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「旅」とは?

2025.05.16 13:07

facebook小名木善行ねずさんと学ぶ会投稿記事

松尾芭蕉『おくのほそ道』〜「旅」とは、生きる覚悟のこと【今日は何の日】5月16日|小名木善行

1689年5月16日、松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅に出発しました。その旅は、ただの風流や観光ではなく、「命を懸けた覚悟の旅」でした。現代を生きる私たちに問いかける、芭蕉の精神に迫ります。

https://hjrc.jp/youtube/6103/?fbclid=IwY2xjawKT9F9leHRuA2FlbQIxMABicmlkETFUR2pUeUJrMVE4ZGtGYTRxAR60_cmlKDPDfaLXnMcXF3_OBOvnyOPN6Widk8z8Kqu9dL1THercpUqmIdhPfg_aem_F8aNcy0M1tpZs6-T7CCL4A 【松尾芭蕉『おくのほそ道』〜「旅」とは、生きる覚悟のこと【今日は何の日】5月16日|小名木善行】より

松尾芭蕉の『おくのほそ道』は、自然や風景を詠むだけでなく、命をかけた内省と鎮魂の旅でした。人生とは旅であるという覚悟をもって歩んだ芭蕉の生き方から、私たちは今、何を学ぶべきかを語ります。

https://www.youtube.com/watch?v=44BE1duLjZo&t=333s

◉ 人生を旅と捉えた芭蕉の覚悟

1689年5月16日(旧暦元禄2年3月27日)、松尾芭蕉は『おくのほそ道』の旅に出発しました。彼の言葉「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」は、人生そのものが旅であるという哲学を表しています。芭蕉はこの旅に出る前、家を処分し、遺書のような文書を残して旅立ちました。それは、死を覚悟しての旅、すなわち命をかけた精神修行だったのです。

◉ 芭蕉が歩いたのは日本と、そして自分自身の心

芭蕉の旅路は、単なる風景の観光ではありませんでした。彼は那須の山に霞の中に咲く山ツツジを見て「山躑躅 霞の中に ほのか也」と詠み、自然の静けさと人の心の移ろいを重ね合わせました。さらには、平泉では「夏草や 兵どもが 夢の跡」と詠み、戦に倒れた者たちの魂を弔います。つまりこの旅は、風景を通じて自然と人間の在り様を見つめ、自分の心の内面を深く掘り下げる旅でもあったのです。

彼が歩いた距離は2400キロとも言われていますが、それは単なる肉体の移動ではなく、「己を問う旅」でした。芭蕉の旅の真の目的は、地図にない場所──心の奥深くに向かう旅だったのです。

◉ 今こそ必要な「心の旅」

現代では、旅といえばリラクゼーションや観光としての側面が強調されます。しかし、芭蕉の旅は、自らの存在を問い直す精神的な旅でした。忙しない毎日の中で、生きづらさを感じている人が多い現代においてこそ、芭蕉のように「自分はなぜ歩くのか」「自分の存在は何を生み出しているのか」といった問いを持つことが求められているのではないでしょうか。

「古池や 蛙飛びこむ 水の音」──静寂の中に響く音は、自分がこの世に与える影響や波紋を示唆します。

芭蕉の俳句の中には、自然の美と同時に「人が生きるとはどういうことか」という根本的な問いが込められています。日々の生活の中で流されるままになってしまいがちな今だからこそ、松尾芭蕉の生き方に目を向け、心の旅をしてみることが大切なのではないかと思います。

旅とは、遠くに行くことではなく、自分の足で、自分の心に向き合うことなのかもしれませんね。


facbookNakako Yamamotoさん投稿記事「1つのものを10分は見つめなさい」の巻

かれこれ20年以上前になるが、出羽三山で山伏修行体験を企画して海外の方と参加した。1週間のミニ体験だったが、想像を絶する過酷さだった。

朝、四時に起きて、白装束のまま雪解け水の川に首までつかる、1日30㎞以上歩く、1日椀1杯のご飯、密閉した部屋で煙で燻される、滝に打たれる…、中でも私が辛かったのは、着替えられないことと、部屋のコンクリートの上でそのまま寝ること、そしておしゃべりしてしてはいけなことだった。

声を出していいのは、山伏さんの指示にOKを言うときだけ。「うけたもう」というのだが、海外の方はこれを「うらしまたろう」と真面目に言うので、その都度吹き出しそうになってしまった。

そんなことで打ち上げの宴席の楽しかったこと! すべてから開放されて、五感が喜ぶのなんのって。こうして、日常の有難さを実感したのだった。

修行中は、感覚が研ぎ澄まされていくのが良く分かった。日に日に、山の緑も風も蛍の輝きも心にジワーっと染みていた。

ある日の修行中、五重塔があった。それは「こんなところに!?」と思うほど立派な建造物だった。山伏さんが、しばらく眺めてくださいと言ったので、銘々いろんな場所に陣取って眺めだした。

私は、上から下まで見つめて、へえ~すごい!と思って、山伏さんを見ると、ジーッとしている。仕方ない、また向きなおり1分ほど見つめたら飽きてきた。まだ、「次に行きますよー!」の法螺貝が吹かれないのかしら? と、また山伏さんに目をやるも態勢に変わりなし。3分、5分…、あーもぉ、見るとこないし、辛い……。それからの時間は長い長い……、そうして10分ほどたった頃、山伏さんから「いかがでしたか?」の声がかかった。私は頭の中で、返事のための感想を慌ててまとめ出した。

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1つのものを10分は見なさい。ジーっと見つめなさい。そうすると感じ方が変わってきます。本質が見えてきます。そこまで見つめるのです。

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これを聴いたとき、私は頬が高潮してしまうほど恥ずかしい気持ちになった。否が応でも、自分の「○○したつもり」の日常が頭の中で展開された。思えばなんによらず「ハイハイ、分かりましたよぉ」のチラ見人生である。これでは、本当の味わいを知らずに通り過ぎているのだ。

出羽三山での修行は、羽黒山、月山、湯殿山の三山を巡る旅である。このプロセスを、死と再生の旅のプロセスに見立てているのだが、過酷ではあったが何か夢の中にいたような感覚であった。

修行に入る前、終わったら何を食べようかと皆で話した。私は「コーヒー」と言った。不思議だが、帰りの電車で誰も食べ物の話は口にしなかった。私も恋焦がれるはずのコーヒーへの想いはまったくなくなっていた。充分な味わいを得ると、きっとこんなふうになるのだろう。そして、不思議に思わなくてはならないもう1つは、この本来の感覚が非日常となってしまっていることかも…を知る素晴らしい体験だった。

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中ちゃんおばさんのセルフコンタクト日記


facbook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)さん投稿記事

不生の仏心

江戸時代の禅僧に盤珪永琢(ばんけいようたく)という人がいます。だれもがわかるような易しい言葉で道=「不生禅」を説き、ファンが多く弟子も5万人もいたと言われています。

不生禅とは、人には生まれながらにして仏心が存在しているので、特別な修行や信心を必要としないという考え方に基づいています。

仏心は「不生不滅」であり、つまり生じることも滅することもないというのです。盤珪は、形式的な座禅修行より、日常生活そのものが禅であると説きました。

彼の教えは、日常の中で「不生の仏心」を意識することが重要とされおり、特別な修行を必要としないため、広く受け入れられました(盤珪自身は、長い修行の末に「不生で一切事が調う」という境地を得たといいます)。

盤珪のエピソードとしてこんな法話が残っています。

「嫁が憎いの、姑が憎いのと、よくいわっしゃるが、嫁は憎いものではないぞ。姑も憎いものではないぞ。嫁があの時ああいうた、この時こんなきついことをいわしゃった、あの時あんな意地の悪いことをしなさったという、記憶が憎いのじゃ。

記憶(とらわれ)さえ捨ててしまえば、嫁は憎いものではないぞ。姑も憎うはないぞ」。

 朗らかというのは、心が自由なことなのですね。嫌なこともいいことも、どんどん手放して、ただ「今」だけに集中する・・・。

一日一日、いっときいっときが尊いのです。