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Nozomi Matsuda

ないものねだり

2019.02.08 21:00

人は、自分自身になくて、他人にあるものを羨ましがり、欲しがる生き物である。


こんな定義をした人がいたらしい。

たしかにそうかもしれない。

私は、自分になくて他人にあるものを羨ましいと思うことがある。

そして逆に、自分にあって他人にないものを、他人が羨ましがるのを見て優越感に浸っていたこともあった。

私は“夢”を簡単に見つけ、簡単に変えてしまう人が羨ましい。


私は、教師になりたい。


そう言い続けて3年が経った。

中学2年生の時は消防士になりたいと思っていた。

小学生の時は、観ていた映画やドラマに影響されて、海猿になりたいとか、ライフセーバーになりたいとか、当時から「人と関わる」職業に就きたいと思っていた。

でも、私自身が人との関わりが苦手だった。でも、苦手なものにトライするという精神はこの当時から一切変わっていない。

そして今なお、その精神は変わっていない。

私は、大嫌いで大の苦手な数学の教師を目指している。

「アホらしい」と思うだろう。

そうだ、その通りだ。


「数学の教師になる」


こう、豪語してからずっとバカにされてきた。

後ろ指を指されて笑われてきた。

あいつ、数学できねえのに数学の教師だって

お前に教師は務まらない

所詮夢、言うだけなら簡単だよ

教師って仕事を甘く見過ぎだよ

生身の人間とのやりとりだからな

簡単じゃねえぞ

そう言われ続けても、教師を目指すには理由があった。

教師にならなければならない理由があった。

数学でなければならない理由があった。


私は数学が嫌いだ。

私は美術と体育が得意だ。


大人はみんな、体育や美術の教師になればいいのにという。

数学にこだわる必要ってないんじゃないの?という。


たしかにそうかもしれない。

得意なものなら苦労せず教師になれるかもしれない。

でも私は、自分にあって他人にないのを、他人が羨ましがるのをみて優越感に浸ってしまうような人間だ。

つまり、自分の持っている能力に満足してしまうということ。

自分のいる環境に満足してしまうということ。

進化を求めないダメ教員になってしまうから。

それとは対照的に、苦手科目なら…と考えて、行き着いた先が数学教員だった。

よく、他の科目は?と聞かれる。

社会科は、教員採用試験の倍率が高すぎること、私自身が地歴公民をできないから。面白い授業ができないから。

理科は、4科目あっていっぱいいっぱいになってしまうから。物理や化学、数学よりも難しいと勝手に思っているいわゆる先入観に負けてしまったから。

国語科は、私自身が古文や漢文を面白いと思えないから。

面白いと思えないものを人に、ましてや子どもに面白く教えることなんてできないから。

英語科は、考えたことがある。

でも、想像できなかった。

私自身が英語教員になっているのを。

まともに単語を覚えられず、英文法が苦手で、教科書レベルの長文ですら読解に時間がかかる。

時間をかけてトレーニングすればできるようになるのかもしれない。

でも、その時間を実践にあてたい。

しかし、数学科は自分が教師になった姿がリアルに想像できる。

そして、数学だけは問題数をこなせばできるようになる。

実際、数学Ⅲの授業をとっていなくても、できるようになった。

つまり、やればやるだけ多少時間はかかってもできるようになる。

だから、できるようになる未来があるなら、できるようになった時、できなかった過去を話すことができる。

「嫌いでもいい。」そう言えるように、未来の子どもたちに、数学の面白さを伝えたい。

できない子の気持ちを理解し、できる子の気持ちも理解できる教員になりたいと思ったから。

数学だけは、こうして簡単に目指す理由が出てきた。

私は、数学の教員になる。


人は、ないものねだりをする生き物である。