下る前に伊勢神宮にいるヤマトヒメを訪ねて「天皇は私などは死んでしまえばいいとお思いなのでしょうか」と泣きながら話します。どんなに強いといってもまだ10代です。天皇の命令は絶対です。この東征征伐から戻ったらまた新たな命令が下されることは必須です。

ヤマトタケルは父の非常さに気づき悲しくなります。

ヤマトタケルの唯一の頼りは叔母のヤマトヒメです。ヤマトヒメはここであの三種の神器の一つとなる草薙剣と

「危機の時はこれを開けなさい

火打ち石の入った袋をさずけます」

草薙剣はスサノヲからアマテラスに献上され降臨神のホノニニギに授けられたものですが、それが天孫に受け継がれ伊勢の神宮に保管されていたと思われます。

ヤマトヒメからヤマトタケルに渡った草薙剣は次のような経緯で熱田神宮の御神体とされています。

草薙剣と火打ち石をヤマトヒメから授けられたヤマトタケルは、尾張国の祖先にあたるミヤズヒメの家に泊まりヒメと結婚の約束をして先に進みます。相模国にやってきたとき、その国造の罠にはまり野原の真っ只中で炎に囲まれてしまいまが、草薙剣で周りの草を刈り、ヤマトヒメがくださった袋に入っていた火打ち石で火を打ち消し脱出することが出来ました。それ以来この地を焼津と(焼津市)と呼ぶようになりました。

それから走水の海(浦賀水道)を渡るときに海峡の神に荒波を立てられ船で渡ることが出来ないとき、同行していたお后のオトタチバナヒメが身代わりになって海中に沈み荒波をおさめ海を渡ることが出来ました。

行く先々で荒ぶる神と荒ぶる人々を平定しながら進みとうとう東の12の国を平定し尾張国に帰ってミヤズヒメとご結婚なさいました。

草薙剣をミヤズヒメの元に置いて伊吹山の神を打ち取りに行った時の戦いで傷つき当芸野(たぎの)三重を経て能褒野(のぼの)にたどり着いた時大和国を偲んで歌を歌いそのまま帰らぬ人となりました。ヤマトタケルの魂は白鳥に姿をかえて河内国の志畿に降り立ちました。そこが白鳥御陵と名付けられました。

でもあの火打ち石は何処から何処へ

地元にめちゃくちゃ詳しい新聞社と旅行会社の地元のツアーなんて滅多にないです!

一緒に伝説の火打ち石を探すなんて凄すぎ!でも心当たりはあるようです。そのヒントは行く先にありそうです。