見えないものに宿る光
facebookOSHO Japaneseさん投稿記事
質問 「姉が死を迎えようとしています。彼女は私が何か必要になったときはいつも、そこにいてくれました。今度は彼女が私を必要としているのですが、私はまったく無力に感じます。」
誰かを愛しているときはいつも、あなたはまったく無力なのを感じる。それが愛の苦悩だ。自分にできることは何なのかが感じ取れないのだ。あなたは何でもしてあげたい、恋人や愛する人に全宇宙をあげたい、だが、何ができるかね? もし、あれこれできると思っていたら、あなたはまだ愛の関係にはない。愛はとても無力だ、完全に無力だが、その無力さが美しさなのだ。なぜなら、その無力さの中であなたは明け渡しているからだ。
誰かを愛していると、あなたは無力な感じがするだろう。誰かを憎んでいると、何かすることができる。誰かを愛していると、あなたは完全に無力だ。なぜなら、あなたにできることが何かあるかね?できることは何であれ、取るに足らず、無意味に思える。けっして十分ではない。何もできないし、何もできないと感じると、自分は無力だと感じる。
何でもしたいと思っても何もできないと感じると、マインドは止まる。この無力さの中で、明け渡しが起こる。あなたは空っぽだ。愛が深い瞑想になるのはそのためだ。
facebook加藤隆行さん投稿記事【ほわほわする】
オレは伊之助。山で育って、言葉も知らなかった。ケモノ相手にしか生きてこなかったオレにとっちゃ、炭治郎みてぇなヤツ、もう意味不明だったんだよな。
だってよ──いつもニコニコしてて、弱ぇやつにも手ぇ差し伸べて、敵にすら「かわいそう」とか言いやがる。は? なんなんだそりゃ!?そんなことしてたら、やられんだろうが!
って、本気で思ってた。
でも、だ。何度も一緒に戦って、何度もそばで見てるうちに、なんかムズムズしてきたんだよ。「強さ」って、叫んで暴れることじゃねぇ。「優しさ」を貫けるヤツこそ、いちばん根っこが強ぇんじゃねぇかってな。
オレ、今でもすぐ突っ走っちまうけど、炭治郎見てると、ふと立ち止まりたくなる。「ほんとはオレ、どうしたいんだ?」ってな。
*
… 本当のオレは、ただただ、「仲間がほしい」って、そう思ってたのかもしれねぇな。
…いや、ちがう。ほしかったのは「仲間」っていうか…「認めてほしかった」んだ。
誰かに、「それでいいんだよ」って言ってほしかった。
オレはオレでいいって、ガツガツして、変な言葉使って、すぐケンカ売っちまうようなオレでも、それでも、一緒にいてくれるヤツがいるって、それがたまらなくうれしかったんだ。
うれしいって思うとき、オレの中が「ほわほわ」ってするんだ。なんつーか、胸んとこがあったかくなって、力が抜けて、笑いそうになって、ちょっと泣きそうにもなって──
……うるせぇ!って言いたくなるような気持ち(笑)
でも、うれしいって思うこと自体が、なんか弱い気がして、ムカついて、それでまた暴れちまって。オレ、ほんとは…「さびしい」って感情が、どう扱っていいかわからなかっただけかもしんねぇ。山の中じゃ、そんなもん考えたこともなかった。泣いたって誰もこねぇし、ケガしても自分で治すしかねぇ。
でも、今はちがう。炭治郎も、善逸も、放っとかねぇんだ。オレがどんな顔してても、どんなに怒鳴っても、そばにいてくれる。…あったけぇんだ。…ああ、そういうの、あったけぇって言うんだよな。炭治郎が言ってた。
「伊之助も、 ちゃんと感じてるよ」って。感じてるんだよ。ちゃんと、オレの中にも、優しさとか、悲しみとか、怖ぇとかあってさ。それを、無かったことにしてきたんだ。
ずっと、自分で自分を、無視してきたんだな。
──だから今、ちょっとずつ、自分の中にいる“ホントのオレ”に、「おう」って声かけてるところだ。たぶんそれが、“強さ”ってやつの、ほんとの始まりなんじゃねぇかな。
……だからといってオレがアイツらに負けたわけじゃねーからな!
嘴平伊之助(猪突猛進中)
facebookMasaru Hagiwaraさん投稿記事【期待をしないと何が残る?】
「期待をしないで生きなさい」私たちは常に未来に起こることを期待して楽しみに生きているのではないでしょうか。明日はどんないいことが起きるだろうか、と。そんな時、「期待をしないで生きなさい」、とは逆説ですね。
確かに、期待がないとあるがままですね。何かをしても、それをどう評価されるかが、気になりますね。そこには「期待感」がありますね。「褒められる」「けなされる」いずれにしても
期待感ですね。心の平和はあなたがそれをもとめるのをやめて、ものごとを起こるがままにする時のみ生じるとラメッシは看破しています。
追い求めるのをやめた時、それはやって来るのですね。
【催眠的な生き方の勧め】
朝、目を開けた瞬間——その一日は、まだまっさらなキャンバスです。
そんな時、心の中でそっとつぶやいてみてください。「今日一日を、大いなる存在に委ねます」それは祈りのようでもあり、催眠の始まりのようでもあります。
“委ねる”という行為は、潜在意識に「私は守られている」「私は流れの中にいる」と伝える、
強力な暗示になるのです。催眠療法では、意識の力を少しずつ手放し、深いリラックスの中で潜在意識とつながっていきます。同じように、朝のこの一言も、心をゆるめ、人生を信頼するための入り口になります。すべてをコントロールしようとせず、流れにゆだねる。それが催眠的な生き方の第一歩なのです。
facebook尾崎 ヒロノリさん投稿記事【雑感】
昨日は新しい施設での模擬挙式の新婦父親役のモデルをした時、これが最後かもしれない娘との父親の気持ちになり神妙な気持ちで心を込めて父親を演じた。
その時の牧師先生の言葉の中で……。『見えないものに宿る光』夕暮れの空に、ひときわ明るく輝く星がひとつ。その光を見上げながら、私はふと、誰かの心に灯る小さなあかりのことを思った。「いちばんたいせつなことは、目に見えない。」星の王子さまのこの言葉は、ただの文学の一節ではない。
それは、目に映る世界の奥にひそむ、本当に尊いものたちへの道しるべなのだ。
昨日、私はあるひとつの出来事に心を打たれた。私が意図せずに放った、ささやかな行動。
けれどそれが、ある人の心を照らし、感謝と信頼を生んだと知ったとき、
私は、見えない糸のような“つながり”というものの存在に気づかされた。
目に見える言葉よりも、目に見える表情よりも、人と人を深く結びつけるのは、その背後にある気持ち……静かに注がれた優しさや、見返りを求めない誠意ではないだろうか。
「きみがそのバラのために時間をかけたから、そのバラはきみにとってたいせつなんだよ。」
誰かを大切に思う気持ち、何かに心を込めて向き合う時間。それらは目に見えないけれど、確かに魂の奥に根を張る。
一方で、嫉妬や誇りに満ち、陰で人をおとしめるような言葉……。
そういったものもまた、目に見えないけれど、表情や雰囲気となって滲み出てしまう。
見えないものは、欺けない。それは本質だから。
光と影のどちらも、見えないところに宿る。けれど、私は信じたい。それでもなお、見えないところにこそ、優しさがあり、愛があり、希望があると。
「人間たちはこの真理をもう忘れてしまった。でも、きみは忘れちゃいけない。」
この言葉を、私は心の中で何度も繰り返す。日々同じように流れていく時間の中で、
同じ日は一日もない。一瞬の気づきや出会いが、私たちの心に静かに光を灯していく。
そしてその光こそが、誰かの暗闇をそっと照らし、また別の誰かの勇気となるのだ。
見えないものにこそ、世界は支えられている。それに気づける心を、どうか私たちは失わずにいたい。