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須和間の夕日

竹山清明『訪ねてみたい街・住宅とその美の秘密』

2025.06.21 01:40

竹山さんの著書『訪ねてみたい街・住宅その美の秘密』(22世紀アート,2024)の表紙を飾る住宅が美しい。

連続建てだが切妻屋根が重なり合い,それぞれに切り妻破風がついている。その下の1階窓にかかっている洒落たレースのカーテンに目が止まった。その奥の住人の生活はどんなだろう,と思いを馳せていたら突然,25年前のことを思い出した。イギリスに研究滞在中の中林 浩さんが語った話である。

イギリスでは洗濯物を外に干さない。中林さんの家族が,窓際に干していたら,ご近所さんが中林宅の玄関前に現れて,窓際に洗濯物を干してはいけないと忠告したという。私が,なんで? と聞いたら,外から見える窓の中も景観の一部なのだそうだ。イギリス人の景観の捉え方は徹底している。

日本の住宅地の景観のよさ(美しさではない)とは,路上駐車がない,住宅敷地境界の植え込みで住宅の外観全体が見えないように隠されている,敷地内に駐車した車が遠景で見えないように処理されている,といったようなことである。住宅と住宅の並びがなす美しさという本質に迫る議論はされない。

この本は,著者が見て回ったイギリス,フランス,イタリア,ドイツ,ポーランド,スペイン,スウェーデン,アメリカなどの住宅と景観について,その美しさがどこにあるかを解説している。

住宅の解説は,イギリスの農村住宅からはじまる。表紙を飾る,バイブリー村アーリントンロウの住宅は,14世紀末,修道院の羊毛倉庫として建てられた。現在は,ナショナル・トラストが所有する現役の賃貸住宅である。

石積み造だが,この構造によく見る縦長の窓はない。正方形かちょっと横長の窓。外観で見える工業製品は,窓ガラスと金属樋だけ(多分)。ほぼ自然材料だけでつくられている住宅は,自ずとアースカラーで統一される。構造も材料も色も素朴で,余計なものがない。それがこの住宅の美しさだ。

都市の住宅には,アメリカへのアフリカ奴隷貿易で潤ったフランス西部ナントの歴史的建造物,水の上にすっくと建つヴェネツィアの中層住宅などが紹介される。ヴェネツィアの住宅は,松材を基礎として海中に打ち,その上に煉瓦や石の建物を載せているという。それで1000年近くもっているというのは信じられない。

イタリア・ヴィチェンツア郊外のルネッサンス期ヴィラ(貴族の館),ラ・ロトンダ(16世紀)。

ドイツ・アウグスブルクのフッガーライは,金融業で富を成したフッガーによる,世界最古の低所得者のための福祉住宅だ(16世紀)。モーツァルトのひいお爺さんも住んでいた。現在も現役の賃貸住宅で,家賃は,たったの1ライングルデン/ 年(=0.88ユーロ≒146円)! 

フッガーライの住まいの様子(2015年8月,乾撮影)


ポーランドの首都ワルシャワは,中世の街並みの美しい都市で,世界遺産に指定されている。しかし,この都市の街並みは,実は戦後の復元である。ナチスによるワルシャワ中世市街地の破壊画策を知ったワルシャワ工科大学建築学科のザファトビッチ教授が,学生たちに街の詳細記録を作成させ戦後,それを元に,ソ連型の安っぽいコンクリートプレハブ建築は排され,中世の市街地が復元された。

現代の住宅では,建築家スポエリが南仏ポールグリモーに猟師町風情を再現開発した住宅地(1962年分譲),南仏エグザンプロバンスの最近開発されたとみられる低層住宅地にみるデザインコントロールなどが紹介される。以上,第一部で,歴史と伝統,文化を大切にするヨーロッパの住まいと街並みが紹介される。

第二部は,それらの「美の秘密」の解説である。アメリカ市民は,箱型のモダニズム建築を嫌い,住宅の様式に関心をもっているという調査結果が紹介され,フランス,ドイツなどの建築の法制度が解説される。

これらを読むと,なぜ,ヨーロッパの住宅・街並みが美しく,日本の街はこれほどに乱雑で汚いのか,日本人の意識と法制度に何が欠けているのか,が理解できる。

フランスの「建築に関する法典」第1条は,「建築は文化の表現である。建築の創造,建築の質,これらを環境に調和させること,自然景観や都市景観あるいは文化景観の尊重,これらは公益である」と記す。この高らかな宣言に胸が揺さぶられる。かたや,日本では,長らく建築学会が建築基本法の制定を求めてきているが,未だ制定の機運が高まらない。

建築基本法と一字違いの,建築基準法という法律があるが,これは,最低限を満たすことのみを社会的制約とするもので,建築を設計するには簡便で,効率的に建築できる。これでは,建築に携わる人たちにも住民にも,建築文化を育てる力にならない。美意識は育たず,美しい街を育て,守ることができない。だから,日本では,つくっては壊すことが繰り返される。国の仕組みとして,都市の建築文化を育てないことになっている。

「壊してつくる」と言えば,太平洋戦争で,東京をはじめ日本全国の都市が破壊された。そして戦後,再建された。問題は,どう再建されたかである。戦後日本の都市の再建をヨーロッパと比較すると,まったく違ったことに改めて気づく。

ヨーロッパの都市では,ナチスドイツに徹底的に破壊されたワルシャワをはじめ,コストがかかっても歴史的市街地の建物が再建された。これに対して,日本では,都市を構成した町家は守られなかった。なぜなのだろう。

竹山さんは,これについて次のように解き明かす。

戦後,占領軍は,日本の伝統的な文化の復興を恐れ,各地にアメリカ文化センターをつくるなどして,日本人全体がアメリカに敵対しないよう,徹底的にアメリカ文化を注入する政策をとった。日本の低層の都市は,「巨大な村であって都市ではない」とされ,都市計画的観点から否定された。このような考え方が,都市計画法,建築基準法など,日本の都市法制に大きな影響を与えた。

振り返れば,京都は戦災には合わなかったが,それにもかかわらず戦後,町家がどんどん壊された。とくに1980年代以降の「まちこわし」は凄まじく,町内で守られてきた町家の建て方のルールを無視する高層マンション計画が急増した。

戦後にできた都市法制が,日本の都市を破壊し,都市に住む住民の生活環境を破壊する力となったのである。そこに注入されたのが,アメリカのモダニズム建築様式だという。

モダニズム建築様式とは,大量の都市施設をこれまでのようにコストをかけてつくるのではなく,低廉な建設に移るための解決策として考えられた様式だという。溜飲が下がる解説である。

さらに,竹山さんは批判する。この様式とその理論には,都市空間や街並み景観を優れたものとする志向もなければ,その能力もない。モダニズム建築は,日本中から都市空間や街並み景観を質高く形成するために依って立つべき社会的規範を破壊したと。

都市景観は破壊された。しかし,破壊してきたのは都市だけではない。地方も,そして農村も,モダニズム建築をありがたがって移入した。茨城県東海村を挙げたい。

1956年,東海村に原子力研究所の設置が決まったとき,村長・川崎義彦は,「白亜の殿堂を建てる」と考えた*。まるで,原研の建設は,国と村との共同事業であるかのような語り口だが,川崎の言う「白亜の殿堂」とは,次のようなものである。

当時の村の建物と言えば,茅葺き平家農家だった。大工が,近くの山と茅場から運んできた木と草で建てるヴァナキュラーな建築に対して,東京の建築家と建設会社が,床を何層か重ねて聳え立つ鉄筋コンクリート造の建築を村に建てる。川崎は,白い壁をもち背が高いモダニズム建築に「白亜の殿堂」という言葉を与えて,村の近代化を描いたのである。

実際,村には,四角い箱型の,核関連施設や階段室型集合住宅団地が,あちこちに建てられ,農家住宅は急速に減っていった **。村も,都市と同じ方向を目指した結果,農村だか都市だかわからない,混乱した景観になった。東海村は,「村」を名乗っているが,景観で見ても産業で見ても,もはや村ではなくなっている。

モダニズム建築様式と建築の法制度は,都市だけでなく,農村でも,景観を混乱させる力を与えたのである。美しい街並みは,伝統的建造物群指定地区などとして保存され,観光資源になっている。しかし,考えてみたら,かつて全国に普通にあった街並みが,特別な街並みとして保存対象になっているとは本当に情けない。




* 東海村役場企画課編『東海村発足30周年記念誌』,1985,p.18

「白亜の殿堂」とは,誰が使いだしたのだろうと,その出所をいろいろ調べて,原子力委員会だったことがわかった。川崎は原子力委員会の文書からこの言葉を引用したのではなかったか,と推察している。

** 2021年夏,茅葺き農家住宅と感動の対面をした。