「目覚める」とは何か -⑧-
2019.02.14 07:40
観察と洞察、
事実と真実、
わがままとありのままの違いは、
主体の土台が自分(エゴ)に基づくか、
人間(愛)に基づくかの違いにあります。
主体の土台が自分(エゴ)に基づくと、
二元性の状態が基本構造になります。
ジャッジしている自分に気づいたとき
俯瞰した視点でその状況を認識して、
主体の土台を人間(愛)に置き換える
作業をします。
主体の土台を人間(愛)に置き換えるとは、
人間を守る考え方・やり方をすることです。
自分(エゴ)を主体にしている状態では、
優れたものは採用し、
劣っているものは切り捨てるという、
人間を傷つける考え方・やり方で、
自分(エゴ)の保持・強化が目的になります。
ちなみに人間性の向上は
自分(エゴ)を土台にした状態でも
取り組めます。
たとえば
自分(エゴ)を土台にしても、
やさしくて
思いやりがあって
仕事のできる優秀な人だと
他者から評価されるような人柄になれます。
ただし表に出さない本音では、
要領の悪い人
仕事の出来ない人など
自分より劣っていると感じている人を
見下している状態が生まれます。
自分(エゴ)を土台にした状態で
人間性の向上を目指すと、
必然的にマスク(仮面)を付けた
本音と建前の状況に陥ってしまいます。
人間(愛)を土台にするとは、
どんな出来事も人間の総体像に
位置づけて捉え、
自分の人間像を豊かにしていく過程を歩むことに他なりません。