大阪都構想で見えた若造の未来
【解説記事】 平成二十七年五月十七日に地域政党「大阪維新の会」が目論んだ、大阪都構想の是非を問う住民投票が否決された。その差は一万票差であった。今回の町村合併で、日本の未来、強いては二〇代から四〇代の未来が見えた。何十年にも及ぶ危機を当事者は、痛感されたい。
当住民投票結果のデータでは、ビジネス街を含む大阪市北東部が賛成派が上回り、シニア勢が多く住む南西部で反対派が上回った。記事『大阪で見えた「老人の老人による老人のための政治」/JB PRESS』に因れば、投票者の中央値はシニアど真中と記す。詰まるところ、当投票はシニア勢により否決された、と云える。
| おそらく実際に投票した人のメディアンは60歳以上だろう
<アジア随一の観光都市を狙っていた>
そもそも大阪都構想は、地方自治としてシンプルな戦略を有していた。「維新会」の代表を務めた橋本徹(四十五歳)は、この先、五〇年のグローバル戦をOSAKA(大阪)は如何様に闘っていくかを考えた。TOKYO(東京)には言わずもがなブランド力が世界的にある。OSAKAも無いとも云えないが、アジアの都市に比べると弱いと判断。それどころか、平成三十七年にはTOKYOと張る気概を有していた。そして何より、この先、五〇年を大阪で暮らす府民及び関西圏のコトを考えた。
その結果、住民管理の為の二十四区をグローバル戦に向けた戦略的五区に再編するコトを目論んだ。マネイジメント的に大変ストラテジックだ。内訳は、以下の様に。
一、南区:伝統・先進
;教育日本一を掲げ、海外名門校への進学率が大幅上昇
⇒ グローバル人財を育む街づくり
二、東区:住みやすさ
;地下鉄のJR接続、大学誘致
⇒ 研究開発力を基礎とする街づくり
三、中央区:ワールド級のゲート シティ
;優れた官庁街、文教地区として伝統継承
⇒ 効率的・効果的な行政機構と伝統のブレンドの街づくり
四、湾岸区:未来都市
;リゾート開発(IR シンガポール型)、国際学会・国際展示会
⇒ インバウンドを高め、グローバル企業との取引きを高める街づくり
五、北区:緑豊かなビジネス街
;リニア新駅、国際戦略特区、緑中心の街づくり
⇒ TOKYO・NAGOYAとの連携を強化し、シナジーを高める街づくり
<真の改革者を失った>
明確な役割分担は、政治と経済を活性化させる。大阪府民は、この未来を失った。現状維持を選んだコトになる。OSAKAは、昭和四十五年の日本万国博覧会(大阪万博)以来、一度も浮上に成功しなかった。四十五年間も様々な取り組みを行ったが、世界都市に成り切れなかった。大阪都構想は、世界のOSAKAに返り咲く最期のチャンスであった。橋本徹は先見の明があったが、シニア勢に阻まれた。
大阪府民のシニア勢は子や孫の未来を考えてくれたのであろうか?現状の大阪で子や孫は未来で闘えるだろうか?これまでの四十五年間で分からなかったのであろうか?輝くOSAKAの未来まで後、一万票が及ばなかった。
誰が反対したのか?何の為に反対したのか?
橋本徹は、実業家である。ビジネスマンである。故に経済(生活)ありきの政治である。政治ありきの経済(生活)ではない。ビジネスマン橋本は、政治屋に負けた。大阪都構想の論点は、強きOSAKA。自信ある、生活に未来がある大阪府民になる為の計画であったが、具体的な対案なき反論に破れた。
<未来を真剣に憂うシニアもいる>
極端ではあるが、橋本徹は坂本龍馬の如く、土佐藩で改革を目論むも失敗する。然し、その先に大政奉還という明治維新が始まる。そこに坂本龍馬の姿は既になかった。歴史は繰り返す。日本国は改憲の道を歩み始めている。国そのものの在り方を変える時。その時に現状維持で阻まれれば、戦後七〇年間を経ても日本国の真の独立は叶わない。
未来創造世代である二〇代から四〇代(若造勢)と現状維持世代(シニア勢)の闘いである。現状の民主主義で前者は数的に、資産的に、権力的に、劣勢だ。日本国の未来をきちんと考えるシニアとの協力が欠かせない。
記者:金剛×写真:岡本
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