ZIPANG-10 TOKIO 2020 三島神社の御祭神は大山祇命 雷井戸のある三島神社(東京・下谷)で、新たに“授り守”を頒布 ~福運や子宝、良縁、健康を授れるよう祈願~
大山祇命は天照大御神の兄にあたる神様
御祭神
大山祇(積)命
配祀
和足彦神
身島姫神
上津姫命 (雷神)
下津姫命 (龍神)
御祭神は『三嶋大明神略縁起』による
三島神社の御祭神は大山祇命(おおやまつみのみこと)(おおやまづみのみこと)。「やまつみ」とは「山を持ち坐(いま)す」という意味を表しており、大山祇命は山の神様です。また、大山祇命は『伊予国風土記』では和多志大神(わたしのおおかみ)とされており、「わた」は海の古語であることから、海の神様でもあります。
大山祇命は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の兄にあたる神様で、日本総鎮守の神様といわれています。配祀としてお祭りしている、上津姫命は磐長姫命(いわながひめのみこと)、下津姫命は木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)と考えられており、大山祇命の娘にあたる神様で、この親子には次のような神話が残っています。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)の孫として高天原(たかまのはら)から降臨した邇邇藝命(ににぎのみこと)は、美しい木花開耶姫命と出逢い、一目惚れします。そこで、父である大山祇命に結婚の許可をもらいにいくと、大山祇命は大変喜び、姉の磐長姫命共々、邇邇藝命に差し出しました。ところが邇邇藝命は、磐長姫命がとても醜かったので追い返してしまったのです。
実は、大山祇命が磐長姫命をも差し出したのは、邇邇藝命の命が磐のように恒久であれという誓約(うけい)に基づくものでした。
誓約とは、「そうならばこうなる、そうでないならばこうなる」とあらかじめ宣言し、その結果によって吉凶、成否などを判断する、古代の占いのこと。磐長姫命を返してしまったことで、邇邇藝命の子孫の神様は長命ではなくなったとされています。
現在では、磐長姫命は長寿の守護神として信仰されており、一方の木花開耶姫命は、火の中で邇邇藝命の子供を出産したという説話から、火の神や安産の神とされています。
なお、三島神社の御本社は、愛媛県今治市大三島にある元国幣大社(こくへいたいしゃ)の大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)です。
河野 正枝 宮司
三島神社御鎮座の起源
弘安4年(1281年)、元寇の役の際、河野通有(こうのみちあり)は氏神である大山祇神社(三島大明神)に戦勝祈願して出陣、大山祇神社の神使(しんし)、白鷺(しらさぎ)の導きによって勝利を得た。その帰陣にあたり、夢の中で受けたという神のお告げにより、武蔵国豊島郡に三島大明神の分霊をお迎えし、上野山内の河野氏の館に遷座鎮祭したことが始まりという。
慶安3年(1650年)、徳川三代将軍家光公より社地移転を命ぜられ、金杉村(現在の台東区根岸)に遷座。さらに宝永7年(1710年)、社地が幕府の御用地に指定されたため、浅草小揚町(現在の台東区寿)に遷座した。
しかし、氏神様が遠くて困るという氏子一同の念願から、分霊を金杉村字金杉町(現在の台東区下谷)に勧請。これが現在の三島神社である。三島神社の宮司は代々河野通有の子孫が奉仕している。
雷を閉じ込めた井戸「雷井戸」のある三島神社(東京都台東区下谷、宮司:河野 正枝)は、新たに2025年9月14日から「授り守」をお出しいたします。弥栄、長寿、安全、女性の守り神の磐長姫命様と、ご出産経験のある木花開耶姫命様の二柱のご加護のもと、皆様に福運や子宝、良縁、健康を授かれるよう特別なご祈祷をいたしました。
授り守
■下谷 三島神社とは
東京都台東区にある、神様を閉じ込めたという伝説のある雷井戸が存在する神社です。雷井戸により雷が落ちなくなったという伝説から「落ちない」ご利益で知られています。
■三島神社のご祭神
大山祇命 :日本全土の山の神で勝利を司る武神としても有名です。
上津姫命(磐長姫命) :大山祇命の娘で木花開耶姫命の姉。
不老長寿の神様として知られます。
下津姫命(木花開耶姫命):大山祇命の娘で磐長姫命の妹。
安産や家庭円満の神として知られます。
授り守
■授り守の特徴
弥栄(いやさか:より一層栄える)、長寿、安全、女性の守り神の磐長姫命様と、ご出産経験のある木花開耶姫命様の二柱のご加護をいただけるお守りでございます。皆様に福運や子宝、良縁、健康を授れるよう、神前でお祓いをした後に、社務所にて頒布いたします。
頒布開始予定日の9月14日は、正五九(神仏へのお参り月)、大安(何事をするにも良い日)、戌の日(安産祈願の日)、母倉日(結婚や新築など慶事に適している日)が重なる大変縁起の良い日となっております。
《デザインに込められた意味》
調和や円満の意味を持つ「丸」の形のお守りを、神様の御力をより強く受けられるように透き通るレース生地でお包みしました。また、小ぶりで持ち歩いていただきやすい大きさとなっております。
お守りの台紙には縁起が良いとされている八つの桜をあしらっております
■お守りとは
お守りとは、お祓いを行い神様の御神霊(おみたま)をおうつしして持ち歩けるようにしたものです。大切にお持ち歩きください。
■授り守の概要
名称 :授り守
受付開始日:2025年9月14日から頒布開始予定
初穂料 :一体1,500円
お問い合わせ
電話: 03-3873-0172
mail:syou_tiku_bai@au.com
■神社概要
神社名 : 宗教法人 三島神社
所在地 : 〒110-0004 東京都台東区下谷3-7-5
アクセス: 三島神社へお越しの際は、公共の交通機関をご利用ください。
東京メトロ日比谷線「入谷駅」4番出口より徒歩8分
JR山手線「鶯谷駅」南口徒歩15分
■雷井戸とは
雷を封じ込めた三島神社の「雷井戸」
昔、武蔵野の原野は雷が多く、里人たちはいつも怖い思いを強いられていました。
そんなある日、三島神社の境内に雷が落ちたときのことです。
神主が雷を井戸の中に封じ込めたところ、雷が「井戸から出してくれ」と頼んだそうです。神主は「二度とこの地に落ちない」ことを約束させ、雷を許してあげたという伝説が残っています。
以来、この地には雷が落ちないといわれており、井戸は雷除けの井戸として信仰されています。
鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(順不同・敬称略)
宗教法人 三島神社
紅山子(こうざんし)
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なじょな願いもかみ頼み
福島県西会津町・大山祇神社
にしあいづ観光交流協会 出ヶ原和紙工房(所在地:福島県西会津町)は、
「自ら漉いた和紙で御朱印をいただくなじょな願いもかみだのみ」ワークショップを、
福島県耶麻郡西会津町の大山祇神社にて開催。
紙漉きの後は、自ら漉いた和紙に大山祇神社より御朱印を頂きます。
神社の水や植物と自らの手で想いをのせて作る特別な和紙に頂く御朱印。
約4キロ先のご本殿にもご参拝!
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-6 TOKIO 2020「なじょな願いもかみ頼み」福島県西会津町・大山祇神社にて自分で漉いた和紙に御朱印を頂く ワークショップを10月29日(土)開催
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/38261138
ユネスコ無形文化遺産 佐陀神能
神在月に神々が集まる聖地で神と人との神秘的な伝統の美しさの体験を
一般社団法人 松江観光協会では、松江の見どころ、自慢の食、伝統文化など、旅する魅力などを随時発信しております。
この度、平成23年にユネスコ無形文化遺産リスト登録された佐陀神能は、令和3年に十周年を迎えました。
これを記念し松江観光協会が事務局を務め、県内外の神楽団体を招聘し「第3回神座-神々への舞-各地に伝わる御神体出現の舞」の特別公演を2022年10月2日(日)に開催する運びとなりました。
第3回「神座-神々への舞-」のテーマは、記紀神話の一つである天岩戸神話に代表される「神体出現」。
佐陀神能(松江市)・高千穂神楽(宮崎県)・久見神楽(島根県隠岐の島町)・大土地神楽(島根県出雲市)の4つの神楽団体が、各地に伝わる御神体出現の舞を、令和元年度からの改修工事を終えた舞殿で奉納します。
佐陀神能とは島根県松江市にある佐太神社で、祭礼の中でも重儀とされる「御座替祭」(ござがえさい)に合わせて執り行われる「七座神事」「式三番」「神能」の三つの神事舞を総称したものです。
この形式での神事舞は能方式を取り入れた特徴的な神楽で、古くから行われていたことから、「出雲流神楽の源流」と呼ばれ。全国各地に伝わる里神楽に大きな影響を与えたと言われています。
今回披露される演目の一つ「大社」は、佐太神社の縁起を題材にしたものであり、神社の縁起についてや、神無月ではなく神在月と呼ぶことの由来などを見ることのできる演目となっております。
古くから日本人は想像力を駆使して、神話の世界を楽しんできました。
神楽という演目を通し、神々の物語を重ね合わせ、神在月に神様が集まるという聖地で、身も心も清められていく神秘的なひとときをぜひご体感ください。
■■佐陀神能の世界へタイムスリップしてみませんか!?
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-6 TOKIO 2020 「400年前の歴史の神話世界へ」タイムスリップ!!佐陀神能ユネスコ無形文化遺産登録十周年記念 10/2(日)特別公演開催
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/37680126/
対馬「和多都美(わたつみ)神社」
古事記に登場する海神の娘・豊玉姫(とよたまひめ)を祭る海宮で、古くから竜宮伝説が残されています。拝殿正面の5つの鳥居のうち2つは海中にそびえ、潮の干満によりその様相を変え、遠く神話の時代を偲ばせる神秘的な雰囲気を漂わせます。
裏参道を少し歩くと古代の祭祀跡・磐座(いわくら)があり、隠れたパワースポットとなっています。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「日本の原風景 対馬の歴史~初めて訪ねた人にさえ懐かしさを感じさせる、その人情と風景とは~(第一話)」
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「古事記」の国生み神話
本州・九州と並び最初に創造される大八島国の一つ「対馬」
厳原町久田道(くたみち)の与良祖(よらのみおや)神社。
神功皇后が神事を行い、朝鮮三国(新羅、高句麗、百済)を服属させた「三韓征伐」して凱旋後にも再拝したところ。
祭神の豊玉姫が、
「新羅は外側は強いが内部が脆い。急襲せよ!」
と神託を下した。
100以上神社を巡られた(一社)対馬観光物産協会の西氏によると
「写真のご神体周辺にはとんでもないものが潜んでいるような、ピリピリした空気が漂っています。迂闊には近づけません(-_-;)」とのことです。
この辺りは古代の古墳が発見された所。
三度、対馬に行き何を差し置いてでも、訪ねたいような気もするし・・・
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ZIPANG TOKIO 2020「対馬の歴史~江戸時代~(第二話)いよいよ対馬で【対馬検定】開始!ご参加を」
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対馬 赤米「頭受け神事」とは
「赤米」豆酘(つつ)は対馬の南の端に位置しています。ここには稲の原生種といわれる赤米の穀霊を神として祀(まつ)る行事が一年を通じて行われています。
中でも最も重要な神事が「頭受け神事」です。
すべての神事を取り仕切る頭仲間と呼ばれている集団があり、御神体の赤米が前年の頭主(とうしゅ)の家から次の頭主の家へと「神渡り」するのです。
本座の中央に吊られた神の俵を降ろし、「お守り申す」役の背中に乗せられ、深夜、神様がお渡りして行きます。その為、毎年旧暦1月10日の深夜に多久頭魂神社(たくづだまじんじゃ)にて行われています。
御神体は再び天井から吊るされ、豊作を祈願する「受取り渡し」の儀式が行われます。
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ZIPANG TOKIO 2020「対馬の歴史 明治~現代(第三話)」
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対馬は古代から
大自然そのものが信仰の対象だった!
胡禄神社 琴崎
祭神はワタツミ系の海神ですが、対馬での伝承では、顔に貝類などが付着して醜い姿をしているとされる、大海原に潜む海の神「磯良」(いそら)ともされています。
パワースポットブーム以降、「神社」(建物)ばかりが注目されがちですが、実はその先にある、古くからの大自然そのものが信仰の対象だったのです。
対馬は古代から、そんな雄大な自然が満ち溢れる、荒々しく、激しく、美しい島だったのです。
その昔、琴崎の神様と黒島(美津島町)の神様がケンカして、琴崎様は岬にあった竹を投げつけ、黒島様は島にあった松を投げつけたので、琴崎には竹がなく、黒島には松がないそうです。 金色の蛇の伝承とか、海底に竜宮城の入口があるとか、伝説もいろいろ。
海神 イソラ
【日本神話】
イソラ(磯良)は、志賀島(しかのしま。福岡県)を拠点とした古代の海洋民族・安曇(あずみ)氏の祖神です。記紀には登場しませんが、中世の「太平記」では、海底に棲む精霊として描かれ、神功皇后の三韓出征の際に招かれたものの、海藻や貝が顔にはりついて醜いことを恥じて現れず、住吉の神が舞を奏したところそれに応じて参上し、神功皇后の水先案内を務めたとされています。
【対馬の伝承・異伝】
イソラは豊玉姫の子とされ、ウガヤフキアエズと同一視されています。 和多都美神社(番号63)の社殿前の干潟には、亀のウロコのような亀裂があるイソラエベス(磯良夷)と呼ばれる霊石が祭られています。
また、神功皇后の出征に関連し、厳原町阿須(あず)で皇后を出迎えたとか、上対馬町琴(きん)・琴崎沖で沈んだ碇を潜水して取りもどした、損傷した船の傷口に大きなアワビを貼りつけて応急処置した、上対馬町五根緒(ごねお)に上陸した、などの伝承があります。
琴崎は海神にまつわる伝承が色濃く、海底には「竜宮の門」があり、亀に乗ったイソラがその門を出入りするとか、琴崎大明神(=胡禄神社、番号124)の御神体は海神の祭日である3月3日に、巫女が磯ですくいあげた金色の小蛇だとされています。
亀卜(きぼく)の伝承 イカツオミ
【日本神話】
神功皇后 仲哀天皇の死に際し、神功皇后は自ら祭主となり、武内宿禰(たけのうちすくね)に琴を弾かせ、中臣烏賊津使主(なかとみのいかつのおみ)を、神意を解釈する審神者(さにわ)としました。(日本書紀)
【対馬の伝承・異伝】
神功皇后の外征を支えたのは、個性的で有能な家臣たちでした。特にイ カツオミ(雷大臣)は、皇后の凱旋後に対馬に留まり、古代の占いの技術である亀卜を伝えたとされます。イカツオミはまず豆酘(つつ)に住み、次に阿連(あれ)に移り、加志(かし)で生涯を終え、加志の太祝詞神社 (番号56)横に墳墓(中世の宝篋印塔)があります。
豆酘には亀卜が残り、加志の太祝詞神社は名神大社であり、阿連は「対馬の神道」の著者・鈴木棠三から「対馬神道のエルサレム」と称されるなど、イカツオミの痕跡が色濃く残されています。名称に「雷(霹靂)」「能理刀(のりと)」がつく神社では亀卜が行われていたケースが多く、全島に分布しています。
コラム 占いの変遷
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-2 TOKIO 2020「対馬は古代から大自然そのものが信仰の対象だった!【寄稿文その8】西 護」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/4843400
魏志倭人伝に
「南北に市糴(してき。米を買う=交易を行う)す」
対馬 太陽の女神 オヒデリ
対馬(つしま)は、九州本土と朝鮮半島の間に浮かぶ面積約710平方km (属島含む)の大きな島ですが、面積の89%は山地であり、全島が岩がちで、 農耕地は1%ほどしかありません。朝鮮半島までの距離は49.5kmしかなく、 国境の島と称されています。
魏志倭人伝に「南北に市糴(してき。米を買う=交易を行う)す」と描写さ れた対馬の海洋民は、島の中央に広がる浅茅湾を利用しつつ、航海術を駆使し、 大陸と日本列島の間を移動していました。
その活動が日本列島に金属器・文字・仏教などの大陸文化を伝えましたが、対馬海峡は危険に満ちており、対馬に海神信仰が定着したのもごく自然な成り 行きだったのでしょう。
また、政祭一致の時代、中央の政治にも大きな影響を 与えた古代の占いの技術・亀卜(きぼく)も早くから伝わっていました。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020 最澄は唐からの帰途、対馬に漂着「対馬 太陽の女神 オヒデリ【寄稿文11】西 護」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6185560
神さまが住む町
能登町聖地巡盃『姫どいやさ祭』
美貌の神である木花開耶姫
長寿の神である岩長姫
宇出津地区を守る酒垂神社に奉られている大山祇命(おおやまつみのみこと)は、長寿の神である岩長姫(いわながひめ)と、美貌の神である木花開耶姫(このはなさくやひめ)の二人の娘を宮家(ににぎ)に嫁がせたとされています。
酒垂神社を参拝し、お父様のご利益を得て、美しく健やかなパワーをいただきましょう。そして、この地域で北東から吹くとされている「アイの風」を感じながら石畳を歩いてみましょう。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「神さまが住む町、 能登町聖地巡盃『姫どいやさ祭』」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2683946
伊勢神宮の天照大神に仕える
伝説と歴史が伝える歴代の斎王74名
斎王とは?
斎王(さいおう)…それは、天皇に代わって伊勢神宮の天照大神に仕えるために選ばれた、未婚の皇族女性のことである。歴史に見られる斎王制度は、天武二年(674)、壬申(じんしん)の乱に勝利した天武天皇が、勝利を祈願した天照大神に感謝し、大来皇女(おおくのひめみこ)を神に仕える御杖代(みつえしろ)として伊勢に遣わしたことに始まる。
以来、斎王制度は660年以上にわたって続き、60人以上の斎王が存在した。伝説は、伊勢に天照大神を祀った倭姫命(やまとひめのみこと)など、さらに多くの斎王の物語を伝える。
制度が確立して以降の斎王は、卜定(ぼくじょう)という占いで選ばれ、斎王群行と呼ばれる五泊六日の旅を経て伊勢へと赴いた。その任が解かれるのは、主に天皇が代わったときのみ。
年に三度、伊勢神宮に赴く以外は、一年のほとんどを斎宮で過ごし、神々を祀る日々を送っていた。また、神に仕える身ゆえに恋をすることも許されず、伝説に語られる斎王の中には己の命を絶って身の潔白を証明した哀しい斎王や、恋ゆえに斎王を解任されたり、恋人と引き裂かれたりした斎王もいたのである…。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020 「特別編 斎王~明和町より~伝説と歴史が伝える歴代の斎王74名について」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3020519
天照大神の隠れ家伝説 天の岩戸
名水百選とは
全国の清澄な水を再発見し、尊さを知る。私たちの水環境を守りたい。
環境省(当時環境庁)では、全国に多くの形態で存在する清澄な水について、その再発見に努め、広く国民にそれらを紹介し、啓蒙普及を図るとともに、このことを通じ国民の水質保全への認識を深め、併せて優良な水環境を積極的に保護すること等今後の水質保全行政の進展に資することを目的に昭和60年3月、全国各地100ヵ所の湧水や河川を「名水百選」として選定しました。
また、平成20年には、水環境保全の一層の推進を図ることを目的に、地域の生活に溶け込んでいる清澄な水や水環境のなかで、特に、地域住民等による主体的かつ持続的な水環境の保全活動が行われているものを、昭和60年選定の「名水百選」に加え、「平成の名水百選」として選定し、併せて200選となりました。
なお、「名水百選」も「平成の名水百選」も飲用に適することを保証するものではありませんので、飲用に供される場合は、所在の自治体にご確認下さい。
恵利原の水穴(天の岩戸)
湧水 三重県志摩市磯部町恵利原
伊勢志摩国立公園内の逢坂山の中腹にある洞窟から湧出しており、志摩用水の源水となっています。涸れたことのない清い水は、天照大神が隠れ住まわれたと伝えられる伝説の場所。天の岩戸の伝説とともに、古くから地域内外の人々の信仰を集めています。
由来・歴史
天照大神が隠れ住まわれたと伝えられる伝説の場所。水穴の近くには雨乞いにご利益があると言われている水神が祀ってあります。
現在の参道は大正時代に真珠王の御木本幸吉が、一人でも多くの方に訪れて頂けるように改修したと言われています。
(詳細・画像は下記のURLからご覧ください。)
ZIPANG-2 TOKIO 2020「天照大神の隠れ家伝説 天の岩戸 恵利原の水穴(志摩市)」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/4435926
天照大御神のもとへ、その時だけ雨はやみました⁉
2024年3月26日~27日、伊勢神宮(外宮・内宮)参拝 明和町(斎宮)訪問