ZIPANG-10 TOKIO 2020 全国の姥神像行脚(その77)日本各地の姥神たち・東京都にある姥神信仰・・・ 【寄稿文】廣谷知行
以前その16、17で東京都にある姥神信仰として、咳の病気に霊験のある、咳の姥神を紹介しました。江戸時代から日本の中心として栄えてきた東京にはたくさんのお寺があり、そのため多くの閻魔、奪衣婆像も祀られています。今回はそのなかで姥神信仰に関係する可能性がある姥神像を紹介します。
・江戸川区清光寺
清光寺にある奪衣婆座像
東京都江戸川区に文亀2(1502)年に開山したとされる清光寺があり、ここに区指定の有形文化財となっている木造奪衣婆座像があります。室町時代後期の製作とされ、同寺と同じくらいの歴史があるようです。奪衣婆として認識されているようですが、対になる閻魔像などはないため、本尊―姥神型として祀られていた可能性があります。
・新宿区勝興寺
勝興寺にある姥神像
勝興寺の墓地にある閻魔像
新宿区に天正10(1582)年に開山された勝興寺があり、その入り口を少し進んだ脇に、小さな宮があり中に姥神像があります。しかし、残念ながらその由来は特に伝承されていないようです。同寺には閻魔像もあるのですが、奥の墓地内にあり、姥神像よりも小さいため、姥神像とは関係性がないように感じられます。入口からの参道途中にあると言えますので、境界―姥神型として祀られていた可能性があります。
・墨田区華厳寺
華厳寺にある奪衣婆像
華厳寺にある閻魔像
墨田区に延宝7(1679)年に開山された華厳寺の境内に閻魔堂があります。この堂に閻魔像と一緒に奪衣婆像があるのですが、その頭には綿が掛けられています。
これは、その16や17で紹介しました咳の姥神信仰と同じものとなります。
咳の婆信仰では、奪衣婆自体に願を掛けていましたので、この像も本尊-奪衣婆型として祀られていた可能性があります。
・檜原村宝蔵寺
東京都の西部にある、都内唯一の村である人口約1,700人の檜原村。
村の総面積の93%が林野であり、東京都内ですが非常に自然豊かな場所です。
その村で一番古い寺とされる、建永2(1207)年建立の宝蔵寺の境内に姥神像があります。
境内の入り口付近に他の石仏等と一緒に並べてあり、どのように祀られていたか判別はできません。しかしながら、近くに閻魔像はありませんので、単独で祀られていたと考えられ、さらに石像であること、この寺は急斜面の中腹にあり、参道も斜面を登るようにあることから、山形の立石寺などのように、参道途中に境界―姥神型として祀られていた可能性があったかもしれません。
次回に続く・・・
寄稿文
廣谷知行(ひろたに ともゆき)
姥神信仰研究家
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発行元責任者 鎹八咫烏(ZIPANG TOKIO 2020 編集局)
アーカイブ リンク記事をご覧ください。
新宿正受院の姥神像(16)
「綿のおばばと呼ばれ信仰」
姥神(うばがみ)とは
姥神の定義の説明の前にまず、奪衣婆の説明をさせていただきたい。
奪衣婆とは、死後にあの世へ渡るための三途の川の岸辺にいて、亡者の衣を脱がせる存在である。なぜ脱がせるのかと言うと、その衣を衣領樹(えりょうじゅ)と呼ばれる木の枝にかけるためである。そうすると生前の罪の大きい者は枝が大きく下がり、小さい者はほとんど動かない。亡者の罪はその衣に重さとなって染み込んでいることになる。衣領樹は罪を量るはかりであり、それを審査するのが奪衣婆である。
東京都新宿に、文禄3(1594)年に開山されたとされる浄土宗明了山正受院願光寺があり、ここに姥神像が安置されています。
この寺では毎年2月8日に針供養大法要が行われており、この日に姥神像も開帳されます。とは言っても、入り口にある大きい姥神像はガラス戸で安置されていますので、常に拝観することはできます。ただし、針供養の際、神輿に小さい姥神像をのせるのですが、この像は2月8日にしか拝観できません。
入り口の像は、平安時代に地獄と現世を行き来し、閻魔大王の裁判の補佐をしていたとされる小野篁の作とされ、また、元禄14(1701)年の墨書があることから、この頃から正受院に安置されていたとされます。
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ZIPANG-4 TOKIO 2020 全国の姥神像行脚(その16)新宿正受院の姥神像「綿のおばばと呼ばれ信仰」・・・【寄稿文】廣谷知行
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7987147
せきの姥神(17)
「新型コロナウイルスにも効き目があるかも⁉」
東京・江戸の姥神たち
前回は新宿正受院の姥神をご紹介しましたが、東京、江戸ではほかにも姥神信仰が多くあったようです。
江戸時代後期(文政4(1821)年~天保12(1841)年)、肥前国平戸藩(長崎県)松浦静山によって書かれた随筆集『甲子夜話』巻之六十三に、江戸時代の修験者、行智の関の姥神についての記文が紹介されており、そのなかで「せきの姥神の石像」について、咳に霊験のあるものとして、咳は「さえぎる」の意味の「関」が転化したものだろうという説明の後、江戸にこの姥神像が多くあったとあります。なお、例として、当時の姥神像の絵も残されています。
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ZIPANG-4 TOKIO 2020 全国の姥神像行脚(その17)せきの姥神「新型コロナウイルスにも効き目があるかも⁉」・・・【寄稿文】廣谷知行
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前号の「わかさぎ」で登場した
青森県の下北半島の果て 霊山・恐山の「姥神」です
青森県の下北半島の果て、むつ市にイタコで有名な霊山「恐山」があります。
貞観4(862)年に慈覚大師が開山したとされ、訪れた方はわかると思いますが、恐山菩提寺には地蔵尊像や血の池地獄などもあり、その荒涼とした幻想的な風景は正にあの世を連想させてくれます。
信仰形態は立山系か
この世とあの世の境界である三途の川にいるのが奪衣婆です。この優婆寺の位置づけも恐山というあの世への入り口、つまりこの世との境界としてあること、また、先の伝承のなかでも奪衣婆の像だったことと合わせ、奪衣婆を優婆尊として祀っていると考えることができます。
しかしながら、安産や子宝へのご利益、普段は秘仏としていること、ただの堂ではなく、お寺の本尊として祀っていることなど、その信仰形態は新潟出湯温泉や立山芦峅寺によく似ています。もともと奪衣婆像としてあったものかもしれませんが、この優婆尊についても、立山の影響を色濃く受けた姥神信仰と言えるかと思います。
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ZIPANG-4 TOKIO 2020 全国の姥神像行脚(その15)青森県の下北半島の果て 霊山・恐山の「姥神」・・・【寄稿文】廣谷知行
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~盛岡さんさ踊り~
来て、観て、魅せられ、おへれんせ(お入りなさい)
さんさ踊りの由来
藩政時代より踊り受け継がれてきた"さんさ踊り"の起源は、三ツ石伝説に由来しています。
その昔、南部盛岡城下に羅刹(らせつ)という鬼が現れ、悪さをして暴れておりました。困り果てた里人たちは、三ツ石神社の神様に悪鬼の退治を祈願しました。
その願いを聞き入れた神様は悪鬼をとらえ、二度と悪さをしないよう誓いの証として、境内の大きな三ツ石に鬼の手形を押させました。
(岩に手形…これが"岩手"の名の由来だとも言われています。)
鬼の退散を喜んだ里人たちが、三ツ石のまわりを「さんささんさ」と踊ったのが"さんさ踊り"の始まりだと言われています。
伝統さんさ踊りとは
盛岡市とその周辺地域に踊り継がれてきた伝統さんさ踊りは、各地域によって振り付けや衣装が異なり、そのパレードは圧巻です。また、お祭り期間中は盛岡駅西口の盛岡市民文化ホー ル(マリオス)及び盛岡駅滝の広場で、「伝統さんさ踊り競演会」を開催しています。各団体の競演をお見逃しなく!
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020 南部盛岡城下町に朱夏を告げる「来て、観て、魅せられ、おへれんせ(お入りなさい) ~盛岡さんさ踊り~」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6637019
朱夏 GINZA SIX
「ROOF TOP ORCHESTRA -音を奏でる庭園-」
サカナクション・山口一郎の『NF』がプロデュース
光×音×テクノロジーがミックスした次世代のインスタレーション
音楽のみならず、ファッションやアート、テクノロジーなど様々な分野を取り上げ、音楽に関わる音楽以外の新しいカタチを提案するプロジェクト『 NF 』がサウンドクリエイションを手掛け、地上約 56m に位置する 銀座最大の面積を誇る屋上庭園を、音と光とテクノロジー が ミックスした空間に演出。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020 朱夏GINZA SIXで逢いましょう 「ROOF TOP ORCHESTRA -音を奏でる庭園-」 GINZA SIX ガーデンにて開催!
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6633645
“うるはし~日本の夏祭り”
「東急プラザ銀座×東京藝術大学」共同新プロジェクト
東急不動産SC マネジメント 株式会社 本社 東京都港区 、 社長 粟 辻󠄀稔泰 が 運営管理する 「 東急 プラザ 銀座 」 では 、7月26日(金)より、 銀座の街から日本の魅力-文化や伝統-を伝えるプロモーションとして、日本における文化芸術の最高峰「東京藝術大学」との共同プロジェクトがスタートします。
歴史ある伝統と、未来に向けての革新とが共存する街・銀座は、都会の商業都市でありながら様々な人が集う日本の情報発進の拠点でもあります。東急プラザ銀座は街全体の活性化および 銀座文化の継承・創造・発信を目的に、東京藝術大学は学内にとどまらず街やリアルな文化事業を通じて、長年に渡り継承されてきた歴史文化の発表・お披露目の場として本プロジェクトを発足することとなりました。
プロジェクトの第一弾は、7 月26日(金)~8月25日(日)までの期間、 日本の夏の風物詩でもある浴衣を着て銀座で涼を楽しむ 「ゆかたで銀ぶら」 (主催:全銀座会、銀座通連合会 の連動施策 として、東京藝術大学プロデュースによる「うるはし~日本の夏祭り」を開催します。
期間中、 歌舞伎や相撲などの 一門で着用されていた 歴史のある浴衣を館内各所に展示するほか、数寄屋橋茶房とのコラボレーション企画として、ここでしか食べられない納涼デザートも用意されています 。 涼やかな練り菓子は日本伝統の衣装「 観世水 」をイメージ。
白あんをベースに上部には水面の煌めきを金箔で表現した「 観世の水面 」は 、この夏祭りのための逸品です 。
また、8月2日( 金 )、3日 (土)の2日間は 「 納涼祭 」と題し、東京藝術大学主催による 邦楽の演奏会 「浴衣ざらい」をはじめ、筝 や太鼓など邦楽器を体験できる ワークショップ を実施するほか、館内にて 一定額以上お買い物をされたお客様を対象に射的、あめだますくいが体験できる夏祭り屋台を開催します。そして開催期間中 、浴衣を着てご来館された方には 各店舗での様々な特典やサービスが用意されています。