去れよ、去れよ、そこを出て、汚れた物にさわるな。 その中を出よ、主の器をになう者よ、おのれを清く保て。
男の人が浮気するのはあたりまえって思ってると仰っていましたね。
それは、周りにどんな人たちがいるかによって形成されてくる観念でしょうし、男性の醜態を見せられ、裏切られた時に、大きく心がうなだれてしまわないための予防線でもあるのかなぁとも感じられました。
私は、生涯結婚しないと中学の頃から心に決めて青春時代を送ってしまったので、一度も女性と付き合わずに今の家内と出会いました。その頃には、いまの教会に行っていて、結婚しないことが清いこと、神に嘉されることではないと教わっていたので、「生涯結婚しない」という思いは変わって、真の結婚、真の伴侶との出会い、真の伴侶に見合う自身の聖化を求めて過ごしていました。
肉は世の人と同じようにそれに惹かれても、霊、すなわち、私たちの真我はそれを善しとしません。世の人は、この真我が埋もれてしまっているので、真の自分の願いに気付けないのです。
精神科医になって、性的虐待を受けてその後の人生でもその苦しみを追い続けている人たちと「どうやって生きていこうか」って心を使っていくでしょ。
他の精神科医はどんな風に感じたり、どんな風に考えたりするのかわからないけど、私は、そうして、男たちの性欲の餌食にされて傷つけられた人のケアをしながら、一方、私生活ではいかがわしいものを見て、不倫してといったことをしていては、治療もケアも成り立たないと思うのです。滲み出すものがありますし、言葉でどんなに癒すようなことを言っても心の中で、加害者と同じような邪欲を抱えていては真の癒しの作用もできないし、信頼して心開いて、自分の心の傷を見せてくれた患者さんを裏切ることになると思うのです。
いまは邪悪と姦淫の時代である、とイエスさまは仰いました。 しかし、色欲があるのはみんな同じだ、男なんだから仕方がないとはイエスは言わなかったのです、「色欲をもって女を見るものはすでに姦淫しているのである」ですからね。
だから、祈りなさい、祈り続けなさい、抵抗し続けなさいと。しょせん、命は悪魔そのものですが、理性は光を見ることができるように、神は残しているので、このままでは地獄に行くということは判断できるようにしてくれています。だから、祈る、これだけが、今可能な善行で、これ以上の善行は求められていません。
心の中の好色に引かれる性向は他の男たちと同じなのです。だから、祈り続けます。それが、いまできる精いっぱいの善への志向、凌辱され、傷ついて藁にも縋る思いで、私の所に来てくれた人たちへのせめてもの務めだと思います。世の男たち、ほかの男の精神科医たちが全員そうでなかったとしても。
去れよ、去れよ、そこを出て、汚れた物にさわるな。
その中を出よ、主の器をになう者よ、おのれを清く保て。 イザヤ書51:11
若い人はどうしておのが道を清く保つことができるでしょうか。
み言葉にしたがって、それを守るよりほかにありません。 詩編119:9